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2015年1月 4日

やればできるということ

【調査会NEWS1749】(27.1.4)

 下に引用するのは月刊「文藝春秋」昭和31年(1956)6月号に掲載された「軍艦旗の下の北洋漁業」という論文です。筆者府本昌芳氏は昭和14年(1939)、海軍大尉としてハルピンに駐在、その後カムチャッカ漁業係長、在ソ大使館附武官となり、終戦時は海軍中佐、大本営諜報部對ソ班主任だった人。海軍における対ソ・インテリジェンスの専門家ですが、この論文の中に拉致問題にもヒントになる話が出てきます。

 長い文なので大分端折りましたが、当時は対米開戦の前年でソ連を刺激することはわが国としては極力避けたいときだったはず。それでも75年前にはこんなことができたということです。しかも全く戦闘はしていません。要はやればできる、現状はできることをできないかのように見せているだけなのではないかと思う次第です。

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 赤レンガ、といえば海軍省の代名詞であった。

 その一角に、軍令部第七課があって、イギリスを除く全欧州に関する情報を扱っていた。

 その中の「R班」と俗称されていたものが、旧海軍では冷飯食いに属していた対ソ諜報班で、これが私の親元であった。

 私は、ここで北洋の出漁予定や、日ソ漁業協定に関する情報を聞いて、早速出発するつもりでいた。ところが、意外にも特務班の方にも用があるという。特務班とは、海軍のブラック・チェムバー(外国暗号解読部)であったのだ。

 暗号解読といえば、素人目にはスリルのある興味津々たる仕事のように見えるかもしれない。だが、実際はそんなものではなく、語学と数学を応用した科学的な仕事であって、その上、電子計算器もないときては、やたらに時間がかかるばかりで、お経を読むようなわけにはゆかなかった。しかも機密保持の関係上、自分の仕事を家庭で喋ったり、飲み屋で鬱憤をはらすこともできない。私はそんな不自由なことは嫌いだ。地獄へでも顔を出すような気持で、私はおっかなびっくり、特務班のドアをノックした。

 だが、ドアを開けると、顔馴染みの少佐が、ニッコリ笑って声をかけた。

 「やあ、御苦労さん。実は君にこの夏の漁期中、こいつを使って貰いたいんだがね」
差し出されたのは、二冊のロシア暗号書であった。いずれも、暗号解読専門家が苦心の結果作り上げた血と汗の結晶である。これをカムチャッカの沿岸で解読しながら、大いに働けという注文なのだ。

 ノモンハンの仇をカムチャッカで討つという思いがあらためて胸にこみあげてきた。が、さて暗号の嫌いな私に、ソ連の暗号が読みとれるかどうか。

「大いに頑張ります…が、弱りましたな」

「なに大したことはないさ。まず、トーチカ(句点)を見つけ出すんだ!」

 なるほど、渡された数枚の数字暗号に目を通すと、同じ数字符が三つ四つ、電文の中の同じような関係位置にある。そこでトーチカ符字を探し出し、引き算をすると、その日の乱数が知れてくる。あとは乱数表と対照すれば解読できるというわけである。

 「この二冊は、絶対誰にも見せてはいかん。君が解読した暗号電報は、司令と艦長だけに限って報告する。情報は口頭で届け、文書に残してはならないぞ」

 軍極秘…私は鞄をしっかり抱きしめて、海軍省の裏門から消えるように出て行った。駆逐艦「神風」水雷隊長というのが、私の貰った辞令であった。

 その夜、私は青森へと向かう二等列車の一隅で、まんじりともしない一夜を送った。
  
 「神風」は、同型の「沼風」「波風」「野風」と共に第一駆逐隊を編成、大湊要港部に配属されており、私はその副長相当の先任将校となった。

 1922年に進水した「神風」は、その頃全くの旧式艦であったが、それでもこの駆逐隊こそ、帝国海軍が対ソ兵力として割当てた最精鋭部隊であった。しかも、大湊要港は場末の出店にふさわしく、取り立てててこれという施設もなく、おいぼれ司令官や威張り屋参謀などが、北辺の守りを固めていた。

