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2014年2月 6日

59年

【調査会NEWS1476】(26.2.6)

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 1万キロ現地調査第19回の対象者のお一人、羽生弘行さんは昭和30年(1955)10月23日の失踪です。実に59年前になります。

 実は当初の連絡先になっていたご家族(娘さん)と住所変更で連絡がとれなくなっており、また昔の事件なので新たな情報は難しいかなというのが当初の予想でした。ところが、事前調査をしていた曽田常務理事が現地屋久島のご家族を探し出し、連絡をとって調査当日奥様・息子さん・妹さんにお会いすることができました。また、この調査の過程で失踪が昭和30年だったことが分かりました(当初の届出は31年)。奥様は93歳になられます。30代前半でご主人が失踪し、それからお子さんたちを育ててご苦労されたと思いますが、今もお元気でお話しにもしっかり受け答えして下さいました。

 今回、直接お話しをうかがえたことで、失踪についてのディティールがかなり明らかになりました。羽生さんの乗られた「なには丸」は漁に出たものと思っていたのですが、実際は漁ではなく、高知県出身の親子2人にチャーターされた形で、それに親戚や知人が便乗して約30km離れた口永良部島へ向かったまま行方不明となっていました。

 その親子が口之永良部島に行った理由は「椎の実を買い付けに行くため」ということで、奥様もそのことを話しておられました。前の年にも来ていて、椎の実でもうけたので仕入れに行くと言っていたとのこと。

 しかし、前にも書きましたが森山理事が当時この地域に住んでいた人に確認したところ、口之永良部島で椎の実が特産ということはなかったそうです。しかも昭和30年当時、高知から屋久島に行くとなると汽車と船を乗り継いで日向灘を越えて宮崎に渡り、そこから鹿児島に行ってまた船ですから大変な苦労です。椎の実をリュックサックに詰めたところで運べる量はたかが知れています。そもそも高知は森林が多く、屋久島まで来なくても椎の実はいくらでも手に入ったはずです。

 また、この親子には30代の女性も同伴して来ており、羽生さんのご自宅のある集落の別の家に寝泊まりしていたが、失踪からしばらくしていなくなったとのこと。さらにこの女性も含め親子の関係者からはその後羽生家に対して一度も失踪に関する問合せや連絡はなかったそうです。今のところ北朝鮮がらみという情報ではありませんが、事件性も十分に考えられます。

 現在高知では地元の上野理事が調査を行っています。前号ニュースで情報提供へのご協力のお願いをしましたが、自分たちのところにある情報も、あらためて見直し、掘り起こしをしていかなければならないのではないか。そんなことを思った次第です。

 それにしても59年。翌年に生まれた私には想像を絶する時間です。「人の身になって」という言葉に虚しさを覚えます。


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