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2013年9月29日

加藤八重子さんについて

【調査会NEWS1414】(25.9.29)

357p1

 加藤八重子さんは昭和53(1978)年9月22日に群馬県群馬町の自宅から失踪しました。

 当日朝、お嬢さんが八重子さんの部屋を見たら姿がなく、寝ていた掛け布団が真ん中だけ膨らみ、誰かに引っ張られて出されたという感じで残されていました。当時38歳。ご主人はその晩夜勤で不在でした。前夜は2人のお子さんとともにテレビを見ていて、お子さんたちは午後10時過ぎに就寝しています。部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて現金、履物、衣類、鞄など全て残っていました。

 昨日お嬢さんとお会いし、あらためて色々お聞きしたのですが、お話ししていてふと気付いたことがありました。加藤さんのケースは大多数の特定失踪者と異なり、失踪直後から警察が事件性を察知して動いたケースだということです。

 子供を別にすれば、大多数の特定失踪者の場合は家族が届出をしても事件性なしと判断され、警察はほとんど動くことはありません。警察には年間10万人近い失踪者の届けがあるので、ある程度仕方ないことではあります。

 その意味で加藤さんの失踪事件は特異なケースなのですが、警察の視点は北朝鮮による拉致ではなく、一般の刑事事件としてでした。警察が最初に疑ったのはご主人で、さらに親族も含めてかなり厳しく調べられたとそうです。当時小学生だったお嬢さんですら取調室のようなところで事情聴取をされたとのことでした。しかし、結局何も出てこず、その後は音沙汰なしになっています。

 加藤さんの布団の状況からすれば自分から布団を出たとは考えられません。自分から出たなら布団を畳むかめくるかしているでしょうから。しかも履物もなくなっていないのですから、考えられるのは意識を失った状態で他人に引っ張り出され、そのまま連れ去られたということです。

 ところで加藤八重子さんは電電公社(現在のNTT)の職員でした。そしてご主人は国鉄(現在のJR)に勤めていました。どちらも労働組合は旧社会党系です。またご主人は1か月前、職場の野球大会のとき家の鍵を盗まれていました。

 失踪時に警察は事件性を考えてかなり綿密に調べているのですから、家族が犯人でないと分かった時点で、他に何がありうるかを考えたはずです。そのとき、北朝鮮とまでは思わなかったとしても、職場のことを考えなかったとは思えません。

 群馬県は金丸・田辺訪朝団で有名な田辺誠・元社会党委員長の地元でもあります。様々な意味で北朝鮮との関係も深く、後に原敕晁さんを拉致して成り代わる北朝鮮工作員辛光洙が高崎や前橋のパチンコ屋に身を隠していたこともありました。

 このところ色々な情報が出てくる中で、日本人協力者、特に社会党ないし社会党系労組にいた北朝鮮シンパの活動が注目されています。職場の野球で家の鍵が盗まれていること、ご主人の夜勤のときに奥さんが失踪していることからして、周囲にいる事情に詳しい人間が動いた可能性も少なくありません。

 加藤さんの失踪は35年前の事件ではあっても、未解決の刑事事件として警察に何らかの記録は残っているはずです。また当時盛んだった自民党・社会党の裏取引の中でこのような問題が握りつぶされたことはなかったのかとの懸念もあります。これまでただ一人の拉致実行犯も起訴できていない警察としては、「一所懸命やっている」というだけではなく、ぜひ結果を出して真相を究明していただきたいと希望する次第です。

 調査会としても今後日本人協力者の問題はさらに掘り下げていく予定です。情報をお持ちの方はご協力をお願いします。

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