特別検証(宮崎)報告 【調査会NEWS2489】(29.6.25)
以下、23日の報告会で発表した宮崎での特別検証報告をお送りします。長くなりますがご関心のある方は御一読いただけると幸いです。なお報告会のもよういついては後日YouTubeなどで公開する予定です。
特定失踪者問題調査会第6回(宮崎海上)報告書
特定失踪者問題調査会
1 第6回特別検証について
宮崎県において1980年代を中心に拉致・失踪・工作員関連事案が相次いでいる。その理由が何なのかを中心に海上からの検証を行った。
2 日時 平成29年(2017)6月8日(木曜日)
3 場所 宮崎県南部(小丸川河口〜青島)
4 参加者
(1)調査会:代表・荒木和博、副代表・岡田和典、専務理事・村尾建兒、常務理事・杉野正治、同・武藤政春
(2)家族:家族:水居徹(水居明さん子息)、前山利恵子・光秋(園田一・敏子夫妻の娘夫妻)、増元照明(増元るみ子さんの弟)
(3)支援者:吉田好克・救う会宮崎代表、津曲久美・美代ちゃんの失踪を考える33の会代表
5 日程
08:30宮崎港・檍浜(あおきはま)漁協集合。ブリーフィング後乗船(マスコミも含め4隻)小丸川河口・一ツ瀬川河口、石崎浜と検証を行い檍浜に戻って昼食、その後青島に向かい海上からの検証後16:30頃帰港。ブリーフィングを行い終了。
6 検証内容
(1)不審船による追跡事案(小丸川河口付近)
平成25年(2013)10月5日放送されたTBS『報道特集』の中で、林田さん・水居さんが行方不明となる前の昭和62年(1987)に高鍋町小丸川(おまるがわ)河口で船から友人と釣りをしていた人が不審船に追いかけられるという事案が発生していた。概要は以下の通り。
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この年7月か8月頃、男性が友人と海釣りをしていたところ、正体不明の船が近づいてきた。銃でも撃たれるのではと恐怖を感じ、慌てて糸を切って様子をうかがいながら逃げたがゆっくりとついてくる。河口付近の水深の浅いところへ逃げたらようやく引き返していった。船は約25メートル位(平成13年奄美沖工作船事案で自沈した工作船は約30メートル)。 後部にクレーンがあり、後部の柵がなかった。船体は黒っぽかった。
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一方、2003(平成15)年9月18日に放送されたテレビ朝日の報道番組『迷宮の扉』でもこの不審船に関する場面があった。
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高鍋町の沖合い約4キロメートルの海上で釣りをしていた二人の船に沖合いから見たことのない船が近づいてきたので錨を上げて逃げたら、その船が追いかけてきた。少し離れて見ているとジワジワとまた寄ってきた。クレーンのような物を装備していた。奄美沖で自沈した工作船に似ていた。
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宮崎市から小丸川河口まで向かう途中感じたのはこの地域の地形が平坦で目標とすべきものが極めて少ないということだった。第4回の特別検証では反対側(九州の西側)となる鹿児島吹上浜周辺を海上から検証したが、吹上浜も同様松林と砂浜が続いているものの、沖合には中継地点となる久多島があり、陸上には目標となる金峰山があった。宮崎市以北の海岸にはそのどちらにあたるものも存在しない。
宮崎ー高鍋間で目標となるものはこの小丸川及び南にある一ツ瀬川(後述)の河口、そしてその間にあるKDDIのマイクロ波通信タワー(現在は使われていないが平成4年-1992-に設置されており岩本美代子さん失踪の時点では存在した)、あとは後述の航空自衛隊新田原基地(新富町)である。
これらから考えると河口は重要な上陸ポイントである可能性が高く、上記の目撃証言の船も北朝鮮の工作船である可能性は否定できない。ただしこれまで明らかにされた工作船の写真の中に後ろが開いた船というのは目撃されていないのでさらに検証は必要だと思われる。
