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2015年10月16日

石川・福井現地調査報告 【調査会NEWS2014】(27.10.16)

 遅くなりましたが先週の現地調査について概要を報告します。

第28回1万キロ現地調査(石川県・福井県)概要

1 目的

(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2 参加者

(1) 調査会:代表 荒木和博・副代表 岡田和典・専務理事 村尾建児・常務理事 杉野正治・同 武藤政春・同 曽田英雄・理事 北條正 計 7名
(2) 家族会:増元照明 前家族会事務局長
(3) 失踪者家族:坂下喜美夫さん、小西能幸さん、河合美智愛さん及び非公開失踪者の御家族
(4) 救う会石川:大口英夫事務局長(前石川県議会議員)
(5) 調査会を支援する会:梅原克彦監査
計11名
※ 別途、救う会福島・赤塚公生事務局長が7日〜9日朝まで同行

3 日程(公開者を中心に回ったグループ)

■ 10月7日(水) 
14:00 集合 坂下喜美夫さん甥・坂下金上さん合流、マスコミブリーフィング
◎七尾市作事町に移動。春木乾物店跡等、坂下喜美夫さん関連調査。終了後輪島市へ。
◎輪島市河井町へ移動。小西能幸さん関連聴取
◎七尾市へ移動・宿泊。 

■ 10月8日(木)
08:00 ホテル出発、のと鉄道穴水駅へ移動。小西能幸さん関連調査
◎珠洲市蛸島町へ移動、明石靖彦さん関連調査
◎猿山灯台へ移動。辛光洙事件、中川事件時の潜入地点調査
◎門前町黒島へ移動。徐勝兄弟事件調査
◎前浜へ移動。韓光熙設定接触ポイント調査。
◎金沢市へ移動。宿泊。

※同日別班が羽咋市・宝達志水町・金沢市で非公開失踪者3名についての調査を行う(敦賀泊)

■ 10月9日(金)
08:30 ホテル出発、金沢市末広町へ移動。七條一さん関連調査
◎三国郡三国町、三国漁港へ移動。丸山善昭さん関連調査。
◎越前市へ移動。河合美智愛さん関連調査
16:30 記者会見(越前市労働福祉会館)
17:15 日程終了

※同日別班が若狭町・鯖江市で非公開失踪者2名について調査を行う(記者会見で合流)
 
4 走行距離

今回の走行距離(別班の走行距離を含む) 955km 
1万キロ現地調査(♯1〜♯28)累計走行距離 10,472km

5 調査対象者

(1) 坂下 喜美夫さん
  
(1) 氏名:坂下 喜美夫 (さかした きみお)
(2) 生年月日:1933(昭和8)年2月9日(現:82歳)
(3) 当時住所:石川県七尾市
(4) 当時身分:乾物店店員
(5) 失踪年月日:1963(昭和38)年
(6) 最終失踪関連地点:石川県七尾市
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況
 乾物屋の仕事で自転車で配達に出てそのまま失踪。財布、運転免許証も家に置いたまま。七尾市に来る前は金沢の自衛隊に勤務していた。配達に乗って行った自転車はその後発見されていた模様。

■調査結果

 作事町の勤務先(住み込み)乾物店及び七尾港で喜美夫さんの甥坂下金上さんから聴取。

1.自分は、失踪当時小学校3年ぐらいだったこともあり、喜美夫さんと面識がなく記憶も全くない。但し、喜美夫さんの弟が家に遊びに来ていたという記憶はある。従って、以下の内容は、全て自分の父や叔母(喜等から聞いた話である。

2.喜美夫さんは、人柄は朗らかで、お酒が好きであったと聞いている。

3.喜美夫さんは、自衛隊(金沢)を辞めた後、叔母さんが経営していた乾物店で、(将来、乾物屋の跡継ぎという含みで)住み込みの店員として働いていた。この界隈は魚関係の問屋街で、すぐ近所で競り市もやっていた。喜美夫さんは、自転車で、店の品物を町のあちこちに配達。七尾湾にある能登島(現在は、七尾市と橋で繋がっている。)との間で船が行き来していたが、船着き場の近辺にも配達に行っていたらしい。

4.喜美夫さんの失踪の理由に関して「喜美夫さんは仕事が嫌だった」といったような話は一切聞いたことはない。自分の方から乾物店から出て行きたいといった動機もないはず。

