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2014年2月26日

2・26

【調査会NEWS1484】(26.2.26)

 そういえば今日は2月26日でした。

 別にクーデターを起こそうという訳ではありません(2・26事件の青年将校も皇室を倒そうとしたわけではありませんからクーデターとは言えないでしょうが)。

 しかし現状を見ていると何かこれまでの枠組みを超えた力をかけないと事態は進展しないように思えてならないのです。政府は何らかの形で金正恩政権と話し合いをし、何人か取り返そうと思っているようですが、それはもし実現したとしてもあくまで「進展」であり「解決」ではありません。あの体制を変えるということが目的としてなければ(さらに言えば東アジアの秩序を日本が作るという覚悟がなければ)うまくいくはずはありません。中途半端でごまかそうということであれば「自分の代で拉致問題を解決する」と明言した安倍政権が国民に対してとてつもない公約違反をしたことになります。

 情報収集についてお願いをしていく中で、既に様々な情報が寄せられています。例えば警察関係の方から、ご自身の管轄ではないが日本海側のどこかの港町で子供が外国人に拉致されそうになり、地域で夜間外出を控えるように指示され、事件後学校では集団下校となったという情報があるとのメールをいただきました。

 また、福岡県の芦屋の海岸で不審な男女や灯火を見たという話もありました。芦屋は非公開の失踪者のいるところで、近くには航空自衛隊の芦屋基地もあります。

 それぞれ北朝鮮の拉致や工作活動に関わるのかは不明です。しかしこのような情報がかなり眠っていることは間違いありません。拉致と思われる失踪でも地方では近所のことを慮って警察にすら届けていないケースが相当あることは昔から聞いていました。

 既に多数の情報が届いており、今事務所の中で掘り返している情報も相当な量があります。私たちの能力でそれらの情報をすべて整理できるかどうかは分かりません。しかしできるかどうかなど考えていたらそもそも特定失踪者問題調査会という組織自体が成り立たないわけで、やるしかありません。今はともかく情報が必要です。

 2・26の青年将校もその是非はともかく、日本を思うからこそ立ち上がったのだと思います。情報の集積は法律に何も違反することはありません。ひょっとしたら集まってきた情報が日本を変えるかも知れません。一つでも多く、情報をお送りいただくよう心からお願いする次第です。

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2014年2月25日

情報シート

【調査会NEWS1483】(26.2.25)

すでに情報収集用シートは調査会ホームページでダウンロードできるようにしていますが、ただ「情報はありませんか」では集まりにくいと思いますので調査会でプリントするものには裏側に以下のような内容を付けます。皆様の周りでこれに類する情報がありましたらぜひ調査会にお寄せ下さい。

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こんな人を見たことはありませんか

・海岸の松林の中に、カバン、紙袋等を持って隠れている不審な人物

・海岸付近の岩場や草むら、無人駅に隠れている不審な人物

・暗い海岸で石を叩いたり、又は懐中電灯を点滅させて合図を送っている不審な人物

・地元の人なら誰でも知っている地名や駅への道順を、なまりのある日本語で尋ねる不審な人物

・夕暮れ時、海岸に向かう釣人風でも観光客風でもない不審な人物

こんな場面を目撃・体験したことはありませんか

例えば、夜釣りやダイビングをしていて、あるいは海岸で散歩したり遊んでいて…

・夜間、人気のない海岸に不審な小舟やゴムボートが近づいてきた

・薄暮から夕暮れ時、車で海岸近くに行ったところ何人かの不審な男たちが近づいてきた

・海上で夜灯火を消した黒っぽい船に出会った

・地元の船ではない、不審な漁船を見かけて密漁船と思って通報した

・例えば何人かの身体のがっしりした男が同じような服装(ステテコ姿とか)で歩いていたとか、明らかにその地域の住民でない違和感のある男を見かけた

あるいは街中で…

・知らない人物に声をかけられてどこかに連れて行かれそうになった

・人通りの少ない道を歩いていたら尾行され、襲われた(あるいは襲われそうになった)

・突然、道端で「この反物(和服の生地)を見て欲しい」「近くで展示会をしているなど、声をかけられた(反物に限らず車を使って販売活動をしているのに品物が見えないなど、違和感を感じたことがあれば)