なお小丸川の河口は奥に中州があり、周辺も身を隠すのに便利であるとのこと。あらためて陸上の検証が必要である。
(2) 林田さん・水居さん失踪関連事案(一ツ瀬川河口付近)
昭和63年(1988)7月17日日曜早朝、高鍋町の建設会社社長・林田幸男さん(当時53歳)と宮崎市の不動産会社社長・水居明さん(当時51歳)の2人は、宮崎市赤江の通称タンボリに停泊させていた林田さん所有のプレジャーボート「共擁丸」1t(ヤンマー製・マリン・ハンターFZ25)で海釣りのため午前4時頃出港したが夜になっても帰港せず行方不明となった。林田さんの家族は翌18日午前、海上保安庁油津海上保安部へ届け出を行い、海と空から捜索が行われた。
その結果、タンポリから北東57kmのところで海保の船が救命胴衣を見つけた。救命胴衣には髪の毛が2〜3本着いており灯油が染みていたが、結局『共擁丸』のものかどうかは分からなかった。それ以外には船体はもちろん一切の遺留品が見つからず、また事案発覚後、宮崎市稗原町所在の釣具店によるパーソナル無線を使用した連日の呼びかけにも応じることはなく、行方不明のままとなった。
林田さんは失踪事件の前に宮崎県警が作成したビラを見ていた。娘さんに「もしデートするなら夜遅くとか、暗くなってから海岸には近づくな、大変なことになる」と言っていた。失踪ひと月前に林田さんは夫人に「探偵でも付けているのではないか」と言っている。また林田さんは、弟さんに「一か月後に自分がいなくなったら…」と言ったことがあった。これが何を意味するのか不明だが、あるいは固定スパイに追尾されていた可能性がある。
船が近海でまるごといなくなるケースは他にない。共擁丸の大きさはアンテナを外せば工作母船に収納できる大きさとも言われ、工作子船代わりに使われた可能性もある。プレジャーボートであれば漁船以上に怪しまれないからである。
今回検証したのは前述TBS『報道特集』の中で、林田幸男さん・水居明さんが行方不明となった翌日、一ツ瀬川の河口付近で沈みかけているクルーザーのような船を見かけたという証言についてである。
☆報道要約
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昭和63年(1988)7月18日(林田さん・水居さん失踪の翌日)、福岡から宮崎へ福岡在住の会社員K氏(福岡在住)が福岡空港から飛行機で宮崎空港に向かう際、沈みかけた船を目撃した。飛行機は一ツ瀬川河口の南側を川に沿って東へ向かい、海上でUターンして宮崎空港に着陸(10:45着)するが、そのとき河口付近で白いクルーザーのような船が沈みかかっているのを目撃した。船は船尾の方が沈みかけていて船首が上の方を向いていた。着陸後、すぐに海保に連絡をした。その後平成18年(2006)になってK氏のもとに宮崎南署が聴取に訪れている。
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K氏は非常にまめな性格で、極めて詳細な記録を残しており、当時すぐに海保に連絡をするなどの行動からしても、そのような船があった可能性は極めて高いと思われる。問題はそれが共擁丸であったかというだが、平成18年になって警察がK氏のもとを訪れていることは海保から警察に情報が伝わったということでもあり、当時何らかのう動きはあったものと思われる。この情報については関係機関に何らかの記録がないか調査を進める必要がある。
なお、前述のように一ツ瀬川の北側には航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地がある。新田原基地は昭和15年(1940)陸軍の飛行場として開隊し、終戦後一旦開拓農地になった後航空自衛隊設置後再度飛行場として使用することが決定。昭和33年(1958)滑走路が完成し、現在は第5航空団などが置かれている。検証中もF15などがひっきりなしに訓練で離着陸を繰り返していた。目標物という意味のみならず、朝鮮半島有事にかかわる軍事施設という意味で北朝鮮が注目していたとしても不思議ではない。その見地からの調査も今後必要であると思われた。
(3) 岩本美代子さん失踪関連(石崎浜)