5.喜美夫さんの一家ないし親族が、終戦後大陸から引き揚げて来たといった話はない。

6.喜美夫さんが当時付き合っていた女性がいたとか、許嫁、結婚相手が決まっているといった話も聞いたことがない。

7.喜美夫さんは、失踪当日、自転車で品物を配達に出かけたきり行方不明。結局、喜美夫さんの自転車は見つかっていない。叔母から港の方にも乾物の配達先があったとは聞いたが、喜美夫さんが乗っていた自転車が町のどこかで見つかったという話ではない。

8.喜美夫さんの失踪後、家族が、二、三回警察に届け出た。結局「家出ではないか」といった扱いになったのかも知れない。当時は北朝鮮による「拉致」など全く想像もつかなかったのだろう。

9.自分が子供の頃、七尾では、在日朝鮮人の集落が海辺の近くにあったことは記憶している。時々、朝鮮系の人達が、鉄屑の買い付けに来ていた。

10.また、子供の頃、(親に叱られた時などに)「人さらいに連れられてしまうぞ!」と言われたりしたという記憶はある。

11.この辺りの船着き場には、当時、沢山の小船が係留していた。対岸の能登島への荷物もこの船着き場から船で運んでいた。

12.金沢の自衛隊で、喜美夫さんがどんな仕事(職種)だったか等については、何もわからない。これといった手がかりもない。

13.(昨年のストックホルム合意後、各マスコミの報道する中で)地元のTV局が取材に来て、その内容が静岡で放映されたことがあった。

14.自分の今の心境としては、喜美夫さんには、自分が生まれた土地の土を踏ませてあげたい、日本に帰って来て欲しい、という事に尽きる。

(2) 小西 能幸さん
  
(1) 氏名:小西 能幸 (こにし よしゆき)
(2) 生年月日:1933(昭和8)年9月21日(現:82歳)
(3) 当時住所:石川県輪島市
(4) 当時身分: 家事手伝い(旅館).
(5) 失踪年月日:1954(昭和29)年4月22日(木曜日)→1955年に訂正(下に事由記載)
(6) 最終失踪関連地点:国鉄七尾線穴水駅
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況

 自宅を出るとき、げた履きで荷物も何一つ持たず、母と目を合わせたが一言も話さなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思った。その日、七尾線輪島駅から午前7時半頃の金沢行きに乗り、穴水駅で下車したのを近所の人が見たとのこと。前日夜に自室で小銭を数えているような音を旅館の女中が聞いている。小遣いを貰っていなかったので、所持金は小銭程度と思われる。

 身障者の兄が働かなくても生活できるように、母は旅館を開業していた。そのため本人は、自分が邪魔であると感じており、チャンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。

■調査結果

 輪島市在住の小西達雄さん(能幸さんの姪婿)。から聴取。

1.能幸さんの失踪は60年も前の事で自分の義父が結婚する前の話。おばあちゃん(能幸さんのお母さん)からも、能幸さんがある日忽然と居なくなった、一生懸命、能幸さんを探したという事しか聞いていない。能幸さんの事を直接知っている人も身内にはほとんど居ない。

2.ここで旅館を営んでいたのは25年前(現在は輪島塗の土産店)。

3.単なる「家出」として処理されたのだろうが、警察をはじめお役人は、一体何をやっていたのか。とにかく、危機感がまるでないし、無責任体制だ。「ハングル文字の船がよく入っている。」という話は昔からあったがそれを伝えても警察も「ふーん」といった感じで何も動かない。これでは日本が馬鹿にされるのも当たり前だと思う。

4.昨年のストックホルム合意でニュースにいろいろ出た後「公安の人」は何度か来た。但し、人事異動の時など、時たま来ただけ。因みに輪島に海保の出先はない。

5.能幸さんの失踪当日、同級生二人が、輪島からの列車に、下駄履き姿の能幸さんが乗っていて、穴水駅で降りたのを目撃。その同級生達も東京の方に行ってしまったと思う。

6.能幸さんの失踪後、家に(様子を窺うような)無言電話がかかって来たという話も聞いたことがない。

7.輪島には在日朝鮮人の「集落」はない。てんでんに住んでいる。

※事前調査の過程で調査会に寄せられた家族からの手紙を再度チェックしたところ、能幸さんの失踪年月日は、昭和29年4月22日ではなく、昭和30年4月22日だった可能性がより高いことから、調査会として失踪日を昭和30年4月22日に訂正する旨当日明らかにした。