・近所や知人・親戚で原因不明の失踪をした人がある

・通常のツアーの勧誘ではなく、個人的に「北朝鮮に行きませんか」と声をかけられた

・その他、北朝鮮がらみで怪しいと思ったことがある

何十年前のことでも結構です。「あのとき警察には話した」というようなことでも構いません。「おそらく考え違いだろう」とか「ただチンピラにからまれそうになっただけ」とか、決めつけないでともかく情報を送って下さい。もちろん人から聞いた話でも結構です。

特定失踪者問題調査会 〒112-0004 東京都文京区後楽2-3-8-301
FAX 03-5684-5059 email comjansite2003@chosa-kai.jp 電話 03-5684-5058

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2014年2月21日

こっちこそ失望

【調査会NEWS1482】(26.2.21)

 衛藤晟一参議院議員の「こっちこそ失望」発言が問題になっていますが、何でこんなことがいちいち取り上げられなければならないのかよく分かりません。このところのNHK籾井会長や百田尚樹さんの発言についての批判もそうですが、ことの本質というより揚げ足をとることだけが目的のように見えます。

 もし安倍政権の批判をするのなら、拉致問題でも何でももっと根本的な問題でいくらでもできるはずです。つまらないことで大騒ぎをして本当に切り込まなければならないところには手を付けないというのがジャーナリズムと言えるのか疑問です。

 これは安倍政権だけではなく、その前の民主党政権も、さらにその前の自民党政権、あるいは細川政権も村山政権も皆同じです。ともかく拉致問題の根本的な部分、特に日本国内の構造的な問題にはほとんど手を付けてきませんでした。

 例えば拉致を理由に只の一人も罪に問われていないという現実は何なのでしょう。大きな問題が起きていて、そのままではどうしようもないことが分かっていながら何十年もの間、皆がごまかし続けて今日に至っているからそうなるのであって、もうどの政権も(安倍政権も含め)自力でそれを変えることはできない状態です。

 本来この構造を変える力の一つは「報道」であるはずですが、それを分かっているジャーナリストは一部に過ぎません。かつて北朝鮮への「帰国運動」を煽ったのはほぼ全てのマスコミでした。半信半疑だった在日でも「日本のマスコミが言うのだから」と信じて北朝鮮に渡った人は少なくありません。その結果日本人妻も含めてどうなったのか、考えれば報道の責任ももう少し理解できるのではないでしょうか。

 もちろん、報道機関ではありませんが、私たちも何も進められないことの責任を逃れるつもりはありません。情報シートも週明けには正式なものを配布できるようにしますが、できるだけ早くにこれまでと比べても「異次元」の情報収集と発信をしていきたいと思います。私たちの情報発信能力は微々たるものですが、ともかく「失望」されないようがんばります。
 

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2014年2月18日

国際講座最終講

今週土曜日(22日)は拓殖大学海外事情研究所の「国際講座」です。総括講演として渡辺利夫総長がお話しします。奮ってご参加下さい。

http://www.takushoku-u.ac.jp/extension/intl_situation.html

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国連COI報告書発表

【調査会NEWS1481】(26.2.18)

 国連の北朝鮮人権問題に関する事実調査委員会(COI)の報告書が発表になりました。努力してこられた皆さんに心より敬意を表する次第です。

 COI設置については私たちはほとんどお手伝いをしていないので、していない立場として言っておきたいことが二つあります。

 一つは、ここに至ったのは国際的人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチの日本の代表を勤める土井香苗弁護士らを中心としたICNK(北朝鮮における人道に対する罪を止めるNGO国際連合)の日本メンバーの努力があったからこそということです。もともと日本政府は関心がなく、メンバーの皆さんがコツコツとロビー活動をし、今日の記者会見にも来られていた山谷えり子参議院議員ら理解ある国会議員が努力したことで政府が動いたという構図です。もちろん、最終的には日本政府の動きがあったからこそ実現したことですが、この点は忘れてはならないと思います。

 もう一つ、これから大事なのは、この報告書をどう使うかということです。これから国際法廷の問題などが出てきますが、いずれにしても国連に物理的強制力はありません。日本政府の覚悟が試されるのはこれからであり、報告書が出てあとは国連にお任せではいけないと思います。

 今日ICNKの行った記者会見でも、藤田進さん(川口)の弟の藤田隆司さんが「各国や国際社会に日本が求めていくなら、日本が国内でできることをやっているのかが問われる。いくら協力を求めるにしてもこちらが何をしているのかが問題」と言っていましたが、報告書に書かれているような残虐な人権侵害があるなら、それをどう具体的に無くすかが問題なはずです。

