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2017年10月18日

現実を知ることが抑止につながる 【調査会NEWS2570】(29.10.18)

 明日新潟に入り明後日佐渡の特別検証を行います。2568号で流した概要に一部加筆し、関連資料を付けました。特別な変更がない限り当日もこれを配付する予定です。関連資料は主に特別調査班が過去の新聞記事などを時間をかけて調べたものですが、公刊資料というのは馬鹿にできません。中に貴重な情報が山ほど眠っています。

 ところで、2568号で記載した今回の目的について、もう一つ付け加えました。これは特別検証による工作活動の抑止です。公開して検証を行うことは、佐渡における工作活動にブレーキをかけることになります。警察は外事事件の場合、手の内を見せられないことが多いので同様のことはなかなかできないでしょうが、具体的に知らせなければ啓発はできません。佐渡、そして日本の安全を守るためにも、これらのことをぜひ広めていただくようお願い申し上げます。
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第7回 特別検証 「佐渡宿根木・新穂」

1、目的
 大澤孝司さん失踪・宿根木事件をはじめとする佐渡における事案について検証をい、北朝鮮の対日工作活動についてその一端を明らかにし、今後の工作活動を抑止する。

2、日程
(1)実施日:平成29年10月20日(金)
    ※ 地元以外の参加者は19日(木)夕刻、新潟市内に集合
(2)時程:20日(当日の状況によって一部変更がある可能性があります)
 0755 新潟港発(ジェットフォイル) 
 0900 両津港着 車輌で移動
 1000 小木着
 1030 観光船乗船 宿根木事件現場海上及び陸上から検証
 1230 昼食
 1330 小木発 車輌で移動
 1400 新穂着 大澤孝司さん失踪現場調査
 1500 新穂発 車輌で移動
 1530 両津着・解散
 1625 両津港発(ジェットフォイル)
 1730 新潟港着

3、参加者
(1) 特定失踪者問題調査会役員 代表 荒木和博・代表代行 岡田和典・副代表兼事務局長 村尾建兒・特定失踪者家族会担当常務理事 武藤政春
(2)地元関係 大澤昭一特定失踪者家族会会長・高橋正救う会新潟会長・平岡一郎大澤孝司さんと再会を果たす会会長・高野宏一郎前佐渡市長・金子高敏佐渡市役所拉致被害者対策係長 他
(3)家族会 増元照明前事務局長
(4)他県関係 救う会福島赤塚公生代表・救う会兵庫島尾百合子さん
(5)報道関係者
※今回の検証にあたっては佐渡市役所の全面的な協力をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

4、検証(考察)事項
 新潟県における北朝鮮工作員の活動は公式に発表されている中では現時点、1955年(昭和30)6月に新潟中央埠頭から北朝鮮に向けて漁船で出港しようとして摘発された「第3次朝鮮スパイ事件」をはじめとして横田めぐみさん等の拉致事件などを含め20件近くになるが、このほかにも帰還事業船を使った工作活動や検挙されなかったものも含めると相当数の工作活動が新潟県を舞台に行われていたことが窺える。
 その中で今回当会が注目したのは特に小木町(当時)の宿根木海岸を利用した工作員の出入事案で、昭和36年(1961)6月中旬、工作員1名が密出国し、1名が入れ替りで密入国したとされる。また昭和45年(1970)5月中旬には宿根木から工作員が潜入、佐渡汽船経由で東京へ向かった事件、昭和47年(1972)3月中旬には宿根木の海岸に潜んでいた在日朝鮮人尹義重が逮捕される事件(宿根木事件)が生起している。
 小木町については元朝鮮総連中央本部財政局副局長だった韓光煕が全国38箇所に工作員の上陸地点を設定していた中の1ヶ所であり、佐渡ではこのほかに藻浦崎、黒姫と計3ヶ所の地点を設定していた。ただし設定の時期は昭和43年(1968)頃の話であり、少なくとも小木町ではそれ以前から工作員の出入場所として利用されていたことになる。
 一方佐渡では昭和49年(1974)2月下旬、新穂村(当時)の佐渡農地事務所に勤務していた県庁職員大澤孝司さんが同村の寮近くで行方不明となった。昭和53年(1978)8月12日、曽我ひとみさん、ミヨシさんの母娘が拉致され、その約1か月前には佐渡の沖合で不審船が目撃され、同時期工作船のものと思われる電波も傍受されていた。約2カ月前に拉致された田口八重子さんについても佐渡から拉致されていった可能性があると見られている。ちなみに平成14年(2002)9月17日の小泉訪朝以前、新潟県警の認識は大澤さんについては拉致の可能性があるが曽我さんは拉致ではないというものだったと言われている。
 今回の特別検証では以上の問題点に基づき、主に下記3点についての検証を行う。

(1)なぜ佐渡島を密出入国地点として選んだのか

 佐渡から本土への移動はフェリー又は漁船等を利用しなければ不可能であり、フェリーを利用する場合、日中しか移動できず、人目に付くというリスクがあるにもかかわらず、佐渡を利用した理由は何か。

