圭運丸事件で告発状提出
【調査会NEWS1446】(25.12.13)
昨日12月12日、圭運丸事件に関し札幌地方検察庁に告発状の提出を行いました。
告発人は紙谷慶五郎さんの三女北越優子さん、被告発人は住所及び居所不明、氏名不詳の某(複数の可能性)、告発人代理人は藤野義昭弁護士(前救う会北海道代表)、川人博弁護士(法律家の会幹事)、土田庄一弁護士(法律家の会事務局長)及び調査会代表荒木です。
12日は10時に北越さん、藤野弁護士、川田ただひさ救う会北海道代表及び荒木が札幌地検に赴き、渡邉雅典地検特別刑事部長に告発状を手渡しました。なお、今回は提出であり、受理は後日地検より連絡がなされる予定です。
告発状の内容は以下の通りです。各位のご協力をよろしくお願いします。
告発の趣旨
被告発人を刑法第226条(国外移送目的略取誘拐)の罪で直ちに捜査の上、厳重処罰することを求める。
第1、告発にかかる犯罪事実
被告発人は国内外の協力者と共謀の上、昭和42(1967)年11月7日、北海道紋別郡雄武町元稲府港沖周辺海域において、告発人の父紙谷慶五郎(明治45年3月5日生まれ・当55年)と兄紙谷圭剛(昭和16年3月20日生まれ・当26年)、弟礼人(昭和23年4月11日生まれ・当19年)、同速水(昭和26年1月9日・当16年)を国外移送目的をもって略取誘拐し、密かに日本から朝鮮民主主義人民共和国内に移送したものである。
第2、関連する事実
本件は、以下の通り朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致が極めて高度に疑われる失踪事件である。
1 紙谷慶五郎らの失踪時の状況
(1) 紙谷慶五郎(以下、「慶五郎」という。)は告発人北越優子の父であり、母ヨネ、妻ミヨ(大正7年3月2日生・当49年。以下「ミヨ」という)、長男圭剛(以下、「圭剛」という。)、次男礼人(以下、「礼人」という。)、三男速水(以下、「速水」という。)及び五女篤子(昭和27年5月27日生・当15年)と北海道紋別郡雄武町字雄武川1番地に居住し、漁業を営んでいた。三女である告発人(昭和19年10月8日生・当23年)は雄武林務署に勤務し、雄武町潮見町に居住していた。
(2) 昭和42(1967)年11月7日、慶五郎は所有する漁船「圭運丸」(6トン)で圭剛、礼人、速水とともにイカ底引き網漁のため元稲府港を早朝出港した。
しかし、午前9時、10時になっても帰らなかった。当日はべた凪で波もなく11月としては珍しい暖かい日であった。
昼過ぎにミヨが仲間の漁船に異常を伝え、雄武漁協では捜査を開始した。そして、魚群探知機で圭運丸と思われる船が元稲府港の北4マイル付近の漁場海底に沈んでいる状態で発見され、同日16時頃、雄武漁協に圭運丸捜索対策本部が設置された。
翌11月8日から12日朝まで猛吹雪のため海上での捜索ができず、陸上で雄武町・興部町・枝幸町の海岸線を漁協関係者・同級生・消防団・町役場・林務署の職員等が交代で昼夜を徹して捜索をしたが遺体はもちろん衣類や靴など4人の遺留品は見つからなかった。
11月12日、海上保安庁網走支庁委託捜索船やまさん丸(稚内市・波間水産所有)が現場海域に入り圭運丸引き揚げを試みるが失敗に終わった。この船には告発人が同乗していたが、船長と船員が作業中に「船に穴が空いている。操業中ではない。真っ直ぐ沈んでいるのはおかしい」と話しているのを聞いていた。
11月14日、対策本部は捜索打ち切りを発表し、11月16日に紙谷家と漁協の合同告別式が執り行われ、昭和43(1968)年5月6日に4名全員の戸籍が抹消された。
2 事故とは考え難い理由
本件は、当時、北朝鮮による拉致の可能性などだれも考えておらず、操業中に転覆した「事故」であったと一般的に認識されていた。