 日朝交渉が今後実現したとしてもこの人権問題を取り上げれば北朝鮮は拉致問題についての話し合いにも乗らなくなるかも知れません。被害者を取り返してなおかつ北朝鮮の人権状況を直していく、これは日本政府と国民の主体的な努力にかかっています。

 ある意味ではこの報告書は日本に突き付けられたものとも言えるのではないでしょうか。私たちもその意味をかみしめて努力していきたいと思います。

http://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/ReportPlacesSpotlightOnHRInNorthKorea.aspx

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2014年2月17日

「特別調査班」設置ー調査会理事会開催ー

【調査会NEWS1480】(26.2.17)

 特定失踪者問題調査会では去る15日に理事会を開催しました。各種情報収集や発信にさらに力を入れることを決めていますが、それにともない調査の深化を行うため今回内部に10名程度からなる「特別調査班」を設置し、重要情報の管理を行うこととなりました。ただしこの組織はあくまで内部のものであり、活動内容や役員構成等については公開することにより調査に支障をきたすおそれがあるため非公開とします。

 いずれにしても日本→北朝鮮(しおかぜ、バルーンプロジェクト等)、北朝鮮→日本(脱北者などを通した情報収集)、日本国内での情報収集(1万キロ現地調査や個別の情報収集)、収集した情報の国内への発信)など、より積極的な情報活動を行って参ります。情報シートは裏面に事例等を入れたものを作成しできるだけ早く公開しますのでぜひご協力をお願いします。

 なお、あわせて毎度のことですが、1万キロ現地調査等によりさらに財政状況が厳しくなっております。カンパ・「支援する会」へのご入会等ご協力何卒よろしくお願い申しあげます。

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2014年2月14日

宮崎県警のビラ

【調査会NEWS1479】(26.2.14)

 以下は昭和60(1985)年頃に宮崎県警・宮崎南警察署の名前で配布されたビラの内容です。
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○県民の皆さんへ

 密航者の発見・通報にご協力を
   〜おかしいと思ったら、すぐ110番〜

 県内では、昭和56年6月に日向市の金ケ浜海岸で北朝鮮スパイが密出国を企てたほか、昭和60年4月には、日南市の海岸に“白い怪船”が出現し、闘争するという事案も起きています。

 密航者は、これまでのケースから、夜間沖合に停泊した日本漁船を装った母船からゴムボートで不法に入国、あるいは出国をしています。

 なお、その際には、怪しまれないように観光客や釣客等を装っています。そこで次のようなことを見かけたら最寄りの派出所(駐在所)か、110番でお知らせ下さい。

・夜間、人気のない海岸に近づこうとしている小舟やゴムボート
・海岸の松林の中に、カバン、紙袋等を持って隠れている男
・海岸付近の岩場や草むら、無人駅に隠れている男
・暗い海岸で石を叩いたり、又は懐中電灯を点滅させて合図を送っている男
・地元の人なら誰でも知っている地名や駅への道順を、なまりのある日本語で尋ねる見知らぬ男
・夕暮れ時、海岸に向かう釣人風でも観光客風でもない見知らぬ男

      宮崎県警察本部
      宮崎南警察署
      (警察110番、又は53-2141)
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 先程衆議院予算委員会で三宅博議員が質問に立ち、昭和52年の宇出津事件(久米裕さん拉致)などを取り上げ「政府は北朝鮮による拉致事件を知っていたのか」と質問しました。これに対し答弁を求められた岸田外務大臣は質問とは関係ない答弁をし、古屋拉致問題担当大臣兼国家公安委員長は当時は警察も分からなかったとの認識を示しました。本当に分からなかったとしたらこれは当時の警察や政府の大変な不作為ですが、古屋大臣の立場では不作為を認識していたとしても(おそらくそうだと認識しているでしょうが)「分かっていましたが何もできませんでした」とは答弁できないでしょう。

 さて、このビラは昭和60年頃に宮崎の海岸周辺で配布されたものです。北朝鮮を特定し、極めて具体的に書かれています。昭和55(1980)年6月の原敕晁さん拉致をはじめ、北朝鮮工作員侵入、脱出などのケースが多数あり、それを警察が把握していたことは明らかです。おそらくそれは原さん拉致があったからではなく、それより遙か前からつかんでいたのだと思います。