平成7年(1995)11月5日(日曜日)、佐土原町(現宮崎市)に居住していた岩本美代子さん(当時36歳・建設会社勤務)が自身の私有車で交際していた男性A氏と出かけたまま一人行方不明となり、その後私有車だけが石崎浜(佐土原)の海岸で斜面に乗り上げるようにして放置されているのが発見されている。
平成26年(2014)6月22日付朝日新聞宮崎版の記事によれば当日の朝、家を私有車で出た美代子さんは宮崎市フェニックス自然動物園の駐車場に私有車を置き、A氏の車に乗り換えて北に向かったが途中で喧嘩となり、引き返して正午ごろ動物園の駐車場でA氏と別れたとされている。美代子さんの行方不明後、私有車は動物園駐車場から北に約3km離れた石崎浜の海岸で鍵が付いたまま放置されているのが発見された。美代子さんは酒を嗜まないのにA氏から誕生日のプレゼントとして送られたというウイスキーが撒かれ、ボトルが残っていた。ウイスキーの箱には美代子さんの物と思われる衣服が詰め込まれた状態で残されていたという。
当日の朝、美代子さんは自宅を出る際に祖母から「手紙を投函してほしい」と頼まれていた。その手紙は宛先に届いていたが消印は日南市宮浦に所在する『鵜戸郵便局』のものであり、A氏の証言が正しいのであれば、美代子さんは当日の正午頃、フェニックス自然動物園の駐車場でA氏と別れた後、約50キロ南下し日南市まで行き、鵜戸郵便局の管内で手紙を投函し、再び佐土原に戻ってきたことになる。さらに美代子さんが当日持参したカメラは後日、日向方面の質屋から発見された模様であるが、A氏の証言では当日は日向方面に向かったものの、日向大橋で引き返したことになっており、カメラだけが日向方面で発見されたことも不可思議である(佐土原と日向の距離は約60キロ)。なおA氏は当時警察に事情聴取を受けたが、アリバイがあったとされている。
当日の検証では岩本美代子さんの同級生で、「美代ちゃんの失踪を考える33の会」の津曲久美代表が車輌の置かれていた海岸に立って位置を示してくれた。この場所は近くに一ツ瀬川の河口、さらにその北に前述のKDDIマイクロ波通信タワーがあり、海上から見ると3カ所はかなり近くに感じられる。またその一ツ瀬川の上流にあるのが岩本さんとA氏が引き返したとされる日向大橋である。海上から見た位置関係からすれば何らかのつながりも考えられる。
※本件について海上からの検証とは関係ないが今回の検証の準備段階で岩本美代子さんの失踪について次の様な問題点が提起されている。
・従来の「失踪当日の経緯」の殆どはA氏の供述が基になっているが、失踪後のA氏や勤務先の上司の言動などから、疑いは拭いきれない。また郵便物の消印や質屋から出てきたカメラなど、疑問は多く残る。したがって岩本美代子さんの失踪の経緯については今一度ゼロベースで考える必要を感じる。
・失踪約1週間後、11月11日から13日まで天皇皇后両陛下が宮崎県を行幸啓されており県警・海保はかなり早い段階から厳戒態勢をしいていたはずであり、拉致を含む工作活動も通常より困難であった可能性がある。しかし逆に厳戒態勢下で事件性の疑われる失踪が発生した場合、責任を問われることを恐れて、自殺で処理した可能性も排除できない。
・失踪のおよそ4年前に岩本さんは周囲に「向かいのアパートから覗かれて…」と話していた。これが失踪(拉致)と関連しているとすれば、かなり早い時期に目をつけられていたことになる。したがって岩本美代子さんの失踪以前の背景についても改めて調査をする必要がある。
(4)原敕晁さん拉致現場及び田口八重子さん拉致関連(青島)
(ア)原敕晁さん
昭和55年(1980)年6月中旬、当時大阪市天王寺区の中華料理店『宝海桜』に勤めていた原敕晁さん(当時49歳)が北朝鮮工作員・辛光洙の主導により、『宝海桜』店主の李三俊らによって宮崎市青島の橘ホテルで飲食させられた後、海岸まで誘い出されて拉致された。辛光洙は北朝鮮に帰国して工作員の再教育を受けていた際、指導部の幹部から「日本人を拉致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、李吉炳(在日朝鮮人大阪府商工会長)、李三俊(在日朝鮮人大阪府商工会元理事長)らと計画を練り、李三俊が経営する中国料理店「宝海楼」のコックとして勤務していた原さんに対し「良い職場を世話する」とだまして宮崎県日南市の青島海岸まで連れ出し、橘ホテルで飲食させて酔わせ、海岸に連れ出した後、「こどもの国」付近の海岸で工作員らに引き渡し、辛光洙も同行して北朝鮮に拉致していった。
