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2014年5月 8日

70年代から80年代

【調査会NEWS1545】(26.5.8)

 もう一つ、「思い込み」の続きです。

「1970年頃から80年頃にかけて、北朝鮮による日本人拉致が多発しました。現在、17名が政府によって拉致被害者として認定されています」

 これは政府拉致問題対策本部のホームページに記載されている説明です。

 一方、調査会のホームページから「失踪者リスト」というところをクリックしていただくと、昭和23年(1948)失踪の平本和丸さんにはじまって平成15年(2003)の高見至さんまで失踪者が並んでいます。「何で政府の認識とこれほど違うのだろう」と思われた方もおられるでしょう。もちろん、調査会のリストの中には後に拉致でなかったことが分かる人も出てくるとは思いますが、それにしても拉致対ホームページの記載とは相当な差があります。

 私の記憶に間違いがなければ、当初は「1970年代後半から80年代前半にかけて北朝鮮による拉致事件が起きました」といったような書き方だったと思います(対策本部のホームページではなく別のところだったかも知れませんが、いずれにしても政府機関の表現)。その後色々調べていくうちにこの期間内だけでないと気付いた、あるいは隠しておけなくなったために微妙に表現を変えてきたものと思われます。

 組織的な拉致が1970年代後半から始まったという説のもともとの根拠は韓国で発刊された『金正日と対南工作』という本です。シン・ピョンギルという1970年代に韓国に亡命した元北朝鮮工作機関要員の書いたもの。1970年代半ば、金正日が金日成の後継者に決まった後工作機関を掌握するために工作活動の再点検を行い、その過程で昭和51年(1976)年初めに工作員の現地化を命じたことが計画的日本人拉致につながったと書かれています。

 しかしこれだと警察の幹部が内部で「次に政府認定されるとすれば大澤孝司さんか川口の藤田進さん」と言っているといわれる2人とも該当しなくなります。大澤さんは昭和49年(1974)2月24日ですし、藤田さんは昭和51年2月7日で、どう考えても間に合いません。もちろんその他の失踪者でもこの時期に入らない人は少なくありません。

 元北朝鮮工作員だった安明進氏は「拉致は金日成の時代からやっていたが、金正日の指示はそれを金正日の功績とするためにクローズアップしたのではないか」と言っていました。「山賊国家」とも言える北朝鮮にとってやり方は様々であっても外国人を連れて来て使うというのは最初から当然のことだったのではないでしょうか。

 この時期的な思い込みは単なる錯誤ではなく、内外の様々な機関の様々な意図に基づく情報操作だったのではないかと思います。拉致が北朝鮮という国の体質から導き出されるものである限り、また誰一人として日本国内の工作員・協力者が罪に問われていないという現状では今後も拉致が実行される可能性は常に存在します。拉致の本質を理解し抑止するためにはこの認識からの脱却が欠かせません。

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