 このようなビラによる周知を宮崎県警が行ったことは評価されるべきですが、それでも昭和63(1988)年には宮崎市大淀川河口から遊漁船共擁丸で出港した林田幸男さん・水居明さんが全くのべた凪で好天の日中、船ごと失踪しています。日本海側も含めて他の県でこのようなビラが撒かれたという話は聞いておらず、国民が情報を共有することはありませんでした。

 明日調査会では理事会を開催します。情報収集についてさらに力を入れていく予定ですが、同時に私たち自身が当然のことと思っているのに一般の方はご存じない情報が多数あるのではないかと最近痛感しています。多くの方が情報を共有することで世論も変わり、政府への圧力も単に「可哀想」という認識ではなくなると思います。情報の出し方についてもさらに検討を加えていくつもりです。
Miyazaki


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 13日に発行された「週刊新潮」の「マイ オンリー」という欄に鉄道趣味のことで紹介されました。

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2014年2月13日

■羽生弘行さんに関する事後調査結果

【調査会NEWS1478】(26.2.13)

 第19回1万キロ現地調査の対象であり、前々号ニュースでも疑問点をお知らせした羽生弘行さん(他6名)について、現地で入手した『屋久町郷土誌(第1巻・村落誌・上)』から幾つかの事実が判明しました。この本は現地調査を取材していた地元紙の記者さんが教えてくれたもので、羽生さんのところの調査を終えて港に戻る途中、役場の支所で購入しました。

 「郷土史」の記載によれば概略次のように記載されています。

●なには丸(村落史には「浪速丸」と記載)は口永良部島に椎の実を取りに行く途中行方不明となった。この日の口永良部近海は大しけだった。翌24日、25日の両日捜索を続けたが、全く手掛かりがなく捜索は打ち切られた。

※失踪当日付新聞の天気図では中国大陸から高気圧が張り出し、鹿児島から奄美諸島付近では北北東の風・風力3程度となっています。「海上では多少風波がある」と記載されていますが、大しけの様相ではありません。また「郷土史」の村落史の中で「シイの実拾い」との表題があり「11月ごろになるとシイの実が熟し、地面に落ちる。それをよく拾いに出かけていた」との記述があります。しかし羽生さんが行方不明になった10月23日が果たして「椎の実」の収穫に適していた時期だったのかは疑問が残ります。

●親族・友人を除く同乗者は商人1名となっている。

 同乗者については海保の書類からも2人であることは間違いないと思います。捜索の時期は現地調査の折の妻・ツユさんの証言では出港後、数日経過した後に同乗者の男性2名に同行してきた女性(素性不明)が口永良部島側に電話をかけて行方不明が判明したと述べており食い違います。なお、この女性の宿泊先については「郷土史」の記載から考えると地元栗生集落にあった岡留旅館(昭和27年に開業し昭和30年に閉業)と思われ、羽生さんの息子さんに確認したところ「たぶん、岡留旅館だと思う。(女性が)普通の民家に宿泊していた訳ではない」との証言を得ました。だだし現在では当時の経営者等も亡くなっているとのことでした。

 その他「なには丸」に同乗した親族・友人の氏名・住所等の確認ができた等、いくつかの新しいことがわかりました。まだ直接手がかりになるわけではありませんが、引き続き調査を進めます。お気づきの点がありましたらお知らせ下さい。

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2014年2月10日

佐村河内守

【調査会NEWS1477】(26.2.10)

 あまり音楽の素養がないのでそもそもこの人のことを知らず、最初どう読むのか分かりませんでした。

 様々なニュースがマスコミで飛び交っているので分かったようなお話しは避けたいと思いますが、このニュースを聞いて思いついたのは何と言っても「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」です。近くで事情を知る人間はおかしいと思っており、しかし大多数の人々にはそのような情報は伝えられず、作り上げられたストーリーが伝播されるという点では全く同じとも言えます。

(DNAデータ偽造事件についてご存じない方もおられると思いますが、概略は下記資料や「隼チャンネル」をご覧下さい)

資料 http://www.chosa-kai.jp/shiryou.html
隼チャンネル動画 http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/mobile/HAYABUSA-002.html

 報道関係の皆さんの中に秘密保護法のことで騒ぐ人は少なくありません。まあ国家権力による規制というのは常に注意を払う必要があると思いますが、そういいながら特に拉致問題など、情報はお役所からもらうばかり(ということはお役所に決定的にマイナスになることは報じない)というのはいかがなものでしょう。

