「恵子だけではだめなんです」
【調査会NEWS1576】(26.6.16)
小泉訪朝の半年前、平成14年(2002)春頃有本恵子さん帰国という噂がさかんに飛び交ったことがあります。調査会が出来るのは翌年で、当時私は救う会全国協議会の事務局長でした。
「有本さんが北京に出た」「有本さんが神戸の自宅に帰っている」「平壌でTBSが有本さんの独占取材をした」など、この当時様々な情報が流れました。実際第1次拉致議連の会長であった中山正暉議員(当時)はよど号グループがらみで第三国解放の方向を模索しており、北朝鮮の意図を体して有本さんご夫妻に救う会との関係を絶つように求めたこともありました(それがきっかけになって第一次拉致議連は解散、中山議員を排除して現在の拉致議連が結成されました)。
北朝鮮が有本恵子さんを選んだのは、暴力的に連れ去ったことが明らかな横田めぐみさんらとは異なるからです。騙されたとはいえ自分の意志で北朝鮮に入った恵子さんは、北朝鮮からすれば「来たくてわが国にやってきた。そして自分の意志でそのまま居続けた」と言える余地があります(もちろん常識からすれば無理な話ですが)。そして第三国で突然現れれば北朝鮮は拉致を認めなくてすみます。日本側では「北朝鮮は軟化している。関係を良くすればさらに拉致被害者を交渉で取り返せるかも知れない」という期待を抱き、国交正常化の動きに拍車がかかったのではないか。少なくとも当時北朝鮮は明らかにそれをしようとしていました。
しかし、お母さんの嘉代子さんは度々「恵子だけではだめなんです。皆一緒でなければだめなんです」と強調しておられました。後で考えると、有本恵子さんが帰国させるリストから外されたのは、有本恵子帰国で終わらせられると思った北朝鮮側が、それではすまないと思って方針を変えたのかも知れません。であれば有本恵子さんがあのとき帰国できなかったことには私も責任の一端があると言えるでしょう。
5月29日の合意発表以来、帰国予定者リストについての報道がなされています。北朝鮮は帰国させる拉致被害者をすでに平壌に集め教育したり多少は良いものを食べさせて見劣りしないようにしようとしているでしょうから、確かにリストはあるのかもしれません。しかし相手は山賊国家、虚実とりまぜた情報を色々なルートから流しているはずです。一喜一憂してはいけません。
交渉ですべてを取り返すことはできないのですから、ともかく何人でも帰ってくればそれはそれで成功だと思います。「一緒に」は無理ででしょう。しかし、「皆帰ってこなければだめなんです」ということだけは国民の意志として持つ必要があると思います。
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