(3) 明石 靖彦さん
  
(1) 氏名:明石 靖彦 (あかいし やすひこ)
(2) 生年月日:1960(昭和35)年6月1日 (現:55歳)
(3) 当時住所:石川県珠洲市蛸島町
(4) 当時身分:中学3年生
(5) 失踪年月日:1975(昭和50)年5月18日(日曜日)
(6) 最終失踪関連地点:石川県珠洲市蛸島町 鉢ヶ崎海水浴場付近
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況
 朝、「すぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。ボートは倉庫に保管されていたもの。

■調査結果

 現地で当時、町内会長代理を務めていたH氏にお会いすることができ、ご自宅(明石さん宅跡の近く)と自転車の置かれていた鉢ヶ崎海水浴場)で当時の状況について聴取した。

1.失踪当時は、(北朝鮮による)「拉致」という言葉すら誰も知らなかった。

2. 5月18日(日)は、地元青年団主催の駅伝大会が開催された。海水浴場近くの道路を通るコース設定。駅伝が終了したのは午前11時頃だったが、自分は砂浜で靖彦君の自転車が置いてあるのを見た(海水浴場に移動した後、Hさんは「自転車が置いてあったのはこの場所」と特定)。その後、家に帰る道すがら明石家に立ち寄り、靖彦君の父親に自転車の事を伝えると、父親は「息子は、今しがた家を出たところだ」と言っていた。

3.夕方になって、消防の連合演習があったので集まっていたら、そこに消防関係から「夕方5時半頃、弁天島(鉢ヶ崎海水浴場から西に3㎞ほどの距離)の沖合で伝馬船(ボート)と(ボートの上に)草履と海水パンツがあるのが見つかった」と連絡が来た。

(注1)そのボートは本来レストハウス(靖彦さんの自転車が放置されていた場所から約50m)の傍に置いてあるものだが、若い者が自由に持ち出していたし、普段は、そこの波打ち際に置いてあることが多かった(H氏は「此処がその場所」と明示。靖彦君の自転車が放置されていた場所から数メートルのところ)
(注2)当時の新聞記事では草履と靴下が遺留品と書かれている。再確認が必要と思われる。

4.靖彦君の捜索活動は10日間ぐらい、毎日早朝から町の人々を挙げて大がかりに行われた。その後も、約2か月は、割り当てを決めて捜索を続けた。また、漁師の人達が(遺体が定置網に引っ掛かっているかも知れないということで)定置網の交換作業の時期を少し早めたり、地引網を何度も引いたりしたが遺体は見つからなかった。

5.鉢ヶ崎海水浴場の付近で、靖彦君の姿を目撃した人は、誰もいなかった。
(注)駅伝のコースとなった道路は、砂浜から数十メートル離れている。

6. 2002年9月の第一次小泉訪朝後、北朝鮮による拉致問題がマスコミで大きく取り上げられるようになってから靖彦君の父親が「自分は(靖彦の失踪については、事によると北朝鮮による拉致ではないかと)ずうっと腹に一物持っていた」と語っていた。

7.鉢ヶ崎海水浴場で、海水浴客が溺死したという話はこれまで一件だけ。母親がトイレに行っている間に3歳の幼児が波打ち際で仰向けに転んで水を飲んでしまい溺死したという事故があったが、それ以外の話は聞いたことがない。

8.この界隈で水死した人間の遺体は、富山近くの海岸で発見される場合もある。その逆の場合(富山の海岸で水死した人間の遺体がこの近くで見つかるケース)もある。

9.当時不審な船を見かけたという話は漁師たちからも聞いたことはない。特に太刀魚漁の季節であれば、蛸島港から北寄りの沿岸は、大勢の漁船でごった返していた。従って、見慣れぬ怪しい船が入って来ればすぐにわかる。そんな船が入って来る余地はない。

※失踪した日時や遺留品などについてもう一度情報の整理を行う必要があると感じられた。遺留品が海水パンツであってもこの時期の能登で地元の中学生が泳ごうとするとは思えず、靴下であっても草履に靴下という取り合わせは考えにくい。富山湾の形状、潮の流れ及び遺体が上がっていないことからしてもボートをこぎ出して誤っておぼれたとは思われず、遺留品は偽装であった可能性が考えられる。なお時期は5年の差があるが、現地から直線距離で10キロ北方の金剛崎は1970年9月に徐勝・徐俊植兄弟が北朝鮮から密入国した場所である。

(4) 七條 一さん
  
(1) 氏名:七條 一 (しちじょう はじめ)
(2) 生年月日:1948(昭和23)年8月22日(現:67歳)
(3) 当時住所:東京都杉並区
(4) 当時身分:学生 (明治大学政経学部政治学科3年生).
(5) 失踪年月日:1970(昭和45)年2月10日(火曜日)
(6) 最終失踪関連地点:石川県金沢市
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況