 そのお役所(正確に言えば何十年もの間の政府)のやり方が間違っているからこそ拉致問題が解決しないわけで、そこから出てくる情報だけで報道してもほとんど意味はありません。逆に不作為や隠蔽を正当化する手段として使われるだけでしょう。

 今回、多くの人は「被爆二世の全聾の作曲家」というイメージに騙されました。しかし音楽は作曲したのが佐村河内氏だろうと新垣隆氏だろうと、良いものは良い、悪いものは悪いで割り切れます。また、あくまで音楽の話ですから、金銭的なことを別にすればそれほどの実害はありません。

 拉致は被害者の生命人権・そして国家主権の問題です。DNAデータを偽造して拉致問題の進展を妨げようとする行動は悪いに決まっています。どこに「拉致事件における佐村河内守」がいるのか、私たち自身が常に真実を見つめていく努力を怠ってはならないと思っています。

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2014年2月 6日

59年

【調査会NEWS1476】(26.2.6)

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 1万キロ現地調査第19回の対象者のお一人、羽生弘行さんは昭和30年(1955)10月23日の失踪です。実に59年前になります。

 実は当初の連絡先になっていたご家族(娘さん)と住所変更で連絡がとれなくなっており、また昔の事件なので新たな情報は難しいかなというのが当初の予想でした。ところが、事前調査をしていた曽田常務理事が現地屋久島のご家族を探し出し、連絡をとって調査当日奥様・息子さん・妹さんにお会いすることができました。また、この調査の過程で失踪が昭和30年だったことが分かりました(当初の届出は31年)。奥様は93歳になられます。30代前半でご主人が失踪し、それからお子さんたちを育ててご苦労されたと思いますが、今もお元気でお話しにもしっかり受け答えして下さいました。

 今回、直接お話しをうかがえたことで、失踪についてのディティールがかなり明らかになりました。羽生さんの乗られた「なには丸」は漁に出たものと思っていたのですが、実際は漁ではなく、高知県出身の親子2人にチャーターされた形で、それに親戚や知人が便乗して約30km離れた口永良部島へ向かったまま行方不明となっていました。

 その親子が口之永良部島に行った理由は「椎の実を買い付けに行くため」ということで、奥様もそのことを話しておられました。前の年にも来ていて、椎の実でもうけたので仕入れに行くと言っていたとのこと。

 しかし、前にも書きましたが森山理事が当時この地域に住んでいた人に確認したところ、口之永良部島で椎の実が特産ということはなかったそうです。しかも昭和30年当時、高知から屋久島に行くとなると汽車と船を乗り継いで日向灘を越えて宮崎に渡り、そこから鹿児島に行ってまた船ですから大変な苦労です。椎の実をリュックサックに詰めたところで運べる量はたかが知れています。そもそも高知は森林が多く、屋久島まで来なくても椎の実はいくらでも手に入ったはずです。

 また、この親子には30代の女性も同伴して来ており、羽生さんのご自宅のある集落の別の家に寝泊まりしていたが、失踪からしばらくしていなくなったとのこと。さらにこの女性も含め親子の関係者からはその後羽生家に対して一度も失踪に関する問合せや連絡はなかったそうです。今のところ北朝鮮がらみという情報ではありませんが、事件性も十分に考えられます。

 現在高知では地元の上野理事が調査を行っています。前号ニュースで情報提供へのご協力のお願いをしましたが、自分たちのところにある情報も、あらためて見直し、掘り起こしをしていかなければならないのではないか。そんなことを思った次第です。

 それにしても59年。翌年に生まれた私には想像を絶する時間です。「人の身になって」という言葉に虚しさを覚えます。


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チャンネル桜(2月4日)

チャンネル桜でお話しさせていただきました。

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拓殖大学「国際講座」

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 土曜日の国際講座。大学の公開講座としては珍しい企画だと思います。ぜひお誘い合わせの上おいで下さい。

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2014年2月 5日

「拉致問題・北朝鮮工作活動に関する情報シート」についてご協力お願い

【調査会NEWS1475】(26.2.5)

