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2015年6月 5日

第26回 1万キロ現地調査概要と結果

【調査会NEWS1892】(27.6.5)

 長くて恐縮ですが1万キロ現地調査第26回(北海道道南及び後志地区)の調査概要と結果についてお知らせします。今回新たに出てきた疑問についても引き続き調査を行います。情報等お持ちの方はよろしくお願いします。

1 目的

(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2 参加者

(1) 調査会:代表荒木和博・副代表岡田和典・専務理事村尾建児・常務理事杉野正治・同武藤政春・同曽田英雄・同恵谷治 計 7名
(2) 調査会を支援する会 梅原克彦監査
(3) 関係ご家族・証言者

3 日程

■ 5月27日(水) 
○ 12:00 函館空港 (ブリーフィング後)出発
〇 15:00 江差町椴川(とどがわ)橋着。
    ↓   朝鮮総聯元財務副局長・韓光煕が選定した工作員との接線ポイント「椴川」の検証。
○ 15:40 江差町 鴎島入口 着。
    ↓    江差関連事件の検証等
○ 17:00 乙部港着
    ↓   乙部関連事件の調査・検証等
18:00 第1日目調査終了。

■ 5月28日(木)
〇 10:00 国縫駅 着。
    ↓   渡辺栄一さん関連調査
〇 13:00 北桧山 着。
    ↓   名取志津子さん関連調査。
〇 14:15 せたな町瀬棚区本町 着。
    ↓   名取志津子さん関連調査。
○ 15:00 せたな町瀬棚区本町 
    ↓   朝鮮総聯元財務副局長・韓光煕が選定した工作員との接線ポイント「蝋燭岩」の検証。
〇 16:00 第2日目調査終了。

■ 5月29日(金)
〇 08:05 岩内港 着。
    ↓   城崎瑛子さん関連調査
〇 10:20 共和町宮丘 着。
    ↓   城崎瑛子さん関連調査。
〇 12:30 小樽市祝津海岸展望台 着。
    ↓   非公開女性及び他の事案も含め調査を実施。
〇 14:00 調査終了
〇 17:30 報告会及び記者会見(小樽市民センター 斎藤裕さんの姉斎藤由美子さん・紙谷慶五郎さんの娘・北越優子さん・川田代表ら救う会北海道メンバー参加)
〇 18:30 報告会・記者会見終了

4 対象失踪者及び検証項目の概要と調査結果

A 調査対象者等

(1) 渡辺栄一さん
氏名:渡辺 栄一 (わたなべ えいいち)
生年月日:1955(昭和30)年4月17日
当時身分:建設技術者
当時住所:北海道空知郡奈井江町東町
失踪日:1997(平成9)年11月9日
最終失踪関連地点:瀬棚郡今金町字住吉141-1 海道建設花石トンネル作業所

〇 これまで明らかになっていた失踪状況
 失踪前、トンネル作業所から「1週間くらいで作業終了する」と家族に電話で知らせ、その後失踪。警察や消防団が山狩りなど3日間捜索するが何も出てこず。12月7日本人の車が国縫川沿いで発見される。警察が指紋採取をしたがきれいに拭き取られており、何も出なかった。

〇 調査結果
 当日は栄一さんの弟・渡辺義範さん、叔母の佐々木スエ子さんが空知郡から現地調査に参加され、当時の工事現場であった花石トンネルや宿舎が所在した近辺、渡辺さんの私有車が発見された国縫川などを回った。
私有車が発見されたという国縫川では義範さんから当時の状況について再度説明を受けた。

 警察が2度にわたって指紋採取を試みたが車内や窓も含めて誰の指紋も検出されなかった事実や車検証も持ち去られていたとの証言を得た。元々国縫川の水量は多くないことから自殺の可能性は低く、栄一さん本人が現場まで来て、車から離れる際に車検証を持って出たとしても窓まで含めた指紋を拭き取る必要性が考えられないことから、役員間では「現場に栄一さんの私有車を運んだのは第三者の可能性が高い」との推論に至った。今後は栄一さんの交友関係や勤務先での状況について再度見直しをして行く事となった。

(2) 名取志津子さん
氏名:名取 志津子 (なとり しづこ)
生年月日:1952(昭和27)年2月16日
当時身分:店員
当時住所:北海道瀬棚郡瀬棚町本町
失踪日:1971(昭和46)年12月2日
最終失踪関連地点:瀬棚郡北桧山町