 「神風」は千島列島に沿って北上した。私は自信に満ちて、北海の波の音を聞いていた。

 「神風」ほど安全な社会はないのだ。私はすべての乗員を信頼し、すべての乗員は私を信じてくれる、と考えていたからである。

 エトロフ海峡を過ぎた頃、私は金庫を開けて、例の暗号書を取り出し、自分の机のひきだしに入れると、上甲板に出て、煙突の後の方位測定機室へ上がって行った。

 「どうだい、とれるかい?」

 「ペトロフとウラジオはよく入りますが、カムチャッカの沿岸局は、まだ感度がありません…」

 「そうか。願います…」

 私とX兵曹の二人、二台の受信器、二冊の暗号書、これがブラック・チェムバーのすべてであった。

 なかでも、X兵曹の技術は抜群であり、北千島に近づくまでには、カムチャッカ沿岸のソ連警備隊の無線局は、全部キャッチすることができた。

 駆逐隊はシュムシュ島の片岡湾に着いた。ここを基地として待機し、いざという時には、四隻の駆逐艦が編隊を組んで行動する、という司令の方針が確認され、従って、ブラック・チェムバーの任務はなかなか重要なものとなった。私とX兵曹は、日夜受信機に神経を緊張させていた。

 6月も半ばを過ぎたある日の午後、私は例によって、暗号書を手にして翻訳にかかっていた。突然、私はハッと息を呑んだ。そこに出ている符字―ザゼルジャンノ(拿捕)!

「ハリューゾフ地区隊発ペドロパウロフスク司令官宛。日本漁船を拿捕す。地区…」

 私は飛ぶようにして艦長に報告すると、続いて司令室をノックした。

 「司令!拿捕事件が起こりました!」

 「何?ハリューゾフか?」

 八の字ひげの司令は、ギョロリと目玉を光らせた。

 「先任!各艦長を呼べ」

 私は上甲板に走り去る。

 「信号兵!略語のクカラ(駆逐艦長 来艦せよ)!」

 そう怒鳴ると、私は急いで兵曹のところに行った。

 「おい、事件だ!ハリューゾフの電報を落とさないように…」

 「承知しました。今夜は寝ないでやります」

 焦った四人の艦長は、司令を中心として、ウィスキーで乾杯すると、足取りも軽く各々の艦へ帰って行く。いよいよ出動準備である。

 前部発射管の両側に集まった水兵員に一応の指示を与えると、私は直ぐ部屋に戻って、暗号の解読を続けた。

 「日本船をハリューゾフ河口に抑留す」

 「日本人を尋問中…」

 どれもこれも癪に触るものばかりだ。

 「よし!ノモンハンの恥を雪いでやるぞ」

 私は傍にあったチェリー・ブランデーをひき寄せると、グッと一気に飲みほした。

 この私の部屋は、「バー神風」という渾名がついていた。私は電気スタンドを、跳ね兎の浮彫りのあるグリーンのシェードのものに替え、二脚の椅子を青森から運びこんでいた。バーにはマダムがつきものだが、これは原節子のブロマイドに勤めさせることにした。ウィスキーは十二年のサントリーしかなかったが、ベルモット、キュラソー等の甘口に、ラム、ジンからアブサンに至るまで、東北の田舎酒屋で買いあさったアチラものが整列していたのである。自慢のバーも、事件が起れば自粛閉店である。私は大事な酒瓶が艦の動揺で壊れないように、丁寧に箪笥の奥に終いこむと、ブリッジに上がった。

 四隻の駆逐艦は、日本の最北端、国端崎を右後方に残し、白波を蹴立てて北上している。

 「ナ・セーブェル(北へ)…」

 私はブリッジの当直に立ちながら、ロシア語を口ずさんでみた。東に見えるカムチャッカの山々は、白い雪で覆われていた。

 「先任将校!司令が艦橋でお呼びです」ブリッジには、艦の司令と白面公子の艦長が肩を並べている。

 「先任!ロシア語の解放要求書は書けたか?強い調子で書いてくれ。ハリューゾフに着いたら、すぐ行ってもらうからな」

 私は傍にいた航海長I大尉に入港準備の作業指示を頼むと、士官室に下りた。そこではガッチリした身体のM通訳が解放要求書を清書している。

 「先任将校!こちらの名前は何としますか?第一駆逐隊司令ですか?」

 「いや、えーと、大日本帝国、北洋警備艦隊司令官、とね」

 こうして職名だけは立派にでき上がったが、オンボロ艦隊の悲しさ、タイプライターがない。仕様がないから、大和魂のこもった美濃紙にカーボンを入れて、鉄筆で書くという仕儀になった。おそらく珍重すべき古文書として、今頃はモスクワの赤軍博物館にでも行っていることだろう。