■「拉致問題・北朝鮮工作活動に関する情報シート」についてご協力お願い

 すでにお知らせしていますが、現在調査会では全国に眠っている情報の掘り起こしを進めています。この情報提供のためのシートをホームページに載せましたので「拉致されそうになった」「怪しい船を見た」等、北朝鮮の拉致や工作活動に関係すると思われる情報がありましたらぜひお寄せ下さい。シートは下記からダウンロードできます。

http://www.chosa-kai.jp/140204.html

 情報の信憑性についてはご自分で判断せず、そのままお送り下さい。一見何でもないと思われるような情報でも他の情報と重ね合わせると意外なことが分かったりします。また、既に警察などの公的機関に情報提供したことでも結構です。警察などに情報が入った場合捜査をするとなれば情報を出すことは難しく、結果的に貴重な情報が眠ってしまう場合もあります。

 1月30日鹿児島で発表した新情報もそうですが、最近別の地域の政府認定者に関する情報なども出てきています。政府認定拉致被害者の場合これまで何度も報道されているのですが、それでも出てくるということは特定失踪者の場合隠れている(あるいは隠されている)情報が大量にあることを意味します。当然誤認やガセ情報などもあるとは思いますが、そのような可能性も含んだ上でともかく一旦検討材料にしていきます。ぜひご協力をよろしくお願いします。

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2014年2月 4日

第19回1万キロ現地調査(種子島・屋久島)概要と調査結果について

Dscn2227【調査会NEWS1474】(26.2.4)
 以下、少々長くてすみませんが今回の現地調査についてご報告します。写真は羽生弘行さんの奥さん、ツユさん(93歳)の「しおかぜ」収録です。

1、現地調査の概要

●目的

(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。

(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。

(3)現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

●参加者

調査会:荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・武藤・森山  計 7名

特定失踪者家族:
 日高満男さん姉・田中恵美子さん、日高満男さん妻・日高夫味子さん。羽生弘行さん妻・ツユさん、次男・弘訓さん、弘行さん妹・岩川サヤさん
(報告会のみ参加 園田一さん・トシ子さん長女・前山利恵子さん、利恵子さん夫・前山光秋さん、田中正道さん妹・村岡育世さん)計4家族 8名

家族会:増元照明事務局長 調査会を支援する会:梅原克彦監査 

地元:浄土真宗本願寺派南島組各寺のご住職他支援者の皆様

●日程

平成26年1月29日(水)〜1月30日(木)

■1月29日(水)

鹿児島港→種子島西之表港 

〇午前中、国上地区の湊漁港において非公開Aさん関連について、当時の漁師仲間の方々から聴取。

○称念寺(西之表市国上)で現地支援者との情報交換及び懇談を実施。

〇日高満男さん関連について御家族から聴取、「しおかぜ」収録。

〇19:00〜21:00 西之表市民会館で「拉致問題の現状報告及び懇談会」開催。市長及び浄土真宗本願寺派南島組代表挨拶。

■1月30日(木)

種子島西之表港→屋久島宮之浦港

〇午前中、栗生地区の羽生弘行さん宅において御家族から『なには丸』出発地点と当時の状況について聴取、ご家族からの「しおかぜ」収録。

〇午後、宮之浦港において加藤義美さん関連調査。
屋久島宮之浦港→鹿児島港

〇18:30〜21:00 『サンプラザ天文館』3階にて現地調査報告会及び家族懇談会。新証言(三島ヤス子さん)の報告。

2、調査対象者概要と調査結果

(1) 非公開Aさん

 ア 基礎事項

生年月日:1940(昭和15)年生(現:73歳)

当時身分:漁師

当時住所:鹿児島県西之表市(種子島)

失踪日:1996(平成8)年2月

最終失踪関連地点:鹿児島県西之表市

 イ 失踪状況

 当日朝7時頃、1人で漁に出て夕方4時頃に帰港する予定だったが帰港せず、夜になって捜索願を出して捜索が始まる。同日午後11時45分、船は西之表市喜志鹿埼灯台から約24km付近の海上でエンジンがかかった状態で発見されたが、本人の姿はなく行方不明となる。失踪前日、漁師仲間に自分の船に「不審な船が近寄ってきた」旨の話しをしていた。

 ウ 調査結果

 Aさんは失踪の前日、漁から帰港した後、漁師仲間のBさんに「今日は妙な船が近づいてきた」と、不審船について話していたとの事だったが、別の漁師の方はAさんが不審船について「自分の船の周囲をグルグル廻って行った」と聞いていた。更にAさんの奥さんは、Aさん自身から不審船について「朝鮮語を話す船が近づいてきた」と聞いていたことが判明した。