〇 これまで明らかになっていた失踪状況
 勤務先であった姉タミさんの嫁ぎ先金物店より帰宅途中に失踪。当時は国鉄瀬棚線で瀬棚・北檜山間を通勤していた。静岡から戻ってくる母が午後7時半頃北桧山駅に列車に乗る予定だったため、いつもより店をでる時間を約1時間遅らせた。帰り際に「明日母のお土産をもってくるから」と言って店を出た。

〇 調査結果
 (1) 勤務していた北桧山町の金物店でタミさんから当時の一般状況や失踪当日の状況について再確認を行った。日頃の志津子さんの行動記録に「毎日18時過ぎの列車で瀬棚に帰っていた」というものがあったが当時の全国版の時刻表には瀬棚線の北檜山発18時台の瀬棚行きがなく家族の記憶違いではないかと思われていた。その後に全国版時刻表に記載されていない管理局設定の列車があった可能性が浮上し18時台の列車もそれだった可能性がある。
 ご家族によればこの列車は1両で学生等が多く利用していたといい、駅員も利用者の顔を覚えていて、日頃利用している人が遅れてくることがあれば、1〜2分発車を待ってくれることもよくあったという。
 駅員は失踪当日に志津子さんが同日18時台の列車を利用しなかったことを証言したといい、タミさんの発言にあった「当日は出かけていた母親が帰ってくる19時半頃の電車に合わせて帰った」という行動が確認された。

 (2) 当時の新聞報道にあった記事内に「午後8時半頃、北桧山駅前で志津子さんが2〜3人の男連れに話しかけられており、傍に車があった」との情報が掲載されていたが、目撃者は志津子さんの顔見知りということになっているものの、タミさんは目撃者について判らないとのことだった。

 (3) 志津子さんが勤務していたタミさん宅から北桧山駅の跡地(現在はバスターミナル)まで歩いてみたが、女性の足でゆっくり歩いても7〜8分の距離で、その2/3は国道沿いの大通りで商店が多かったことから、国道からそれて北桧山駅に向かう残り1/3の道路上で失踪した可能性が高いことが改めて確認された。

 (4) 志津子さんの実家がある瀬棚町では兄の義数さん夫妻から当時の状況について説明を受けた。当時志津子さんは運転免許を取得しようと義数さんから教習本を借りて読み始めていたという。北桧山駅前で目撃されたという2〜3人連れの男たちと傍にあったとされる車に関連性はないかという点もふくめ今後調査していくこととなった。

(3) 城崎瑛子さん
氏名:城崎 瑛子 (しろさき えいこ)
生年月日:1946(昭和21)年7月20日
当時身分:家事手伝
当時住所:北海道岩内郡共和町
失踪日:1967(昭和42)年4月21日
最終失踪関連地点:岩内郡岩内町
〇 これまで明らかになっていた失踪状況
 失踪当日、朝8時か9時頃、いつものように母親に「服地を買いに町に行ってくる」と言い残して外出した。同日12時頃、岩内港の防波堤に、本人の靴、かばん、服地、ケーキなどが置いてあるのを地元漁師が発見し岩内署に連絡した。遺留品が本人のものと確認できたため警察がダイバーを出し、付近海底を捜索したが遺体はもちろん他の遺留品も発見することができなかった。
 自殺の動機がない上昼間の失踪であるので自殺はないと考えられる。遺留品の服地は買い物をしたままの状態だった。どこで買ったかは不明。遺留品のケーキは箱に入って残っていた。どこで買ったかは不明。
町に出かけると、いつもケーキを買って帰っていた。遺留品のケーキも誰かの誕生日のためというものではない。

〇 調査結果
※この結果については調査終了後さらに詳細な当時の状況が分かってきており、あらためて報告の予定である。

 (1) 現地調査に際して当時の瑛子さんの足取りを分析するため、遺留品であった服地とケーキの購入先について失踪当時の岩内町内職業別電話帳から数十件の店舗を抽出準備し、調査当日岩内町内を歩いた結果、瑛子さんが冬の期間に通っていた洋裁学校周辺で服地を購入した可能性がある店舗が絞り込まれた.
現在は店舗が閉店されており最終的な確認は出来なかったものの当日の行動の一端が推論としてではあるが浮彫りとなった。

