第19回1万キロ現地調査(種子島・屋久島)概要と調査結果について
【調査会NEWS1474】(26.2.4)
以下、少々長くてすみませんが今回の現地調査についてご報告します。写真は羽生弘行さんの奥さん、ツユさん(93歳)の「しおかぜ」収録です。
1、現地調査の概要
●目的
(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3)現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。
●参加者
調査会:荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・武藤・森山 計 7名
特定失踪者家族:
日高満男さん姉・田中恵美子さん、日高満男さん妻・日高夫味子さん。羽生弘行さん妻・ツユさん、次男・弘訓さん、弘行さん妹・岩川サヤさん
(報告会のみ参加 園田一さん・トシ子さん長女・前山利恵子さん、利恵子さん夫・前山光秋さん、田中正道さん妹・村岡育世さん)計4家族 8名
家族会:増元照明事務局長 調査会を支援する会:梅原克彦監査
地元:浄土真宗本願寺派南島組各寺のご住職他支援者の皆様
●日程
平成26年1月29日(水)〜1月30日(木)
■1月29日(水)
鹿児島港→種子島西之表港
〇午前中、国上地区の湊漁港において非公開Aさん関連について、当時の漁師仲間の方々から聴取。
○称念寺(西之表市国上)で現地支援者との情報交換及び懇談を実施。
〇日高満男さん関連について御家族から聴取、「しおかぜ」収録。
〇19:00〜21:00 西之表市民会館で「拉致問題の現状報告及び懇談会」開催。市長及び浄土真宗本願寺派南島組代表挨拶。
■1月30日(木)
種子島西之表港→屋久島宮之浦港
〇午前中、栗生地区の羽生弘行さん宅において御家族から『なには丸』出発地点と当時の状況について聴取、ご家族からの「しおかぜ」収録。
〇午後、宮之浦港において加藤義美さん関連調査。
屋久島宮之浦港→鹿児島港
〇18:30〜21:00 『サンプラザ天文館』3階にて現地調査報告会及び家族懇談会。新証言(三島ヤス子さん)の報告。
2、調査対象者概要と調査結果
(1) 非公開Aさん
ア 基礎事項
生年月日:1940(昭和15)年生(現:73歳)
当時身分:漁師
当時住所:鹿児島県西之表市(種子島)
失踪日:1996(平成8)年2月
最終失踪関連地点:鹿児島県西之表市
イ 失踪状況
当日朝7時頃、1人で漁に出て夕方4時頃に帰港する予定だったが帰港せず、夜になって捜索願を出して捜索が始まる。同日午後11時45分、船は西之表市喜志鹿埼灯台から約24km付近の海上でエンジンがかかった状態で発見されたが、本人の姿はなく行方不明となる。失踪前日、漁師仲間に自分の船に「不審な船が近寄ってきた」旨の話しをしていた。
ウ 調査結果
Aさんは失踪の前日、漁から帰港した後、漁師仲間のBさんに「今日は妙な船が近づいてきた」と、不審船について話していたとの事だったが、別の漁師の方はAさんが不審船について「自分の船の周囲をグルグル廻って行った」と聞いていた。更にAさんの奥さんは、Aさん自身から不審船について「朝鮮語を話す船が近づいてきた」と聞いていたことが判明した。
Aさんの船は発見当時、エンジンがかかったままの状態で発見され、捜索に当たっていた漁師の方が船を湊漁港まで搬送したが、船は当日の午前7時頃に湊漁港を出て実に17時間以上エンジンがかかったままの状態だったことになる。
現地調査当日、当時の漁師仲間の方々のお一人から「20年近く前に沖で夜間操業中、無灯火で漁場に停止していた黒っぽい不審船に衝突しそうになったことがある」と証言があった。20トンくらいの船に見えたとのことで、これは平成13年の奄美沖工作船事案の船ともほぼ同じ大きさである。上海沖に工作船の補給基地があると言われていることからもこの周辺に工作船が出没していて不思議ではない。今後海上保安庁や海洋関係の専門家からも情報を収集したい。
(2) 日高満男(ひだか みつお)さん
ア 基礎事項
生年月日:1958(昭和33)年8月16日 (現:55歳)
当時身分:港湾土木作業員
当時住所:鹿児島県鹿児島市
失踪日:1989(平成元)年2月23日
最終失踪関連地点:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域(諏訪瀬島)
イ 失踪状況
知人の漁船『大昭丸』に1人で乗り込み、諏訪瀬島・元浦港南西漁場で操業。当日午後2時頃、他の漁船に目撃されているのが最後。日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った結果、翌24日、諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で釣糸も垂れたままだった。
不明となった1〜2年後、家族の家に無言電話があり、毎日夜12〜1時、1ヶ月くらい続く。無言だがモールス信号のような音が聞こえた。
ウ 調査結果
日高さんは失踪当時漁師をしていた訳ではなく、知人宅に居候しながら建設関係の仕事を続け、失踪当日は知人の持ち船を借用して釣りに出かけたことが判明した(これまでは仕事で漁に出ていたものと思われていた)。
船は日高さんの捜索が始まった後、潮流に運ばれて切石港近くまで漂流してきたため、一時は「日高さんの船が帰ってきた」と思われたが、実際には無人だった。