しかし、前述海保委託捜索船「やまさん丸」が圭運丸を引き揚げようとした折の乗組員の会話にも見られるように圭運丸は失踪直後に真っ直ぐ沈んで着底していることが確認されており、これは転覆説を否定するものである。また当日好天であり、波もなかったことや遺留品が全く発見されなかったことからも通常の事故でない可能性が極めて高いものであったと言わざるを得ない。
また、後述の関係者の証言からしても、他者による事件惹起が強く疑われる。
3 拉致の可能性が高いと考える理由
(1) 「漁民拉致」報道
平成25年5月28日付「産経新聞」は脱北した元朝鮮人民軍幹部が海上で漁船を拿捕し乗組員を拉致、船を沈める形の拉致が1960年代から1980年代にかけて頻繁に行われ、自らもそれに加わったという証言を掲載した。
この内容は日本漁船を装った工作船で漁船に近づき、乗り移って船内を制圧して若い乗組員を拉致、年配者や抵抗した者は船倉に閉じ込めて漁船のキングストン弁を開いて沈没させたというものである。
(2) 新情報の提供
転覆説に疑問を持っていた告発人から要請を受けて拉致の可能性に関する調査を行ってきた特定失踪者問題調査会では、上記の報道に接し、漁船を狙った拉致が圭運丸事件に当てはまるのではないかと考え、海上保安庁への要請とともに事実関係の確認を進めていたところ、関係者から当時圭運丸が不審な船に囲まれていたとの情報が提供された。
この情報はTBS及びHBCの取材で明らかになったものである。証言したのは圭剛の同級生で、その内容は以下の通りであった。
ア 圭運丸失踪当時、自分は雄武石油の営業所に勤務しており、漁船の燃料をタンクローリーで入れて回る仕事をしていた。11月4日に圭剛から7日午前7時に燃料を持ってきて欲しいと言われていた。当日港で待っていたが船は戻って来なかった。
イ 午前9〜10時頃、元稲府漁港から西北約2キロの距離にあるウェンコタン岬の東側で圭運丸が3隻の船に囲まれているのを目撃した。1隻は圭運丸と同じ位の大きさの白い船、1隻は真っ黒い船でマストもなかった。あと1隻はマストを立てたもう少し大きな船。その辺りはそこだけ深くなっており、周囲は浅瀬になっている。地元の人間しか知らない場所で、素人の船は浅瀬にぶつかるのでそこには来ない。後で考えると連れてこられたのではなく、そこまで圭運丸が追われて逃げてきたのではないか。
ウ その後早めに昼食をとった後、11時頃自宅を出たら「紙谷の船が転覆した」と2回言った男がいた。全く知らない50前後の男で自分と同じ位の身長(証言者は当時154センチくらい)の小柄な男。眼鏡をかけていた。髪の毛は横に流していた。この時点では誰も失踪について認識していなかった。
エ 以上については元稲府漁港の責任者や周囲の漁民にも話したが事故という感覚が強く、とりあってくれなかった。
(3) 工作員高大基との関係
警察が拉致被害者と断定している高敬美・剛姉弟(拉致認定の根拠となる「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」では認定は日本国籍保持者に限られており朝鮮籍であるため警察による拉致断定でとどまっている)の父であり、現在も行方不明の日本人渡辺秀子(高敬美・剛の実母。以下「秀子」とする。)の夫高大基(以下「高」とする)は秀子とともに当時雄武町に居住していた。高は在日朝鮮人出身の北朝鮮工作員で道内の自衛隊情報の収集等の工作活動をしていたとされる。高と紙谷家のつながりについては明らかではないが、慶五郎は秀子の勤めていた割烹「日の出」に出入りしており、当時優子も直接秀子に会ったことがある。高は慶五郎ら親子について情報を得ていたものと思われる。
(4) 失踪者の身辺状況
慶五郎は雄武町議を務めたこともあり土地の名士だった。圭剛は独学で外航船の船長の資格である「乙一種航海士」免許を取るほど優秀だった。雄武町は当時人口1万程度の町であり、船舶に関わる優秀な人材を物色していたとすれば当然候補に挙がったと推認される。