このあと辛は、原さんを監禁した招待所で原さんから本人の経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして同年11月、再び日本に密入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ渡航するなどしてスパイ活動を続けていた。昭和60年(1985)2月26日ソウルで逮捕された。同年6月28日付朝日新聞の記事には次のように記載されている。
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(国家安全企画部)の発表によると、主犯の辛は北朝鮮の最高首脳から「日本人をら致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、八〇年四月、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会元理事長らと計画を練り、李氏が経営する中国料理店「宝海楼」=大阪市天王寺区下味原=に勤める日本人コック原敕晃(ただあき)さん(四九)が独身で身寄りの少ないことに目をつけた。八〇年六月、原さんを「良い職場を世話する」とだまして宮崎県青島にある李吉炳・在日朝鮮人大阪府商工会長所有の別荘に連れ込んだ。さらに青島海水浴場の児童公園に誘い出したうえ、ここで待ち構えていた北朝鮮工作員四人と力ずくで口をふさぎ、手足をしばった後、袋に入れて八人乗りゴムボートで五百メートル沖に待機していた北朝鮮の工作船に移し、辛が同行して北朝鮮へ連れ去ったという。このあと辛は、原さんの経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして、八〇年十一月、日本に不法入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ来るなどしてスパイ活動を続けていたという。
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記事にある李吉炳の別荘は実在せず、「別荘に行こう」ということで声をかけられ、途中時間があるからと橘ホテルで食事をしたとされている。
海上からの検証は全体の日程が遅れて時間が足りず、十分にできなかったが、宮崎市以北と異なり日南海岸は比較的変化が多く地形を識別しやすいように感じた。青島海岸の場合何と言っても青島が侵入のための目標物としては最も分かりやすいが、周辺の「鬼の洗濯板」と言われる地形は上陸には向いていないようにも思われる。青島が目標物としてのみ使われて、実際の上陸は海水浴場を使ったとも考えられる。
ただし、当時新婚旅行ブームが下火になっていたとはいえ宮崎県の代表的観光地であり、観光客も多かったと思われるこの地域がなぜ拉致に使われたのかはやはり疑問が残る。人が多くても使ったということであれば、やはり安定した「工作土台」が存在し、使い易かったということであろう。本件で警察は拉致犯罪として立件をしようとしたが韓国の捜査当局の書類の不備などを理由に検察が起訴をしなかったと言われている。
(イ)田口八重子さん
東京都豊島区に居住し、池袋駅近くの飲食店に勤めていた田口八重子さん(当時22歳)は、昭和53年(1978)6月12日、子供2人をベビーホテルに預けたまま行方不明となった。行方不明から9年後の昭和62年(1987)11月29日に発生した「大韓航空機爆破事件」で逮捕された北朝鮮工作員・金賢姫が北朝鮮で日本人化教育を受けていた際の教官役が田口八重子さんと判明し、北朝鮮による拉致事件だったことが判明した。
平成14年(2002)9月、小泉首相が北朝鮮を訪問し金正日と会談した際に日本人拉致を認め、その後田口さんについては宮崎県の青島海岸から連れてきた旨の発表があった。拉致被害者で帰国した地村富貴恵さんは田口さんから「北朝鮮の南浦に着いた」と聞いていた。一方で佐渡からの拉致説もあり、現時点でも日本政府や警察は田口さんの拉致現場に関しては表向き「不明」としている。