 (2) ケーキを購入したと思われる店舗については、町内を調査中にたまたま役員に声をかけてこられた瑛子さんと同じ共和町の出身という方から「駅前の菓子店で購入していた」との情報を得て現存する店舗を訪ねた。店舗の方は残念ながら当時のことを覚えておられなかったが、当時から和菓子の他、ケーキも販売されており、バスターミナルにも直近であったことから、失踪当日に瑛子さんがこの店舗でケーキを購入した可能性が高いとの結論に至った。

 (3) 当日の瑛子さんの行動として整理すると、自宅から最も近い「大曲」のバス停まで徒歩で40分(自宅からバス停まで3km)、大曲バス停から岩内駅前のバスターミナルまで約20分(現在の時刻表では15分)が移動に要する時間となり、バス停での待ち時間を計算に入れなければ自宅を午前8時に出た場合、午前9時頃に岩内駅前に到着し、洋裁学校の近辺で服地を購入して駅前に戻ってくるのが午前10時頃、自宅を午前9時に出発した場合はその1時間後ということになる。

 上記の時間経過の推測から失踪当日、瑛子さんが自宅を出発した時刻が午前8時だった場合には岩内港の堤防で瑛子さんの荷物が発見されるまで約2時間、午前9時であれば約1時間の空白となり、いずれにしてもこの空白の時間帯に瑛子さんの身に失踪の原因となる異変が起きたことになる。当時、岩内町内の店舗は午前7時から8時には開店しており、瑛子さんが午前9時頃に岩内駅前に到着したとしてもそれぞれの店舗は既に営業していたことから、駅前に到着した瑛子さんは真っ直ぐ店舗に向かった可能性がある。今後は空白の時間に焦点を当てて情報を収集することとなった。

(4) 非公開女性Aさん 
氏名:非公開女性 A
生年月日:1964(昭和39)年
当時身分:主婦・アルバイト
当時住所:北海道札幌市
失踪日:1997(平成9)年12月11日
最終失踪関連地点:小樽市

〇 これまで明らかになっていた失踪状況
 失踪当日、小樽市の友人宅に私有車で向かったが、途中で自損事故を起こし小樽市内までレッカーに牽引されてきたあと、車を預けて立ち去りその後失踪。翌平成10年の元日、祝津展望台の崖でAさんのものと見られる遺留品が発見された。

〇 調査結果
 祝津展望台で遺留品の置かれていたと思われる場所の確認をした。崖といってもなだらかな斜面が続く場所で、自殺であればより容易な場所が周囲にいくらでもあることから、自殺を装った遺留品の投棄である可能性も考えられた。

 その後当日のAさんの行動に基づいて現地の調査を行った。Aさんは失踪当日の午後、親族に「小樽市の友人宅に行く」旨の電話を札幌市内から小樽市に向かう途中で連絡を入れていた。Aさんの自宅から小樽市内の友人宅とされた町内までは約30kmの距離で約1時間の行程だったと思われる。自損事故を起こした場所は友人宅とされた町内から約3kmほど手前の場所であり、小樽市内のレッカー会社が現場に来て小樽市内まで車を牽引しているが、友人宅とされる町内を通過しているのに途中で降りていない。

 小樽市内のレッカー会社に到着したAさんは、南小樽駅の方向に立ち去ったとの証言があったが、荷物が発見された小樽市郊外の海岸近くの展望台に行く必要性は感じられず、さらに調査を行うこととなった。

(5) 吉田信夫さん
氏名:吉田 信夫 (よしだ のぶお)
生年月日:1935(昭和10)年8月30日
当時身分:会社員
当時住所:北海道小樽市若松町
失踪日:1965(昭和40)年5月25日
最終失踪関連地点:札幌市

〇 これまで明らかになっていた失踪状況
 札幌市手稲区の工場を退社後、失踪。汽車通勤で転勤後間もないため、元の勤務先だった小樽の工場へ立ち寄った可能性もある。

〇 調査結果
 今回の現地調査では家族などからの証言が得られなかったため当時の居住地周辺の状況確認のみで調査を終了した。

2、検証項目と結果

(1) 朝鮮総聯元財務副局長・韓光煕が選定した工作員との接線ポイント

  ア 江差町椴川地区
〇 調査結果
 韓光煕が選定したとされる椴川(河口)は桧山郡江差町椴川町の内郷浜に接した地点で当時の江差線江
差駅と上ノ国駅の中間に位置している。河口付近は一見何の変哲もない砂浜で背後には山もなく海上からの目標物も見当たらない場所であるが、実際には海上から見た場合、右手には上ノ国町の州根子岬から大澗ノ崎にかけての小高い半島があり、左手には江差町の鴎島が明確に見えると思われ、この中間地点を目標に接近すれば椴川に着くのは容易であろうと判断された。

