■羽生弘行さんに関する事後調査結果
【調査会NEWS1478】(26.2.13)
第19回1万キロ現地調査の対象であり、前々号ニュースでも疑問点をお知らせした羽生弘行さん(他6名)について、現地で入手した『屋久町郷土誌(第1巻・村落誌・上)』から幾つかの事実が判明しました。この本は現地調査を取材していた地元紙の記者さんが教えてくれたもので、羽生さんのところの調査を終えて港に戻る途中、役場の支所で購入しました。
「郷土史」の記載によれば概略次のように記載されています。
●なには丸(村落史には「浪速丸」と記載)は口永良部島に椎の実を取りに行く途中行方不明となった。この日の口永良部近海は大しけだった。翌24日、25日の両日捜索を続けたが、全く手掛かりがなく捜索は打ち切られた。
※失踪当日付新聞の天気図では中国大陸から高気圧が張り出し、鹿児島から奄美諸島付近では北北東の風・風力3程度となっています。「海上では多少風波がある」と記載されていますが、大しけの様相ではありません。また「郷土史」の村落史の中で「シイの実拾い」との表題があり「11月ごろになるとシイの実が熟し、地面に落ちる。それをよく拾いに出かけていた」との記述があります。しかし羽生さんが行方不明になった10月23日が果たして「椎の実」の収穫に適していた時期だったのかは疑問が残ります。
●親族・友人を除く同乗者は商人1名となっている。
同乗者については海保の書類からも2人であることは間違いないと思います。捜索の時期は現地調査の折の妻・ツユさんの証言では出港後、数日経過した後に同乗者の男性2名に同行してきた女性(素性不明)が口永良部島側に電話をかけて行方不明が判明したと述べており食い違います。なお、この女性の宿泊先については「郷土史」の記載から考えると地元栗生集落にあった岡留旅館(昭和27年に開業し昭和30年に閉業)と思われ、羽生さんの息子さんに確認したところ「たぶん、岡留旅館だと思う。(女性が)普通の民家に宿泊していた訳ではない」との証言を得ました。だだし現在では当時の経営者等も亡くなっているとのことでした。
その他「なには丸」に同乗した親族・友人の氏名・住所等の確認ができた等、いくつかの新しいことがわかりました。まだ直接手がかりになるわけではありませんが、引き続き調査を進めます。お気づきの点がありましたらお知らせ下さい。
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