 一夜を海上に過ごした駆逐隊は、翌朝ハリューゾフの漁場に着いた。十二哩のソ連領海内に進入し、日ソ漁業協定による使用海面限度ー岸から三哩に錨を下ろした。

 「内火艇用意!特別臨検隊員整列!」

 私はこういう場合を考えて、かねて目をつけていた、屈強で明敏なK兵曹、N一等水兵等を随えて、ソ連の漁場に向かった。

 海は静かであり、漁場は平和そのものであった。最寄りのソ連の漁船に乗りつけて、手紙を渡し、すぐ引き返すつもりで、わたしも気軽な気持ちだった。

 だが、見渡したところ、漁船は影も形も見えない。恐慌を来して引き揚げてしまったのか?それともトラブルを避けたソ連側の処置だろうか?力の示威が平和交渉を妨げたような形になってしまった。

 止むを得ず、私は一人で「無査証入国」を決意した。

 軍刀をK兵曹に預け、一同を挺内に残して、私は砂浜に飛び下りた。丸腰になったことが、無法男のせめてものエチケットだったといえようか。

 人の良さそうな中年の漁夫が歩いてくる。「ペレダイチェ」(渡してくれたまえ)

 差し出すと、彼は素直に受け取ってくれたので、幸いにも無事に艦に戻ることができた。

 それから無遠慮なデモが始まった。駆逐隊は日本漁船が抑留されていると思われる河口の沖三哩に一列に並び、昼間は操砲教育、夜は照射訓練で威嚇する。

 「日本艦隊、われを威嚇しつつあり」

 「調書を作製せよ」

 べリア指揮下のぺトロの司令官と、ハリューゾフの地区隊長は、盛んに暗号を交換して、私に情報を提供した。

 三日目の夕方、私は思わずブランデーの瓶をひき寄せた。

 「日本船を解放せよ-司令官」

 こう来なくては…と私はいい気持ちになって部屋を出た。

 「…帰すそうです、司令!」

 司令は例の如く八の字髭をしごきながら、破顔一笑して、

 「先任!デカしたぞ!今夜は一杯飲もうじゃないか」

 更に次の暗号文で、私は全く安心した。

 「明日午後二時解放すー地区隊長」

 遂にその時が来た。

 私はブリッジに上がって、12サンチの双眼鏡で岸を見守っていた。

「あ、動いたぞ、漁船のマストが…」

 やがて、ディーゼルの軽快な音を立てて、漁船はやってきた。日本人の顔だ。みんな日本人だ。私はただ無性に嬉しくて、わけもなく彼等に呼びかけていた。

▲現在「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30 5910kHz、5985kHz、6135kHz のいずれか
深夜 1:00〜2:00 5910kHz、5955kHz、6110kHz のいずれか

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等

★「正論」2月号
●代表荒木がシンポジウムのパネラーとして「自衛隊特殊部隊の元リーダーが語る拉致の解決策」の中で発言。

★「WiLL」2月号
●代表荒木が「北朝鮮に誠意は通じない」と題して寄稿

★チャンネル桜・防人の道「予備役ブルーリボンの会シンポジウム『拉致被害者救出と自衛隊-2』」
●代表荒木が出演
●放送済み。下記のYouTubeでご覧になれます。
http://youtu.be/r5XLyNOe-70

★1月17日(土)14:00「拉致問題を考える県民集会」(佐賀県主催)
●鳥栖市民文化会館(鳥栖市宿町807-17 Tel 0942-85-3645)
●代表荒木が参加
●問合せ:佐賀県人権・同和対策課(0952-25-7063)

★1月22日(木)13:10 講演会(平成国際大学社会・情報科学研究所主催)
●平成国際大学(東武伊勢崎線花崎駅15分 加須市水深大立野2000)
●代表荒木が参加
●問合せ:同大 0480-66-2100 

★2月1日(日)14:00「拉致問題を考える国民の集いin宮城」(政府拉致問題対策本部・宮城県主催)
●仙台市福祉プラザふれあいホール(仙台市青葉区五橋2-12-2 地下鉄五橋駅前)
●代表荒木が参加
●問合せ:宮城県国際経済・交流課(022-211-2277)

※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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特定失踪者問題調査会ニュース
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発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
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