やまと新聞「ノーザン・リミット・ライン」
「やまと新聞」に寄稿したものです(29.9.15付)
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韓国で一昨年「延坪海戦」という映画が大ヒットしました。平成14年(2002)6月29日、日韓W杯の3位4位決定戦の日に黄海の南北境界線(NLLーNorthern Limit Line)を北朝鮮海軍の艦艇が越境し、それを押し戻そうとした韓国海軍高速艇にいきなり砲撃を加えた事件、いわゆる「第2延坪海戦」を題材にしたものです。
韓国の戦争映画は左翼傾向の強い映画が少なくありません。「シルミド」「高地戦」「学徒兵」など、史実を題材にしていながら実際には捏造に近い映画は保守系から批判されていますが、「延坪海戦」は脚色はあるものの左翼臭はなく、その点安心して観られます。
第2延坪海戦では韓国軍高速艇1隻が沈没し、6名が戦死しました。重傷を負って入院し、2カ月後に亡くなった朴東赫兵長は21歳、手術で摘出した弾丸は合計3キログラムに及んだそうです。
韓国の場合大学の途中休学して軍務につくケースが多いので、この事件がなければ彼は除隊後大学に戻って青春を謳歌していたでしょう。今生きていれば40前で、就職し結婚して子供の成長を見つめていたのではないでしょうか。
戦死した6人の最高齢は艇長だった尹永夏大尉ですが、それでも満28歳。
高速艇は南北の境界でも陸上の休戦ライン以上に緊張の多いNLLを守ります。
拓殖大学の高永喆客員研究員はかつて韓国海軍で高速艇の部隊長をしていました。冬は高速艇に凍り付いたつららをハンマーで叩き割りながら勤務をしていたと言っていました。私たちには想像のつかない過酷な任務です。
昔日本人は韓国の人からよく「日本は安保意識が薄い」と言われました。確かにその通りでした。
今は韓国も変わって「日本人はなぜ北朝鮮のミサイルにあれほど騒ぐのか」と言われます。
確かにソウルの街は平和そのものです。8月29日にミサイルが飛んだときも私はソウルにいましたが、街には何の変化もありませんでした。テレビのニュースは日本で大騒ぎになっていると報じていました。
しかし、それでも韓国の平和は第二延坪海戦のような戦闘と背中合わせになっているのです。
北朝鮮軍には全面戦争の能力は全くありません。だからこそ核やミサイルに依存するのですが、小規模な挑発は可能であり、実際これまでも度々挑発を行ってきました。だからこれからも韓国の軍務についている若者は死んでいく可能性があります。もちろんその点は北朝鮮の若者も同様です。
日本の中で韓国について罵詈雑言を浴びせる人は少なくありません。確かにそう思うのが仕方ない面もあります。私も韓国人の友人などに「かつての大韓民国は『ウリナラ』という別の国になってしまった」などと言うこともありますし、論文などでも批判はしています。
しかし、それなら日本で、国を守るために死んでいくと本気で思っている人間はどれだけいるのでしょう。
居酒屋でビールを飲みながら大演説をぶつ「居酒屋国士」はいても、本当にそういう覚悟をしている人間は私も含めてほとんどいないのではないでしょうか。
しかし韓国は、覚悟をしているかどうかは別にして現実にそれと背中合わせの上での平和ボケなのです。
私が昨年書いた小説『靖国の宴』の主人公は尹永夏大尉がモデルなのですが、あれを書こうと思った最大の理由は、靖国の英霊は偉そうなことを言って参拝してくる現代の日本人より、仮に日本が嫌いだったとしても自分の国のために戦って散った韓国の軍人の方によほど共感するのではないかということでした。
「非戦」というのは本来戦える人間があえて戦わないということです。最初から戦いを放棄するのは「避戦」です。人の国に戦わせておいて、戦った人間を嘲笑するかのようなことをしてきた戦後の私たちは、ひょっとしたら世界で最も卑怯な存在だったのではないかとすら思うのです。
映画「延坪海戦」は日本でも「ノーザン・リミット・ライン」という題名で上映されDVDも出ています。ご関心のある方は一度ご覧いただければ幸いです。
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