 Aさんの船は発見当時、エンジンがかかったままの状態で発見され、捜索に当たっていた漁師の方が船を湊漁港まで搬送したが、船は当日の午前7時頃に湊漁港を出て実に17時間以上エンジンがかかったままの状態だったことになる。

 現地調査当日、当時の漁師仲間の方々のお一人から「20年近く前に沖で夜間操業中、無灯火で漁場に停止していた黒っぽい不審船に衝突しそうになったことがある」と証言があった。20トンくらいの船に見えたとのことで、これは平成13年の奄美沖工作船事案の船ともほぼ同じ大きさである。上海沖に工作船の補給基地があると言われていることからもこの周辺に工作船が出没していて不思議ではない。今後海上保安庁や海洋関係の専門家からも情報を収集したい。

(2) 日高満男(ひだか みつお)さん

  ア 基礎事項

生年月日:1958(昭和33)年8月16日 (現:55歳)

当時身分:港湾土木作業員

当時住所:鹿児島県鹿児島市

失踪日:1989(平成元)年2月23日

最終失踪関連地点:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域(諏訪瀬島)

  イ 失踪状況

 知人の漁船『大昭丸』に1人で乗り込み、諏訪瀬島・元浦港南西漁場で操業。当日午後2時頃、他の漁船に目撃されているのが最後。日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った結果、翌24日、諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で釣糸も垂れたままだった。

 不明となった1〜2年後、家族の家に無言電話があり、毎日夜12〜1時、1ヶ月くらい続く。無言だがモールス信号のような音が聞こえた。

  ウ 調査結果

 日高さんは失踪当時漁師をしていた訳ではなく、知人宅に居候しながら建設関係の仕事を続け、失踪当日は知人の持ち船を借用して釣りに出かけたことが判明した(これまでは仕事で漁に出ていたものと思われていた)。

 船は日高さんの捜索が始まった後、潮流に運ばれて切石港近くまで漂流してきたため、一時は「日高さんの船が帰ってきた」と思われたが、実際には無人だった。

※ 今回、当時の知人で船の持ち主だった男性が西之表市に在住されていることが判明し、御家族共々当時の状況についてお話を伺おうとしたが、面会はかなわなかった。日高さんはこの男性に声をかけられて諏訪之瀬島に行っており、父親からは反対されていたという。反対を押し切って諏訪之瀬島に行った理由の調査も必要であると思われた。

(3) 羽生弘行(はぶ ひろゆき)さん

  ア 基礎事項

生年月日:1917(大正6)年11月5日(現:96歳)

当時身分:半農半漁

当時住所:鹿児島県熊毛郡屋久町(現屋久島町)栗生

失踪日:1955(昭和30)年10月23日

最終失踪関連地点:鹿児島県熊毛郡屋久町(現屋久島町)

  イ 失踪状況

 屋久島の栗生川河口の船着場から便乗者6名を乗船させて約30km離れた口永良部島へ向かったまま行方不明となった。捜索は広範囲に行われたが、船も乗員も発見されていない。

  ウ 調査結果

 当時羽生さんの船『なには丸』は、操業する際には船長である羽生さんと機関士の2名で運行していた。失踪当日、高知県から訪れた3名の男女のうち、男性2名(親子)が口永良部島に「椎の実を買い付けに行くため」という理由で羽生さんに頼んで船を出してもらうことになったが、丁度機関士の方が風邪で寝込んでいたため、船は羽生さん一人で運行することになった。

 羽生さんが「口永良部島に行く」ということで、知人や親戚が便乗することになり、結果、高知県の男性親子2名、羽生さんの知人・親戚4名、船長の羽生さんと都合7名が『なには丸』に乗船して自宅脇の栗生川の船着場から出港した。出港の際、羽生さんの妻・ツユさんは船着場が見える畑で農作業をしていて、『なには丸』が出港するのを見届けていたが、機関士が乗船していないためかエンジンの調子が悪かったようで、何度か川を行き来して試運転していたのを見ていた。便乗した2人と共に高知県から一緒に来たと思われる女性は、近所の家に寝泊りしていたが、『なには丸』の失踪後、いつの間にか近所の家から姿を消したとの事。

 『なには丸』の失踪後、高知県に居ると思われる男性親子の関係者からは一度も失踪に関する問合せや連絡はないとの事だった。この親子については、父親と思われる男性が以前、鹿児島市内で島に渡る船に乗り遅れて困っているところを羽生さんの親族が栗生まで案内し、羽生さんが口永良部島に乗せた経緯があり、失踪時に訪れたのは2回目だった。