 当時の状況と視察時の状況には差があると思われるが、現在でも椴川の位置に接する民家は少なく、当時であれば夜間、人気の無い海岸で工作員同士の接触があったとしても気がつく人はいなかったと推測できる。役員間では「海岸から沖に向かって光(懐中電灯など)を使用して誘導すれば容易に接岸できる」との意見が多く、ここが使われた場合は出迎えや送り出しの補助的任務を持つ第三者が介在した可能性が高いと思われた。

  イ 瀬棚町最内沢(蝋燭岩)
〇 調査結果
 瀬棚町では観光的には「三本杉岩」が有名だが、蝋燭岩はこの地域の海岸に幾つか見られる岩礁としては唯一陸に接した岩で、背面に回ると瀬棚の民家からは全く見えない。また、岩棚は滑らかな岩礁で、ゴムボートなどは容易に接岸できる状況である。

(2) 江差港

  ア 1971(昭和46)年8月27日に発生した「北海道檜山郡江差港沖不審船」事案
 海上保安庁航空機が北海道檜山郡江差港沖約110海里(約200km)にて漁船型の不審船を発見、追跡するも逃走。

  イ 1971(昭和46)年10月18日に発生した「梁桂海」事件
 江差港から上陸し、東京に向かおうとした男が函館市内で職務質問を受け、函館西署が外国人登録法違反で逮捕した事件。男は北朝鮮で工作員の訓練を受けた後、日本円40万円を支給されて日本に再潜入していたことが判明したが最終的に不起訴になった。

〇 調査結果
 鴎島周辺での調査を行った。鴎島自体が上陸に適した場所であることを確認した。事件については周辺で事件を記憶している地元住民には出会えず、証言を得ることが出来なかったため引き続き情報の収集を行うこととした。

(3) 乙部港

  ア 1957(昭和32)年6月25日に検挙された「弘昇丸」事件
 北朝鮮工作員須谷良介こと崔竜雲(当時32歳)が、北朝鮮でスパイ訓練を受けるために密出入国し、北朝鮮との密貿易に従事していた北朝鮮工作員金山斗七こと金斗七(当時36歳)が漁船を利用して崔ら工作員の北朝鮮との密出入国を手引きしていた事件である。

 崔竜雲は、東京都内居住の朝鮮総聯女性同盟副委員長及び北朝鮮から派遣された氏名不詳の北朝鮮工作員Bから獲得され、1956(昭和31)年1月末、Bらとともに、福岡県八幡港からノルウェー船・プロデュース号に乗り、香港経由で北朝鮮に密出国した。その後約8ヶ月間のスパイ訓練を受け、(1)妻子の北朝鮮帰国、(2)新たに派遣される北朝鮮工作員・李亨のアジト設定、(3)外国人登録証明書の不正入手などの任務を指示され、李亨とともに、1956(昭和31)年10月3日、無線機、エ作資金等を携行して、金斗七の手引きにより漁船「弘昇丸」で北海道乙部港から密入国した。

 金斗七は、このほか、1956(昭和31)年7月には北朝鮮工作員4人を弘昇丸で、1957(昭和32)年8月にも北朝鮮工作員3人を「第11海幸丸」で、我が国と北朝鮮の間の密出入国の手引きをしていた。北海道警は1957(昭和32)年6月25日に崔竜雲を、10月9日に金斗七をそれぞれ逮捕するとともに、12月6日までの間に関係者7人を逮捕した。

 なお、金斗七は1958(昭和33)年2月18日、函館地方裁判所において、出入国管理令違反で懲役1年、崔竜雲は、1958(昭和33)年12月23日、函館簡易裁判所において、出人国管理令違反で罰金3万円の判決を受けたが崔竜雲は1959(昭和34)年に特別在留許可を取得している。

〇 調査結果
 乙部港に弘昇丸が接岸した1956(昭和31)年10月3日、漁協で受付にいたC氏が弘昇丸の乗組員が漁協に立寄り、函館までの行き方について質問を受けたといい、その際の状況について聞き取りを行った。