田口さんは拉致される前同僚に「新潟に行く」と話していたとも言われる。母の出身が佐渡であったことから「新潟」がいつの間にか「佐渡」になってしまったようにも思われる。新潟県の本土のどこか(例えば2カ月後に蓮池さん夫妻が拉致された柏崎等)から連れ出されたという仮定も成り立つのではないか。北朝鮮が拉致現場を青島としているのは逆に青島でないという証拠とも言える。結婚したことになっている原敕晁さんと結びつけようとする目的が考えられ、ここから連れ去られたものでないとするのが妥当であろう。
<参考>
以下は今回行けなかった場所及び今後あらためて検証の必要な場所について参考まで記述する。
(1) 小戸之瀬(おどのせ)
宮崎港南東部・青島沖約30kmの地点にある地点で林田幸男さん・水居明さんが好んで通っていた釣り場である。
(2)鵜戸崎 沖 不審船『第31幸栄丸』逃走事案
昭和60年(1985)4月25日朝、宮崎県日南鵜戸崎の東南20kmの海上を北に向かう「第31幸栄丸」と表示された不審な漁船を漁業監視船が発見、臨検のため接近すると、不審船は猛烈なスピードで逃走したため、連絡を受けた第10管区海上保安本部は、空と海から2昼夜(38時間半)にわたって約1000kmを追跡した。しかし、不審船は時速32ノットのスピードで東シナ海に西進して、27日午前1時過ぎ、屋久島の北西約610kmの東シナ海海上で姿を消したが、南浦港に帰還したことが確認された。
(3)和田幸二さん失踪事案
昭和63年(1988)8月19日、南郷町(現日南市)に居住する漁師の和田幸二さん(当時31歳)は知り合いのスナックで知り合った男性の漁師と意気投合し、自分の私有車で自宅近くまで送った後、車ごと行方不明となった。男性の言によればスナックを出た後、朝の2時か3時頃、うどん屋に入り、そこを出た後、男性を自宅近くまで車で送り(和田さんは酒を飲まない)、その後、南の方角に車で行ったとのことだが、痕跡がない。
和田さんについては、脱北者が北朝鮮で平壌の羊角島ホテルの工事現場で空調や電気工事の責任者として働いていた旨の目撃証言を行っているが、未だに裏付けとなるものがない。家族によれば手先は器用だったが電気や空調関係の仕事に従事したことはなかったという。
(4)園田一さん・トシ子さん失踪事案
鹿児島県大崎町に住む養鶏場管理人園田一さん(当時53歳)と夫人の敏子さん(当時42歳)は帰省する娘さんを宮崎空港に迎えに行くため昭和46年(1971)12月30日、車で鹿児島県大崎町の自宅(管理人宿舎)を出たまま失踪、車も見つかっていない。最後に目撃されたのは自宅前の道から国道269号線に出てまもなくのガソリンスタンドであった。ここで都城を経由して宮崎空港に向かうと言っている。このケースは車を何らかの方法で停止させられ、拉致されたものと思われるが、その場所が宮崎だったのか、あるいは鹿児島県内だったのかは分かっていない。
(4)宮崎県下の拉致・失踪・工作員密出入国
宮崎県下での北朝鮮工作員による活動は、公表されているものでは辛光洙による密入国と、原敕晁さんを拉致しての密出国、「日向事件」の黄成国による密入国と密出国などが挙げられるが、これに特定失踪者の事案などを時系列に一覧で表すと以下のようになる。
・昭和46年(1971)12月30日 鹿児島県大崎町から自家用車で宮崎空港に向かった園田一・敏子夫妻が車ごと失踪。
・昭和48年(1973)〜51年(1976)のいずれかの時期 日南市青島海岸に辛光洙が同居女性を伴い青島海岸に旅行。到着後、女性を返し地形偵察及び工作員との接触行動を行ったと考えられる。
・昭和53年(1978)6月 田口八重子さんが東京・豊島区から拉致される。平成14年の小泉訪朝後北朝鮮側は「青島海岸から連れてきた」旨の発表
・昭和55年(1980)4月 辛光洙が日本人拉致・背乗りの指令を受けて日向市五十鈴川河口付近の海岸から潜入。
・同6月 日向市小倉ヶ浜から北朝鮮工作員黄成国が在日韓国人や韓国留学生の韓国潜入工作、工作員の指導監督などの目的をもって潜入
