放置国家
【調査会NEWS1504】(26.3.22)
救出運動が始まったころ、警察庁の担当者に会うと(特に公式の場で)、「法と証拠に基づいて厳正にやっています」と言われたことが何度もありました。
そのときは、「そうか、なかなか証拠が出てこないから前に進まないのだな」、あるいは「法律を整備しないと進展させられないのかな」と思っていました。まだ政府は「拉致」と断定せず、「拉致疑惑」と言っていたときです。
しかし、この言葉は最近あまり聞かなくなりました。「法と証拠に基づいて」いなかったことが誰の目にも明らかになったからです。それどころか、現地調査の結果、あるいは最近毎日何件も届いてくるようになった情報などからするとこの国は何十年もの間やられ放題やられて、ほとんど何もしてこなかったということがますます感じられるようになりました。
「法治国家」だと思っていたら「放置国家」だった。これが実感です。
先日、ある元自衛官(故人)のご子息にお会いしたとき聞いた話ですが、お父さんは昭和40年頃1か月位家を空けて日本海側に行っていたそうです。それは演習名目での海岸線の北朝鮮工作員上陸に対する警戒監視、威嚇だったらしいとのこと。後にお父さんは拉致問題がテレビで放送されるのを家で見ていて、お母さんが「かわいそう」と言ったところ、「10人や15人ではない、100人以上はっきりしているんだ」と語ったそうです。お母さんが「何でそんなこと分かるの」と聞いたのには答えませんでした。
このようなケースは極めて稀な、現場の判断で行われたことだと思います。少なくとも公式的には自衛隊はこれまで拉致問題にほとんど関与してきませんでした。正確に言えばあえて排除されてきたと言っても間違いないでしょう。去年の政府主催拉致問題コンサートで「海上自衛隊の歌姫」と言われる三宅3曹が歌を歌ったのが「自衛隊の関与」としては初めてかも知れません(調査会では平成18年、朝霞の陸上自衛隊広報センターで集会を開催しています。協力いただいた当時の千葉駐屯地司令はじめ、自衛隊の中にその思いを持っている人が少なからずいることは確かです)。
いざというときには様々なことが起きるわけで、突然「助けに行け」と言われてもできるはずはありません。また、情報収集能力だけをとっても自衛隊には独自の能力があります。それを使ってこなかったのは敢えて使ってこなかったということでしょう。それはひょっとしたら歴代防衛庁長官の中に金丸信や加藤紘一といった皆さんが名前を連ねていることと関係しているのかも知れません。
いずれにしても、「法治国家」なら国家の主権と国民の安全を守ることを最優先するのが当然です。「法と証拠」以前の「常識」に立ち返らなければならないと思います。
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