セウォル号
【調査会NEWS1539】(26.4.27)
韓国の旅客船セウォル号は今も100人を越す行方不明者が船内にいるものとされています。今日の日比谷での国民大集会でスピーチした折少し触れたのでこの事故で思ったことを少し述べておきたいと思います。
この事故は船を購入した後の改造、過積載、積み荷の固定の不十分、操舵ミス、事故後の対処など、様々な過ちが積み重なっています。まあ、韓国語で言う「ケンチャナヨ(構わない)」というマインドがもろに悪い方に出た事故と言えます。
しかし考えてみると人の国のことは言えません。拉致問題もあのセウォル号のようなものではないかと思います。日本の防諜体制の不備、国民の安全保障意識のなさ、マスコミの報道、硬直化した救出への対処など様々なところで皆が少しずつ「ケンチャナヨ」と言ってきたことが拉致を許し続けたのではないでしょうか。
さらに、その被害をごく僅かであるかのように言いつのってきた政府は、あの事件に例えるなら「沈んだのは釣り船で、自分で操船を誤ったもの」としてごまかすようなものです。場合によっては「船は沈んでいない」とすら言っているのと変わりありません。
拉致問題を放置するというのはまさにセウォル号が沈んでいくのを傍観しているのと変わりがありません。少なくともセウォル号の周りをぐるぐる回りながら、「法律の制約があるの救助できない」などということは言えないはずです。
多数の高校生が乗っていたことはまさに悲惨の一語に尽きます。一刻も早くご家族のもとに帰ってもらいたいと祈るだけですが、拉致被害者はまだ取り返すことが可能です。私自身もう一度自らの責任を噛みしめたいと思います。
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