・同6月中旬 辛光洙が大阪から原敕晁さんを青島海岸まで連れ出し、拉致するとともに自らも北朝鮮へ向けて密出国
・同9月30日 日向市小倉ヶ浜から黄成国が北朝鮮へ向けて密出国(日向事件)
・同10月20日頃 日向市小倉ヶ浜から黄成国が密入国
・昭和56年(1981)6月24日 日向市金ヶ浜で黄成国は北朝鮮へ向けて密出国する予定でいたが、台風の影響で迎えの工作船と落ち合えず海岸を徘徊中に住民から通報され逮捕される。
・昭和58年(1983)年6月19日 警察発表者黒木節男さんが日向市駅まで友人を送った後、車ごと行方不明となる。
・昭和60年(1985)4月25日 日南市鵜戸崎沖約20kmの海上で「第1幸栄丸」と表記した不審船を海保が発見、追跡するも逃走、南浦に逃げ帰る。
・昭和63年(1988)7月17日 林田幸男さんと水居明さんがプレジャーボート「共擁丸」で釣りに出港したまま帰港せず船ごと行方不明となる。
・同8月19日 南郷町(現日南市)の和田幸二さんが飲食店で飲食後、知り合った男性を自宅近くまで送った後、車ごと行方不明となる。
・平成7年(1995)11月5日佐土原町(元宮崎市)の岩本美代子さんが交際相手とドライブに行き途中で別れた後、行方不明となった。本人の私有車は佐土原の海岸で発見された。
注:日向事件 (『戦後のスパイ事件』東京法令出版から要約)
この事件は、宮崎県下の海岸から密入国した北朝鮮工作員 斉藤幸雄こと黄成国(当時62歳)が、北朝鮮から携行した偽造外国人登録証明書を使用して在日朝鮮人に成り済まし、東京都内に潜伏し、元朝鮮籍の帰化人である北朝鮮工作員 Aらを指導監督しつつ、在日韓国人等の獲得及び韓国送り込み、自衛隊や日本の対朝鮮政策に関する情報収集などを行っていたスパイ事件である。
黄成国は、昭和18年 徴用工として渡日し、広島県呉造船所で2年間稼働の後に帰国し、昭和29年に北朝鮮工作員として採用され、約3年間のスパイ訓練を受けた後、北朝鮮の指定する在日朝鮮人の北朝鮮送り込み工作を指示され、昭和35年9月、京都府下の経ヶ岬から密入国した。
その後、北朝鮮に密出国し、北朝鮮工作員に対する訓練を担当し、日本の情勢についての教育等を行っていたが、昭和55年3月、再度スパイ訓練を受け、韓国で指導的立場に立てる在日韓国人や韓国留学生の獲得、獲得した在日韓国人や韓国留学生の韓国潜入工作、北朝鮮工作員の指導監督などの任務を指示され、昭和55年6月、乱数表、暗号表、偽造外国人登録証明書、工作資金等を携行して宮崎県日向市の小倉ヶ浜海岸から密入国した。
密入国後、黄成国は、Aと連絡をとり、東京都内の在日韓国人宅にアジトを設定し、会社を経営する大阪居住在日韓国人Bを獲得して、会社を韓国に進出させる準備を進め、Bを頻繁に渡韓させていた。
その後、Bが韓国においてスパイ容疑で逮捕されたことから、身の危険を感じ、北朝鮮からの帰還指令を受けて昭和56年6月、宮崎県日向市の金ヶ浜海岸から北朝鮮に密出国しようとした。
宮崎県警は6月24日、折からの台風のため北朝鮮工作船と合流できないまま、日向市の通称金ヶ浜海岸を徘徊中の黄成国を逮捕し、脱出しようとしていた海岸の松林から、暗号メモ、脱出地点の地図、偽造外国人登録証明書等を発見するとともに、7月10日、Aを逮捕し、暗号表、暗号指令受信録音テープ等のスパイ活動を裏付ける資料を押収した。
まとめ
今回事前調査の中で日向事件などの意味がクローズアップされた。日向に工作拠点なども含めた重要性があったのではないかと思われたが、遠方であり行くことができなかった。今後陸上からだけでも調べてみる必要がある。この点は青島より南も同様である。また、海上から見て宮崎の河川の河口は地形が複雑で、小丸川の河口なども陸上からの検証をあらためて行う必要があるだろう。
宮崎における工作員の活動は1980年代特に活発化しているが、おそらくその前から使われており、1970年代日本海側の警備が厳しくなったために頻繁に使われるようになったものと推定される。また、原敕晁さん拉致事件などに使われたことを考えると有力な工作土台が存在した(している?)と思われる。元朝鮮総聯財政局副局長韓光煕の著書にある38カ所の上陸ポイントには宮崎は1カ所もない。逆に考えれば日本中にどれだけ多数の上陸ポイントがあるか分からないということでもある。