 当日漁協の受付けに勤務していたC氏のところに3名の男性が立寄り、「函館に行くにはどうすれば良いか」と聞いてきたため、C氏は国道への出方を説明したところ、船(弘昇丸)はそこ(漁協前の岸壁)に繋いでおくから」といって、漁協から出て行ったという。後日、町の人からその3人が漁協から出て「国道に出るところまで行ったところで警察に逮捕された」と聞いたという。逮捕したのは江差署から来た警察官で、交番の警察官ではなかった様子であることから、事前に乙部港に弘昇丸が立寄る情報を入手した道警が待ち構えていたと判断される。

  イ 乙部港周辺での不審事案

〇 調査結果
 地元に住むD氏から拉致未遂や不審人物の目撃などについて情報を聴取した。内容については今後精査していく。

(4) 小樽港周辺での不審事案

〇 調査結果

 (1) 北大ヨット部員の拉致未遂事件
 1990(平成2)年6月、小樽市祝津の海岸近くで合宿をしていた北大ヨット部員がヨット部の寮に帰宅途中、3名の男に拉致されそうになった事件が発生した。男達は日本語ではない言葉を話し、手に袋を持っていたという。当時、北大ヨット部の寮(艇庫)は祝津の海岸に近い場所にあり、7年後に小樽市内で失踪した前記Aさんの荷物が発見された展望台から降りてきた道沿いに所在していた。現在は寄り展望台に近い位置に寮(艇庫)は移動している。

 本件について聞き取りをした現地の男性は「(小樽市内に向かう)トンネルの出口でやられたと聞いていた」とのこと。インターネットにはヨット部ではなくボート部と書かれていたものもあり、今後本人への聴取も含めて情報の精査が必要と思われた。

 (2) 2004(平成16)年4月、当時57歳の男性が会社に「ちょっと行って来る」と言って外出後、祝津の海岸で失踪したとされる件について周辺で聞き取りを行ったが新たな情報は無かった。

3 参考 
(1) 道内現地調査の状況
  ア 第 8回 1万キロ現地調査  2012(平成24)年6月1日〜3日:釧路〜帯広〜富良野〜旭川
  イ 第16回 1万キロ現地調査  2013(平成25)年7月6日〜7日:函館〜札幌
  ウ 第21回 1万キロ現地調査  2014(平成26)年6月4日〜6日:稚内〜枝幸〜興部〜北見〜網走
  エ 第26回 1万キロ現地調査  2015(平成27)年5月27日〜29日 江差〜乙部〜岩内〜小樽

(2)累計走行距離
前第26回1万キロ現地調査までの累計走行距離= 9175km

▲現在「しおかぜ」の放送時間と周波数は以下の通りです
夜 22:30-23:30 5985kHz、6020kHz、6135kHz のいずれか (100kw)
深夜 1:00-2:00 5985kHz(300kw)

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等

★日本文化チャンネル桜『米国で声を上げた「L.A. しおかぜの集い」と「国際シンポジウム」 / 短波放送「しおかぜ」が直面する放送環境の課題[桜H27/5/19]』
●専務理事村尾が出演
https://youtu.be/ysrpS98NH6U

★6月5日22:00 言論テレビ『花田編集長の右向け右!「WiLL」場外論戦』
●代表荒木が出演
http://www.genron.tv/ch/hanada/
(上記時間以外は会員限定)

★6月17日(水)18:00 草莽私塾(同会主催)
●かでる2・7(札幌市中央区北2条西7丁目 道民活動センタービル 011-204-5100)
●代表荒木が参加
●問合せ:出口塾頭(011-737-1798)

★6月20日(土)13:00 集会(救う会秋田・由利本荘地区主催)
●由利本荘市市民交流学習センター(由利本荘市上大野 0184-24-4344)
●代表荒木が参加

★6月27日(土)13:00 「拉致被害者救出と自衛隊」シンポジウム(予備役ブルーリボンの会主催)
●拓殖大学文京キャンパス(地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅徒歩3分)
●代表荒木が参加

★7月26日(土)14:00 民社人権会議講演会「拉致被害者救出に向けて私たちは何をなすべきか」(同会主催)
●大阪リバーサイドホテル(大阪環状線桜ノ宮駅徒歩3分 Tel06-6298-3251)
●代表荒木が参加

★8月9日(日)13:30 下関集会(救う会山口・「山口県特定失踪者家族会」を支援する会主催)
●下関市民会館(JR下関駅前 083-231-6401)
●代表荒木が参加

★9月12日(土) 14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

★9月13日(日)福島集会(救う会ふくしま主催)
●代表荒木が参加

※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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特定失踪者問題調査会ニュース
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発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
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●カンパのご協力をよろしくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
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