 北陸方面を旅行し徳島の実家に帰る途中2月8日朝金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。10日朝出発し、以後消息不明。「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■調査結果

 最後に宿泊したユースホステルに行ったが本年1月に閉鎖になっており、敷地内に入ることもできなかった。結果的には七條さんの思想傾向や時代背景について現地で議論するに留まったが、「堤防に向かって歩いていった」という情報については近くに堤防といえるようなもののある川がなく、なぜそのような証言があったのかが気になった。近くの川は浅野川だが堤防と言えるほどではなく、地元の記者によればランドマーク的にも認識されていないとのことだった。

 70年安保の真っ只中、しかも学生運動の拠点の明治大学の政経学部政治学科で政治家の息子となればノンポリとは考えにくく、しかしその部分がこれまでの資料から欠落している。偶然かもしれないが失踪までに立ち寄った佐渡や能登の場所も工作員の侵入現場などに近く、徐勝・徐俊植兄弟は門前町(現輪島市)黒島から同じ年の8月に密出国、9月に密入国している。本人の周辺について一度見直しが必要ではないかと思われる。

(5) 丸山 善昭さん
  
(1) 氏名:丸山 善昭 (まるやま よしあき)
(2) 生年月日:1943(昭和18)年8月9日 (現:72歳)
(3) 当時住所:福井県坂井郡三国町
(4) 当時身分:漁船員 .
(5) 失踪年月日:1966(昭和41)年3月31日 (木曜日)
(6) 最終失踪関連地点:福井県坂井郡三国町
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況

 下宿先に「加賀の実家に行ってくる」と伝言を残して外出したまま失踪。当日は給料日で、全船出港できる天候だったが出漁せず。

■調査結果
 三国港で漁連事務所や近隣の店舗などに聞き込みを行ったが、当時のことを知っている人には全く出会うことができなかった。調査会発足直後のテレビ番組などでは当時のことを知っている人が何人か登場しており、また当時は調査会への届出を行ったお兄さんもご存命だったことを考えると時間の経過が記憶すら消してしまっていることを痛感した。

(6) 河合 美智愛さん
  
(1) 氏名:河合 美智愛 (かわい みちえ)
(2) 生年月日:1963(昭和38)年12月18日 (現:51歳)
(3) 当時住所:福井県武生市(現:越前市)
(4) 当時身分:会社事務員 .
(5) 失踪年月日:1984(昭和59)年4月2日(月曜日)
(6) 最終失踪関連地点:福井県武生市(現:越前市)
(7) これまでに明らかになっていた失踪状況

 前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。昼食のために会社から一端帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。失踪後、1〜2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。

■調査結果

 自宅で父の河合恭志さん、母の喜代子さん他親族から聴取。その後当時の勤務先(現在は別会社の所有)周辺を調査。

1.冒頭、付近の地図を見ながら、当日美智愛さんが車で会社に向かったであろう経路について検討。

2.日本国内での目撃情報について
 これまで目撃情報のあった地域の地元救う会などに協力を求めて裏付けをとるために努力してきた。今回も情報の内容についてご家族と検討したが、結論として確認はできなかった。
3.美智愛さんは中学時代いじめに遭い一時期学校に通えず、通信教育を受けていた事もある。高校卒業後、しばらく進学も就職もしなかったが失踪前年の昭和58年秋運転免許を取得し、自分で職安に行って就職先を探した。その結果、就職が決まり、本人も非常に喜んでいた。就職先は以前本人がリボンを巻く作業を内職としてやっていたこともあった。

4.免許取得後はドライブに行っていたが、それほど遠い場所には行っていないはず。大方は福井県内をドライブしていたと思う。

※河合美智愛さんの失踪は若い女性の失踪が多い昭和60年前後の時期である。これまで拉致の可能性を考える上でひっかかってきたのは

 A 日本国内での目撃証言
 B 本人があまり外に出なかったことで、工作活動の網にかかる可能性が低かったのではないか
 C 自宅から会社までの距離が短く、また日中の失踪であること

 などだった。今回の調査でAについては一旦除外すべきとの結論になり、Bについては自動車学校、ドライブ、就職活動など様々な状況で接触される可能性があったことが分かった。特に就職活動では履歴書を何カ所も送っており、個人情報も漏れていた可能性はある。Cについてはまだ検証が必要だが、同時期の山本美保さんや秋田美輪さんも日中の失踪であることからして面識のある人間に誘引されていれば拉致されたと考えてもおかしくはない。今後上記の点を再検討する必要があると思われる。