 この際男性は、「前回仕入れた椎の実で儲けたため、今回も椎の実を仕入れに行く」旨の話しをしていたという。当時この地域に住んでいた人に確認したところ、「口之永良部島で椎の実が特産ということはなかった」とのこと。昭和30年当時とは言え高知から遠路屋久島に渡り、さらに口之永良部島まで行って椎の実を取って帰るのが商売になったとは考えにくく、あらためてこの同乗者についての調査が必要であると感じられた。

(4) 加藤義美(かとう よしみ)さん

  ア 基礎事項

生年月日:1943(昭和18)年11月22日(現:70歳)

当時身分:船員

当時住所:鹿児島県鹿児島市喜入

失踪日:1995(平成7)年2月15日

最終失踪関連地点:鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦港(屋久島)

  イ 失踪状況

 港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1〜2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と宮之浦のスナックとクラブ2軒で午後11時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。1階食堂に本人が外出時着ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。

  ウ 調査結果

 宮之浦港現地で当時、作業用台船が停泊していた場所について確認し、フェリー関係者等から港湾の状況について聴取した結果、堤防等の形状、港湾内の水深等は当時と殆ど変化がないことが確認され、当時の状況について検証を行った。

 当時、作業用台船には6名の乗員が居たことが判明したが加藤さんの失踪日前夜、飲みに出かけているのは4名であり、船内には2名が残留していた可能性が高い。現場は水深も浅く水も澄んでおり、周囲の状況からしても足を滑らせておぼれ、遺体が沖に流された可能性は低いと思われた。失踪が分かって数時間後には警察に届けており、その後捜索を行っているが、事件性について警察が疑わなかったのか、疑ったが何かの理由で隠したのかが不明。同僚の身元などについても今後調査の必要があると感じられた。

●今回の走行距離:545km  累計走行距離5,296km

追記:種子島での現地調査終了後、地元の方のご配慮で宇宙センターの見学を行った。実物大のロケットの模型などを見て北朝鮮のミサイル発射についての感覚を得ることができたが、施設に入ってみてセキュリティが甘いことを実感した。偽名でも事前に登録すれば見学ができる。宇宙ロケットと弾道ミサイルは上に載せているものの違い程度の差であり(実際に北朝鮮でも弾道ミサイルを宇宙ロケットであると自称している)北朝鮮の工作員や協力者がここで情報を収集しようとした可能性もある。あらためて警鐘を鳴らす必要があるかも知れない。

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2014年2月 2日

馬渡事件と同時期の新証言

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【調査会NEWS1473】(26.2.2)

 このところ相次いで市川修一さん・増元るみ子さんの拉致された鹿児島県吹上浜周辺の情報が出ていますが吹上浜とは反対側の大隅半島東串良町で昭和46年10月頃ドライブ中の男女が襲われたとの情報提供がありました。

 この情報については1月30日に鹿児島で開催した現地調査の報告会で発表され、当事者のお一人である三島ヤス子さんが説明して下さいました。概略は次のようなものです。

1、昭和46年(1971)10月頃、三島さんと同級生から紹介された男性Aさんが二人で東串良町柏原海岸に車で行った。

2、少し薄暗くなる頃、海岸近くで2人が車を降りてすぐ、7、8人の男が突然走って来た。

3、びっくりして三島さんが運転席に乗り、Aさんは助手席に乗り車を走らせようとした時、運転席のフロントガラスを何かで叩かれてガラスにヒビが入った。

4、男たちの顔を見る余裕はなかった。黒っぽい服装だったような気がするがあまり記憶はない。

5、逃げて帰る途中、派出所に襲われた事を話しすぐ現場に行ってくださいとお願いした。そのまま怖くなって逃げ帰った。Aさんとはその1回きり会っていない。

 この事件は同年10月2日、薩摩半島南端近くの頴娃町(現在の南九州市)馬渡海岸で工作員が捕まった事件とほぼ同じ時期であり、東串良町の北は2か月後の昭和46年12月30日、園田一さん・トシ子さん夫妻が失踪した大崎町です。この情報は極めて重要だと思います。調査会では今後さらに埋もれた情報の掘り起こしを行います。皆様方のご協力を心よりお願い申しあげます。

(写真は園田一さん・トシ子さん)

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