ちなみに特定失踪者問題調査会の調査によれば偶然に拉致が行われるケースは少なく、固定工作員ないし協力者が上部の指示に従い対象を選定して行う場合が大半とされている。
圭剛を含め他の失踪者は拉致対象者として標的にされていた可能性は極めて大である。
(5) 道内における他の失踪との関連について
特定失踪者問題調査会における特定失踪者(拉致の可能性の排除できない失踪者)には同時期道内での失踪者が多い。
吉田信夫(昭和40年5月25日札幌市で失踪)
西平カメ(昭和40年10月 帯広市で失踪)
吉田雪江(昭和42年1月28日 釧路市で失踪)
城崎暎子(昭和42年4月21日 岩内郡共和町で失踪)
山崎博司(昭和42年5月8日 士別市で失踪)
岡田優子(昭和42年10月23日 常呂郡佐呂間町で失踪)
斉藤裕(昭和43年12月1日 稚内市で失踪)
国井えり子(昭和43年12月12日 網走市で失踪)
長谷川文子(昭和44年3月 美唄市で失踪)
それぞれの関係は明確でないが、このような集中は他の地域と比較しても多く、拉致を推認する要素たり得ることは明らかである。
(6) 以上の関連情報、新たな証言等を総合的に判断し、慶五郎親子が北朝鮮関係者により拉致された可能性は極めて高い。
第3 告発に至った理由
事件発生からすでに43年が経過しているが、当初は海難事故と認識されたため、本件について拉致という視点からの捜査はなされてこなかった。しかし、告発人は単なる事故ではないとの確信を持ち続け、そして平成14年以来、北朝鮮による拉致の事実が明らかになったことから、平成19(2007)年特定失踪者問題調査会に拉致ではないかとして調査を依頼した。その後工作員高大基が同時期雄武町にいたことは確認されたが、それ以上の情報が得られないまま本年に至った。
そして上記のように本年5月「漁民拉致」の問題がきっかけとなって海上における拉致事件が注目され本件については上記の新たな情報がもたらされた。
こうしたことから、告発人は慶五郎らの失踪は北朝鮮による犯行との疑いを強くし、ここに告発するに至ったものである。
なお、告発人は7月8日第一管区海上保安本部に圭運丸事件の調査を要請し、特定失踪者問題調査会でも海上保安庁・拉致議連等に圭運丸事件を含めた海上での拉致疑惑事案についての調査・捜査を依頼した。
そして、海上保安庁は7、8月に海底調査を行った。特に8月の調査はかなり厳密な調査をしたものと思われる(事後における口頭の報告のみであり、家族の求めた文書による説明は今も実現していない)が、圭運丸の痕跡を確認することはできなかったとされている。
本件は事件の特殊性からして、警察と海上保安庁の連携が必要不可欠であり、両者とも協力していく旨意思表示はしているものの、実際にはそれが進んでいるとは思えない。したがって総合的な見地からの捜査を行うことを求めるため御庁への告発となった次第である。
第4 結語
家長たる慶五郎及び子供3人が失踪して以来、海難事故として自らを納得させようとしたことがあったとしても、優子及び他の家族・親族は片時も4人のことを忘れたことはなかった。
拉致被害者はもちろん被害者家族がこの間受けてきた苦しみは計り知れないものがある。
かかる加害者である北朝鮮当局による拉致行為は、言うまでもなく拉致被害者の基本的人権の保障や国際人権規約の補償に対する重大な侵害行為である。また、北朝鮮当局による拉致行為は漁船の安全と船員の命を守るべき海上保安庁の主権を堂々と侵害したものである。
日本国政府と関係機関は本件事件を解明し、早急に被害の回復を図るべき責務を有する。
本件告発のもと、御庁におかれては、直ちに情報を収集し捜査能力を駆使して事案を解明し被害の回復をはかられるよう強く求めるものである。
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