6、工作員密出入国関連地点

(1)輪島市門前町・猿山灯台
 辛光洙事件、中川事件時の潜入地点調査を行った。ここは非常に険しい崖であり、灯台を建設した大正時代には陸地からのアクセスができず、海から資材を運び込んだとのこと。灯台はあくまで目印であり密出入国はこの付近の別の場所であろうと思われた。

(2)輪島市門前町黒島
 徐勝・徐俊植兄弟の密出入国(昭和45年8月と9月)場所だが、開けた海岸で漁港があり、必ずしも密出入国には適していないような場所であった。一か所漁港の外れに岩礁が見えたのでそこで待ったのかも知れない。また議論の中でこの地域のどこかを使ったとすれば絶対に発見されないという自信があったのではないかとの意見もあった。

(3)志賀町前浜
 韓光熙の『わが朝鮮総連の罪と罰』(文春文庫)に出てくる侵入ポイントの一つ。狭い湾で、ここでも侵入は十分できるだろうが、近くに「義経の舟隠し」という切り立った崖の間の入り江があった(左写真)。ここが使われた可能性もあったと思われる。
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▲現在「しおかぜ」の放送時間と周波数は以下の通りです
夜 22:30-23:30 5985kHz、6020kHz、6135kHz のいずれか (100kw)
深夜 1:00-2:00 5985kHz(300kw)

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等

★10月17日(土)17:00 次世代の党タウンミーティング(同党主催)
●アスクビル(福岡市博多区博多駅東1丁目16-25 博多駅筑紫口徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ 石井支部長(092-263-8085)

★10月18日(日)14:30 拉致問題を考える集い(国民行動京都主催)
●護王神社・護王会館(京都市営地下鉄烏丸線丸太町駅徒歩10分 075-441-5458)
●代表荒木が参加
●問合せ:同会(075-708-3605)。

★11月1日(日) 13:00「拉致・特定失踪者問題の早期解決を願う福井県集会」(福井県特定失踪者の真相究明を願う会主催)
●おおい町悠久館(小浜線若狭本郷駅徒歩20分 0770-77-2812)
●代表荒木・副代表岡田が参加

★11月14日(土)14:00 拉致問題講演会(群馬県主催)
●北橘公民館(渋川市北橘町真壁2354 0279-52-2300)
●代表荒木が参加
●問合せ:群馬県健康福祉部健康福祉課総合政策係(027-226-5516)

★11月15日(日)15:00 日本会議世田谷・目黒支部秋期時事講演会(同支部主催)
●目黒区青少年プラザ(中目黒駅徒歩10分 03-5721-8575)
●代表荒木が参加
●問合せ:伊藤さん(090-1204-9291)

★11月21日(土) 13:00「拉致問題から見える日本の姿」(国際ロータリー第2660地区主催)
●コングレコンベンションセンター(大阪駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:大阪天満橋ロータリークラブ(06-6344-0120)

★11月27日(金)民社人権会議講演会(同会主催)
●UAゼンセン会館(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)
 ※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い
●代表荒木が参加
●問合せ:武藤事務局長(090-8941-8677)

★11月28日(土)茨城県民集会(救う会いばらき主催)
●水戸市・県民文化センター
●代表荒木が参加

★11月29日(日) 12:30 「特定失踪者中国地区大会・In 岩国集会」(同集会実行委員会主催)
●岩国市役所
●代表荒木が参加
●問合せ 加治さん(090-3377-0980)

★11月29日(日)18:00「サイコー!JAPAN!Vol.5」(ライブ)
Open:17:30 Start
●西荻ターニング(西荻窪駅徒歩3分 0422-70-6030)
●専務理事村尾が参加
●前売り予約・問合せ チーム継承(teamkeisho@saneyoshi.net)

★12月11日(金) 14:00 「人権講演会」(福岡市主催)
●アクロス福岡(福岡市中央区天神1-1-1)
●代表荒木が参加

★12月12日(土) 17:05 「トークショー 日本人拉致問題は解決するのか?」(シネマ・ノベチェント主催)
●シネマノヴェチェント(京浜急行戸部駅徒歩8分 045-548-8712)
●代表荒木が参加
●前売り予約・問合せ 同館(電話ないしメール info@cinema1900.yokohama)

※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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特定失踪者問題調査会ニュース
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発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
kumoha551■mac.com宛メールをお送り下さい)
※■を半角の@に置き換えて下さい。
●カンパのご協力をよろしくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会
(銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はご連絡下さい)
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