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2014年3月31日

寺越さんの訪朝

【調査会NEWS1513】(26.3.31)

          副代表 岡田和典

 日朝局長級会議で「寺越昭二さん家族の訪朝について話し合われている」との報道があります。

 墓参と遺骨収集のためとのことですが、墓に刻まれた寺越昭ニさん誕生日の日付が1日違うこと、過去に遺骨と称して引き渡された物は、遺骨ではなく赤土であった(私の記憶では200万円支払ってます)ことを北朝鮮はどのように説明するのでしょうか。

 長年に亘り北朝鮮に申し入れていたことであり、拉致問題に巻き込まれ、寺越家分断というご家族の地獄のような苦しみを考えると、この話し合いが前進への一歩となることを願うばかりです。

 ただ、訪朝するのであれば、何としても実現してもらわねばならないことがあります。

 北朝鮮で亡くなったとされる寺越外雄さんは、帰国事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人韓福生さんと結婚し、2人のお子さんがいます。お孫さんもいるようです。神戸にお住まいであった兄の寺越文雄さん(故人)とは100通以上文通し、繰り返し日本への家族での帰国を訴えていました。墓参訪朝団とともに、外雄さんの家族が同じ飛行機で帰国してこそ、昭二さんと外雄さんへのご供養になるのではないでしょうか。
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※寺越事件 昭和38年(1963)5月、能登半島近海で漁に出た漁船が消息を絶ち、寺越昭二さん・弟の外雄さん・甥の武志さんが行方不明になった。後に漁船だけが漂流しているのが発見されたが海難事故として処理され、3人の戸籍は抹消された。それから24年経った昭和62年(1987)突然姉に外雄さんからの手紙が届き、武志さんと共に北朝鮮にいることが分かった。武志さんの両親が訪朝し外雄さん・武志さんと面会する。2人は昭二さんが既に死亡した、自分たちは海難事故で漂流しているところを北朝鮮の船に救われたとして拉致を否定した。外雄さんは平成6年(1994)に北朝鮮で死亡したとされている。3人は明らかに拉致被害者であるにも関わらず、日本政府は拉致認定をしていない。

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