分かってきたこと、分からなくなったこと
【調査会NEWS1601】(26.7.18)
今鶴岡のホテルで、現地調査2日目の朝です。これから酒田と遊佐(ゆざ)に行きますが、昨日はほぼ予定通り調査を終えることができました。
山形市内での布施範行さんのご自宅ではお母さんとお兄さんにお話しをうかがい、しおかぜの収録もさせていただきました。お宅には一昨年齋藤理事と一緒におじゃまして、そのときもお母さんとお兄さんにお話しをお聞きしているのですが、今回あらためて分かったこともいくつかありました。自分自身の詰めの甘さもあるのでしょうが、やはりチームで来ると違うということを実感した次第です。
その後一気に新潟との県境に近い鼠ヶ関(鶴岡市)に行きました。前のニュースで書いたように、ここは温海(あつみ)事件の現場の一つで工作員金興錫が逮捕された海水浴場です。そこを見て、北に直線距離で1.5キロほど行ったところが金と崔光成、Aの工作員3人の職質を受けた場所、早田(わさだ)の国道7号路上でした。その後ゴムボートが隠してあった葉山海岸に行ったのですが、警察白書に載っていた場所までは時間の関係で行けず、南側の三瀬海水浴場から周囲の状況を確認しました。
時系列から行けば逆に辿ったことになるのですが、どうしても不思議だったのは葉山海岸の隣りの三瀬海水浴場自体が侵入には非常に好適と思われるような地形で、ボートが使えなくなって直接工作子船に乗ろうとしたのであればなぜ20キロも離れた早田まで歩いて行ったのかということです。しかも濡れた身体で。この点現地調査でかえって疑問が増えました。
一つヒントになるのは温海事件の5年前、昭和43年(1968)1月に起きた韓国大統領官邸襲撃未遂事件(韓国映画「シルミド」の題材にもなりました)で、このとき北朝鮮の特殊部隊31人はソウルの大統領官邸(通称「青瓦台」)裏山まで接近し、制圧はされたものの1人生け捕りにされた金新朝が記者会見で「朴正煕の首を取りに来た」と北朝鮮なまりで語り韓国内を震撼させた事件です。
しかし韓国の『中央情報部史』によれば、この事件は北朝鮮特殊部隊に様々なミスがあり、本来山の尾根伝いに浸透する計画だったのが途中で面倒になり一般道路に降りて検問に遭ったとのこと。そこで逃げ出して一部が撃ち合いになり、結局29人が射殺、1人が生け捕りで1人は北朝鮮に逃げたと言われています。
これもKCIAの公刊歴史ですので真実がそのまま伝わっているという保障はありませんが、全体の流れからするとそう事実と違っているとも思えません。韓国側の警備のいい加減さにも言及しており、結局南北双方にミスや手抜きがあったようです。
考えてみれば日本への浸透や国内での工作活動もうまくいったことばかりではないはずで、手を抜いて失敗したこともあるのでしょう。だからこそ氷山の一角ではあっても何人も工作員が逮捕されたり工作器材が見つかったりしているわけです。温海事件もやはり予定と異なる何かが起きたこと、あるいはミスをしたことによる発覚だったのでしょう。
この事件についてはあまり結論を付けないで、今後他の地域の同種事例とも比較しながら、北朝鮮の工作活動の真実に迫っていきたいと思います。いずれにしても、現場に来ることが大事だと、あらためて実感しました。
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