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2016年9月15日

西村眞悟前衆議院議員の書評

西村眞悟前衆議院議員が『靖国の宴』についてご自身のメルマガ『西村眞悟の時事通信』で紹介して下さいました。
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「靖国の宴」、魂の普遍的で根源的なもの
平成28年9月15日(木)

 特定失踪者問題調査会の荒木和博さんが、突然、小説を書いた(書きよった)。
   「靖国の宴、戦って散った男たちのおとぎ話」
 これは、敵味方に分かれて国のために戦って戦死した男たちが、
 夜の靖国神社の桜の花が散る闇のなかに集まり、
 和気藹々と日本酒を飲みながら話しあう物語である。
 集うのは、
 昭和二十年三月二十七日、鹿児島開聞飛行場から飛び立って沖縄方面の敵艦に突入戦死した中村義三郎大尉以下七名の第二十三報国隊の陸軍特攻隊員。
 彼らは、六十年後の平成十七年三月二十七日に韓国西端海域で北朝鮮の警備艇と韓国高速艇の間で行われた第二延坪海戦を見ており、
 その海戦における韓国と北朝鮮の戦死者たちを靖国神社に招待した。
 そして、第二十三報国隊の白川中尉らの出撃前の世話をして
 翌日アメリカ軍の戦闘機の機銃掃射で死亡した女学校生徒と
 白川中尉が突っ込んだアメリカ巡洋艦に機銃手として乗っていて戦死したジャックというアメリカ海軍将兵。
 
 彼らの一人が言った。
 
 「ここに来ている連中は皆戦って死んだ奴らばかりだ。
 それも自分のためではない、自分の祖国のため、他の誰かを守るためだ。
 素晴らしいことじゃないか。
 だからこそ、お互いに殺し合いをした人間同士がこうやって意気投合できるんだ」

 この「靖国の宴」を読了した後、
 この幻想的な「おとぎ話」は、
 著者の荒木和博という日本人の、
 魂の根源的なところから涌きだしたものだと感じた。
 よって、ここで、「靖国の宴」から伝わってくる、
 日本人の普遍的で、基本的で、根源的なもの指摘したい。
 
 まず、話を、
 一八五五年一月のインディアンの酋長シアトルの抗議文から始める。
 この年、アメリカ合衆国のワシントン総督は、
 その土地のインディアン(レッドマン)であるスクァミッシュ族に対して、
 土地を明け渡して居留地へ移動せよという強制命令を出した。
 その時、酋長のシアトルは、合衆国に抗議文を提出する。
 その抗議文のなかに滲み出ているインディアンの魂の根源的な部分を次ぎに記す。
 
 「そもそもあなた方の神ゴッドと、
 われわれの神グレイト・スピリット(大霊)とは全く相容れないものだ。
 ゴッドは自分の民は愛しても異民族は嫌う。
 白い肌のわが子をやさしくかばい、
 あたかも父親がわが子を可愛がるように手引きをするが、
 赤い肌の者のことは一向に構わない。
 われわれの崇める大霊はそんなえこひいきはなさらない。・・・
 あなたがたの宗教は活字によって書き記されている。
 レッドマンにはそれが読めないし、理解できない。
 それとは違い、われわれの宗教は先祖からの伝統なのだ。
 厳粛なる儀式のもとに、夜の静寂のなかで、
 大霊より授かったものだ。
 それが、偉大なる先祖のビジョンとなって、
 われわれの胸に刻み込まれている。
 あなた方の先祖は、墓の入口を通り抜けると、
 それきりあなた方のことを忘れる。
 あなた方も彼らのことを忘れる。
 が、われわれの先祖霊は地上のことを決して忘れない。
 うるわしき谷、のどかなせせらぎ、壮大なる山々、木々にかこまれた湖・・・
 彼らはしばしばその美しさが忘れられず舞い戻ってきては、
 われわれのもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる。」

 われわれ日本人は、数十万年前、
 ウラルアルタイの何処かで、
 彼らレッドマンと共通の先祖をもっている。
 そして、悠久の時を隔てた現在に至って、太平洋の西と東に離れても、
 共通の先祖から伝えられた魂の根源的なものを共有している。
 「靖国の宴」は、酋長シアトルの言う、
 「地上のことを決して忘れない霊たち」の宴である。

 次ぎに、人間の存在とは何か。
 まず、斬れば血が出て痛いこの目に見える「身体」がある。
 しかし、それだけか。
 目に見えないものは「ある」のか「ない」のか。
 目に見えないが、「こころ」(心体)はあるし「霊」(霊体)はある。
 人間とは、身体と心体と霊体である。
 従って、「身体」はなくなっても「心体」と「霊体」はある。
 「靖国の宴」は、このことを前提にして、
 即ち「英霊」の存在を前提にして生まれた。
 そして、これは、
 楠木正成の、七度生まれかわって天皇のためお国のために尽くすという
 「七生報国」の誓いを自然に生み出す根源的意識(魂)そのものである。

 さらに、この宴の場が、何故、日本の靖国神社なのか。
 靖国の英霊が、彼らを靖国神社に呼んだのは何故か。
 それは、日本の、「国風」、「國體」また「神社」にその鍵がある。
 彼らは、中共の革命英雄祈念碑の下や
 フランスのノートルダム寺院に集まったのではない。
 これらに集まったのなら、あの宴の和気藹々とした空気は生まれない。
 彼らは靖国神社に集まった。
 このような宴は、おおらかな多神教と
 敵味方の区別を越えて「和」を尊ぶ精神世界即ち日本でしか起こりえない。
 シナおよび西洋のもつ戦闘思想は、
 異民族を殺戮し殲滅するためのものである。
 これに対して、我が国のもつ戦闘思想は、
 天皇のもとで「和」をもたらすためのものである。
 戦闘は、「和」を回復するために行う。
 その為、
 シナや西洋では「兵は詭道」(敵を騙すこと)である。
 しかし、我が国においては、「兵は誠心誠意の精鋭」である。
 荒木和博氏は、「宴」の場所を、
 シナの革命英雄祈念碑前にしようか、
 それともノートルダム寺院か、
 と色々あたってみたあとで、
 靖国神社にしたのではあるまい。
 考えるまでもなく、
 彼の小説の着想自体が靖国神社から生まれたのであろう。
 何故なら、
 著者荒木和博は日本人であり、
 靖国神社に英霊がおられるからである。

 荒木和博著、「靖国の宴、戦って散った男たちのおとぎ話」、高木書房
 を一読されたい。

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