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2016年6月14日

「民主社会党」誕生の記

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 これは政治研究会の「政治」昭和35年(1960)2月号に掲載された伊藤郁男さんの論文です。書類を整理していたら出てきました。伊藤さんは民社党本部の大先輩で、参議院議員も務められました。息子さんが俳優のいとうせいこう氏。同年1月24日が結党記念日なので、その直前に出たものと思われます。政治研究会と「政治」についてはどのような団体・雑誌だったのか分かりません。民社研の前身だったのか、もしご存じの方がおられたら教えていただければ幸いです。

 結党当時の熱い雰囲気が伝わってくる文章で、最近の政党のできるときとは全く違うものが感じられます。当時は国民政党としての民社党に対する期待が非常に強かったと聞いていますが、残念ながらこの年の総選挙を控えた自民・社会・民社の3党首演説会のとき、山口二矢に社会党浅沼委員長が刺殺され、風向きが一気に変わってしまいました。社会党は浅沼委員長の遺影を掲げて同情票を集め、社会党から別れた民社党は裏切り者扱いをされるに至り、40人いた衆議院議員が17人当選、さらに3人が亡くなって14人と、激減してしまいました。以来結党当時の議席数を超えることなく民社党は解党に至りました。

 あのとき浅沼刺殺事件がなければ社会党を上回り、政権交代のできる足がかりを作れたのではないか。死んだこの年を数えるようなものですが、私たちにとれば浅沼委員長刺殺事件は山口の意図とは真逆に、その後長く続く自民社会のなれ合い、戦後体制を作るために大変な「貢献」をしたものと感じられます。

 全文は以下でダウンロードできます。

「minshatanjou.pdf」をダウンロード

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