ク・オ・グム
【調査会NEWS1555】(26.5.25)
先日佐藤守・元空将からいただいた新聞記事の切り抜きの中に昭和58年12月14日付西日本新聞の小さな記事がありました。内容は次のようなものでした。
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「日本経由で工作員を送る」北朝鮮スパイ会見(ソウル14日小林特派員)
韓国ソウルに侵入しようとして捕らえられた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のスパイ全忠男(27)、李●●(23)の2人が14日、ソウルの陸軍本部で記者会見し、訓練状況、侵入経路などを説明した。このなかで二人は去る10月27日、平壌で労働党対南事業部、林ホグン作戦部長(58)から金正日党書記直筆の工作命令書を受け取ったという。
また二人は以前も実際の作戦に参加しており、全は80年7月、島根県益田市海岸に工作員1名を送り込み、昨年10月には釜山、多大浦海岸に工作員1名を案内したことがあった。また、李も昨年6月、山口県長門市海岸に侵入、26歳位になる在日朝鮮人(男性)を連れて北朝鮮に帰国したと語った。
(「李●●」は、昨年11月の山口での現地調査に同行してくれた李相哲氏(仮名)です。記事には本名で書かれているのですがここでは伏せ字にしてあります。また、この記事は李氏に韓国語に訳して送ったものを原文が今手許にないため再度日本語に訳したもののため原文と少し変わっているかも知れません)
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この内容を李氏に送り、全忠男氏の益田海岸侵入について詳しく分からないかと聞きました。詳しくは分からなかったようですが、「1980年7月、岩に『ク・オ・グム』と書かれたところ」との返事が人づてにありました。
「ク・オ・グム」とは何だろうと思い、連絡を取り次いで下さった方を通して確認したところ、漢字の「禁漁区」の朝鮮語読みではないかということになりました。ただし、並べ方からすると「区漁禁」になります。朝鮮語は現在の日本語と同じく左から右へ書きますから、この岩には右から左に書かれていた可能性があります。
現在しおかぜネットワーク参加組織である東アジアネットワークの石原倫理代表(松江市)にお願いして調べてもらっていますが、石原代表がかつて調べた情報で、益田市には朝鮮総聯の役員で工作員の疑いのあるDという人物が居住していたことが分かっています。情報が正しければこの工作員送り込みにもDが関与している可能性があります。
当時の益田の海岸をご存じとか、本件に関して情報をお持ちの方がおられましたらお知らせ下さい。氷山の一角でしょうが、また新たなことが分かるかも知れません。
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