続・温海事件
明日から山形の現地調査です。今何とか自分の作る資料の作成を終えましたが、その中で温海(あつみ)事件にかかわることだけとりあえずお知らせしておきます。この事件はその内容もさることながら、結末がまさにわが国の現実を象徴している事件です。
◎この資料作成にあったっては以下を参考にしました。それぞれの記載には相違があるので総合的に考えての推測です。なお、下記Aが入国ではなく出国する予定だった可能性もありますが、所持品が当時の北朝鮮からの密入国者のものと類似しているのでここでは入国を想定して推測しました。
『警察白書 昭和49年』
『金日成閣下の無線機』(佐々淳行著・読売新聞社・平成4年)
『二訂版戦後のスパイ事件』(東京法令出版・平成13年)
事件当時の山形新聞・庄内日報・新潟日報・朝日新聞・毎日新聞
昭和48年8月4日夜
鶴岡市葉山海岸から労働党作戦部戦闘員崔光成(44)・金興錫(33)及びラジオ・食糧・衣類などを携行した工作員A(40代)がゴムボートで侵入する。崔と金は工作員を上陸させてから沖合に待つ工作子船に戻る予定だったが上陸時にゴムボートに何らかのトラブルがあり戻れなくなったため、トランシーバーで工作子船と連絡を取り、子船の着岸できる温海町(現鶴岡市)早田海岸ないし鼠ヶ関付近の海岸から直接乗船することとしてゴムボートを葉山海岸の岩陰に隠す。
Aはバックアップ要員の固定工作員ないし協力者が迎えるはずだったが何らかの理由で接触できず、一旦崔・金とともに子船に戻ることにした。その後3人は南に向かって国道7号線を歩く。
8月5日0時20分頃
パトカーで巡回中の鶴岡署防犯係鈴木光也巡査と同パト係布川敏徳巡査が国道7号線の早田簡易郵便局の北を新潟方向に歩いてきた3人を見つけ職務質問した。1人が北朝鮮国籍を名乗り船が難破して泳ぎ着いたと話した(佐々氏の著書には外国なまりの日本語で「青森から歩いてきた。これから鼠ヶ関海水浴場にいくところだ」と答えたと書かれている)。外登証提示を求めたところ崔が鈴木巡査に暴行を加えようとするなど抵抗している間に金とAは山側に逃走した(佐々氏の本では3人はバラバラの方向に逃げ出したことになっている)。崔はその場で逮捕された(記録によればなぜか公務執行妨害での現行犯逮捕はされていない)。
8月5日2時30分頃
温海町小岩川沖約500メートルの会場に停泊中のモーターボート(おそらく工作子船)が突然ライトを消して新潟方面に走り去る。
8月5日4時ないし5時
現場から約1.5キロ南の鼠ヶ関キャンプ場で高校生のテントの中で寝込んでいた金を発見。逮捕した。Aは逃亡したまま逮捕できなかった。金は職質を受けた時点でナップザックを持っていたが逮捕されたときは上半身裸で持ち物はなかった。
8月5日4時
警察の要請で酒田海上保安部は巡視艇やまゆき出動。4時30分には巡視船とねも出動させる。その後第9管区海上保安本部はヘリコプターで酒田〜鼠ヶ関の海域を捜索。
8月5日夕
早田海岸の海中から金の投げ捨てたナップザックが発見される。中にはトランジスタラジオ2台、トランシーバーケース、マーキュロ、白い錠剤、ショートピースのタバコのパッケージ、トウモロコシのような食糧、衣類が入っていた。衣類の中には暗号表、乱数表、換字表が収められていた(佐々氏の著書ではこれは崔の衣類とされている)。
8月8日
朝鮮赤十字から日本赤十字宛に海難救助要請の電報が打電される。一方朝鮮総連社会局長河唱玉と安宅(あんたく)常彦代議士(山形2区・社会党)は山形県警本部を訪れ二人は遭難した北朝鮮船の乗組員であり逮捕は不当で人道上すぐ釈放して遭難者として扱うよう抗議。県警では「遭難やSOSの発信があったとは聞いておらず遭難者なら逃げる必要もなく、話すことが曖昧で密入国の疑いを解く裏付けがない」とした。(ちなみにこの日は金大中拉致事件の日)
8月23日
総連山形県本部の委員長文定萬らが記者会見。北朝鮮赤十字の声明を22日朝鮮中央通信が流したと発表。概要以下の通り。
「北朝鮮水産部の咸鏡北道オデジン水産管理局所属海洋連絡船が8月3日日本海上で漂流し乗組員3人が山形県海岸に漂着した。北朝鮮赤十字は8月7日、12日日本当局に即時送還を要求する電報を打ったが聞き入れられず調べが続いている。北朝鮮は日本漁船が漂着した場合、人道主義的に扱って即時日本に返しているにもかかわらず拘置しているのは国際慣例と人道主義原則に反する不法行為だ。日本当局が要求を拒否し続けるならこれによって生じる悪結果に対しては日本当局が全面的な責任を負うことになるだろう」
11月2日
崔と金は山形地裁で懲役1年、執行猶予3年の判決を受ける。身柄は仙台入管事務所に移され、国外退去になるが、この折「北朝鮮への送還を希望する。ゴムボートと無線機は金日成閣下のものである」と主張した。第三者の所有物なら官報に没収する旨14日間公告すべきながらそれをしていなかったため裁判所は証拠品を崔・金に返すよう命じる。「崔と金は、意気揚々、新潟港から定期船『万景峰号』に乗って、ゴムボート、無線機、乱数表などと共々、北朝鮮に帰国していった」(『金日成閣下の無線機』)
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