※ 今回、当時の知人で船の持ち主だった男性が西之表市に在住されていることが判明し、御家族共々当時の状況についてお話を伺おうとしたが、面会はかなわなかった。日高さんはこの男性に声をかけられて諏訪之瀬島に行っており、父親からは反対されていたという。反対を押し切って諏訪之瀬島に行った理由の調査も必要であると思われた。
(3) 羽生弘行(はぶ ひろゆき)さん
ア 基礎事項
生年月日:1917(大正6)年11月5日(現:96歳)
当時身分:半農半漁
当時住所:鹿児島県熊毛郡屋久町(現屋久島町)栗生
失踪日:1955(昭和30)年10月23日
最終失踪関連地点:鹿児島県熊毛郡屋久町(現屋久島町)
イ 失踪状況
屋久島の栗生川河口の船着場から便乗者6名を乗船させて約30km離れた口永良部島へ向かったまま行方不明となった。捜索は広範囲に行われたが、船も乗員も発見されていない。
ウ 調査結果
当時羽生さんの船『なには丸』は、操業する際には船長である羽生さんと機関士の2名で運行していた。失踪当日、高知県から訪れた3名の男女のうち、男性2名(親子)が口永良部島に「椎の実を買い付けに行くため」という理由で羽生さんに頼んで船を出してもらうことになったが、丁度機関士の方が風邪で寝込んでいたため、船は羽生さん一人で運行することになった。
羽生さんが「口永良部島に行く」ということで、知人や親戚が便乗することになり、結果、高知県の男性親子2名、羽生さんの知人・親戚4名、船長の羽生さんと都合7名が『なには丸』に乗船して自宅脇の栗生川の船着場から出港した。出港の際、羽生さんの妻・ツユさんは船着場が見える畑で農作業をしていて、『なには丸』が出港するのを見届けていたが、機関士が乗船していないためかエンジンの調子が悪かったようで、何度か川を行き来して試運転していたのを見ていた。便乗した2人と共に高知県から一緒に来たと思われる女性は、近所の家に寝泊りしていたが、『なには丸』の失踪後、いつの間にか近所の家から姿を消したとの事。
『なには丸』の失踪後、高知県に居ると思われる男性親子の関係者からは一度も失踪に関する問合せや連絡はないとの事だった。この親子については、父親と思われる男性が以前、鹿児島市内で島に渡る船に乗り遅れて困っているところを羽生さんの親族が栗生まで案内し、羽生さんが口永良部島に乗せた経緯があり、失踪時に訪れたのは2回目だった。
この際男性は、「前回仕入れた椎の実で儲けたため、今回も椎の実を仕入れに行く」旨の話しをしていたという。当時この地域に住んでいた人に確認したところ、「口之永良部島で椎の実が特産ということはなかった」とのこと。昭和30年当時とは言え高知から遠路屋久島に渡り、さらに口之永良部島まで行って椎の実を取って帰るのが商売になったとは考えにくく、あらためてこの同乗者についての調査が必要であると感じられた。
(4) 加藤義美(かとう よしみ)さん
ア 基礎事項
生年月日:1943(昭和18)年11月22日(現:70歳)
当時身分:船員
当時住所:鹿児島県鹿児島市喜入
失踪日:1995(平成7)年2月15日
最終失踪関連地点:鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦港(屋久島)
イ 失踪状況
港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1〜2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と宮之浦のスナックとクラブ2軒で午後11時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。1階食堂に本人が外出時着ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。
ウ 調査結果
宮之浦港現地で当時、作業用台船が停泊していた場所について確認し、フェリー関係者等から港湾の状況について聴取した結果、堤防等の形状、港湾内の水深等は当時と殆ど変化がないことが確認され、当時の状況について検証を行った。
当時、作業用台船には6名の乗員が居たことが判明したが加藤さんの失踪日前夜、飲みに出かけているのは4名であり、船内には2名が残留していた可能性が高い。現場は水深も浅く水も澄んでおり、周囲の状況からしても足を滑らせておぼれ、遺体が沖に流された可能性は低いと思われた。失踪が分かって数時間後には警察に届けており、その後捜索を行っているが、事件性について警察が疑わなかったのか、疑ったが何かの理由で隠したのかが不明。同僚の身元などについても今後調査の必要があると感じられた。
●今回の走行距離:545km 累計走行距離5,296km
追記:種子島での現地調査終了後、地元の方のご配慮で宇宙センターの見学を行った。実物大のロケットの模型などを見て北朝鮮のミサイル発射についての感覚を得ることができたが、施設に入ってみてセキュリティが甘いことを実感した。偽名でも事前に登録すれば見学ができる。宇宙ロケットと弾道ミサイルは上に載せているものの違い程度の差であり(実際に北朝鮮でも弾道ミサイルを宇宙ロケットであると自称している)北朝鮮の工作員や協力者がここで情報を収集しようとした可能性もある。あらためて警鐘を鳴らす必要があるかも知れない。
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