なお今次特別検証の実務面では以下の反省点があった。
・ドローンの喪失
今回青島までの各所でドローンによる空撮を行ったが、最後の飛行の折操縦不能になりドローンが墜落水没した(写真)。原因は不明だがドローンの喪失以上にそれまでの画像データが全て失われたことが惜しまれる。今後使用の際には頻繁にSDカードの交換をすることが必要であると痛感した。
・船団による行動の問題点
今回マスコミ用を含めて4隻をチャーターしたが、速力にかなりの差があり、遅い船に合わせたために大幅に日程が遅れた。本来は青島からさらに南下する予定だったが青島沖で引き返さざるをえなかった。船同士の意思疎通も難しく(艦対行動がいかに難しいかを痛感した)、今後はできるだけ大きな船で隻数を減らすべきであろう。
<「しおかぜ」の放送時間と周波数は以下の通りです>
22:00〜23:00 短波6040kHz 5965kHz 7215kHzのいずれか
23:05〜23:35 短波6090kHz 7295kHz 6165kHzのいずれか
23:30〜00:30 中波1431kHz
01:00〜02:00 短波7215kHz 6090kHz 6165kHzのいずれか
<調査会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等 >
※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。
・7月21日(金)14:00「アニメ『めぐみ』上映会」(拉致問題対策本部・北海道庁・札幌市・救う会北海道主催)
・札幌駅前地下広場(地下鉄札幌駅と大通り駅をつなぐ地下通路のオープンスペース)
・代表荒木が参加
・問合せ 北海道庁国際課(道庁代表番号 011-231-4111)
※イベント自体は10:30に開会され14:00までは映画が繰り返し上映されます。
・7月23日(日)13:30「すべての拉致被害者を救出するぞ!国民の集いinいばらき」(拉致問題対策本部・茨城県・水戸市主催)
・常陽藝文センター(水戸市三の丸1-5-18 水戸駅北口徒歩10分 029-231-6611)
・代表荒木が参加
・問合せ 茨城県人権施策推進室(029-301-3135)
※事前申込みが必要です。
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・channel AJER(チャンネル アジャ)では代表荒木の担当する番組『救い、守り、創る』を送信しています。会員制ですが1回30分の番組の前半は無料で視聴していただけます。
http://ajer.jp
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・チャンネル桜【防人の道NEXT】「しおかぜ」緊急放送 / 特定失踪者問題調査会「特別検証 in 宮崎」報告-村尾建兒氏に聞く[桜H29/6/21]
・専務理事村尾が出演
・下記で視聴できます。
https://youtu.be/ED_FO29H8P4
チャンネル桜【討論】どこへ行く朝鮮半島[桜H29/5/27]
・代表荒木が出演
・下記で視聴できます。
https://youtu.be/i2HCA2ay4mE
※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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<荒木共著『自衛隊幻想」』(産経新聞出版) >
・定価1200円(税別)
<荒木著『靖国の宴」』(高木書房刊) >
・定価1000円(税別)
<荒木著『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(展転社刊) >
・定価1800円(税別)
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特定失踪者問題調査会ニュース
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