◎新潟県警の位置づけ
 平成14年(2002)版「警察白書」では北朝鮮工作員による事件が戦後、非公開も含め50件を超えていることが明らかにされた。
 読売新聞の取材によれば新潟県では新潟周辺の海岸から工作員が上陸・脱出した事件は二十数件に上がる事も明らかになり、取材に対し警察当局が「新潟沿岸は佐渡島などの中継地点があるため工作船が接近しやすく、拉致の格好の現場になったのではないか」と分析したという。
 この記事から警察は佐渡島を工作活動の中継地点と位置付けていることがわかる。警察が「中継地点」として位置付ける理由の一つが佐渡島の地形で、「朝鮮半島から日本を目指して航海すると、佐渡島の金北山(標高1,172メートル)や、新潟市近郊のや弥彦山(同634メートル)、柏崎市の米山(同993メートル)などが上陸の重要目標になる」としている。沖合から新潟沿岸を眺めた場合、佐渡の金北山、新潟本土の弥彦山、柏崎市の米山などが接近目標として使われていたことを示唆しているのだが、これだけでは佐渡が中継地点として使われたと位置づける理由としては弱い。
 同記事内には新潟県警が1960年代から工作員の上陸・脱出を警戒し、佐渡島や柏崎市、村上市などの海岸線で警戒を始めていたということで、「月の出ない夜は、工作員が上陸しそうな海岸線に捜査員を張り付けていた」と県警OB談を紹介しており、県警が佐渡、村上、柏崎と工作員事件が生起した場所を注目していたことは間違いない。
(読売新聞:平成14(2002)年9月27日付「北朝鮮工作員事件、摘発50件、新潟『上陸・脱出』20件超す」)

◎ 佐渡に工作員の中継基地的な拠点があった可能性
 「拠点」は、固定化された拠点と一時的に使うと思われる流動的な拠点に分けて考えられる。固定化された拠点の場合、在日朝鮮人、又は潜入してきた工作員が自宅や貸家などを拠点にすると思われる。
 曽我ひとみさん母娘の拉致に関連して国際手配されているキム・ミョンスクは一説によれば「数日前から数年前の間、佐渡に潜伏していた」といわれており、旅館やホテルに滞在していたとは考えにくく、拠点があったと考えるのが自然と思われる。
 これまで日本に潜入してきた工作員が拠点として在日朝鮮人に協力させる場合、家族が北朝鮮にいる在日朝鮮人を事前に選び出し、北朝鮮から家族の手紙や肉声を持ってきて、いわゆる脅迫によって協力させていたことが確認されており、北朝鮮ではこれを「工作土台」と呼んでいる。仮に佐渡島内に拠点があったとするなら土台性がある在日朝鮮人が協力した可能性が高い。
 他には日本人による協力の可能性であり、北朝鮮に友好的な政党・団体の関係者が拠点・中継点としての協力を行った可能性もある。

◎ 本土よりも人の気配が少なく、目につきにくいという特性
 佐渡島で人口の密集しているのは中央部の平坦地と海岸線沿いであり、佐渡の北端や南端部では集落も少なく、山の多い地形によって平坦地と区切られている。これらの地域では観光地を別にすれば居住者以外、外部の人間が訪れることは少なかったであろう。

(2)何故、工作員による密出入国の場所として宿根木が選ばれたのか

 佐渡での島内移動は自動車を使わない限り路線バスを利用しての移動となるが、仮に両津港からのフェリーを利用して本土に渡る場合、宿根木から両津港までは真野を経由する路線が一般的で、宿根木〜真野間が1時間余り(途中小木乗換の可能性あり)、真野〜両津港間が約40分となっており、乗り換えがスムーズにいったとしても約2時間かかり、この間衆目に身をさらしていることになる。宿根木事件で逮捕された尹ら2人はバスで現地まで行ったのか。あるいは誰かが車で連れていったのか。後者であれば佐渡に協力者がいたことになり、この点は曽我さん拉致について北朝鮮側が発表した「日本人請負業者」との関係も注目される。

◎昭和43(1968)年頃から元朝鮮総連中央本部財政局副局長だった韓光煕が全国38箇所に工作員の上陸地点を設定していた中で佐渡では藻浦崎、黒姫、宿根木の3箇所が挙げられていたが、現時点判明している事件で出てくるのはこのうち宿根木だけである。
 宿根木は北前船の廻航地として歴史がある地域ではあるが、近代以降は観光客以外に外部の人間はあまり訪れないと思われ、夜間に上陸や脱出をするには適していたのか、ここで発生した事件が多い。

◎上陸した工作員はどのようにして本土に移動、浸透していったか。
 宿根木に上陸した工作員が本土に移動しようとする場合、佐渡島からは5つの方法しかない。
A)小木港から直江津港に向かうフェリーを利用
 ここで問題になるのが工作員の潜入時刻とフェリーの発着時期である。通常工作員が隠密裏に上陸してくる時間帯は夜半とされるが、小木を出港する直江津行きフェリーは夕刻には最終便が出港してしまう。そうすると、深夜に上陸してきた工作員はフェリーの出航時刻まで上陸地点か、港で時間を過ごすことになり、不審者として通報されるリスクが高くなる。
B)小木港から15km離れた赤泊港から寺泊港に向かうフェリーを利用
 これも季節によって便数に違いがあり、やはり夕刻には最終便が出てしまうため深夜に上陸した工作員は始発の便が出るまで島内で過ごすしかなくリスクは高い。
C)両津港から新潟港に向かうフェリーを利用する方法
 宿根木から両津港までは鉄道路線もないことから通常の場合、佐渡交通のバスで移動するが、前述のように宿根木から両津港までの直通路線は無く、一旦真野町を経由・乗換でしか両津港には行けない。バスの運行時間も夕刻で最終となる路線であり、深夜に上陸しても両津港方面へのバスは使えず、バスの運行開始まで時間を過ごすことになる。人眼に着く点では一番リスクが高いと言える。
D)私有車を使う方法
 一番リスクが低く、深夜でも動けるのは工作員をサポートする案内人(補助工作員)が車で迎えに来ていることで、上陸して直ぐに案内人の運転する車に乗ってしまえば人目に付くリスクも避けられる。また、フェリーを利用する場合はフェリーの発着時刻に合わせて送ってもらえば、難なくフェリーを利用することが出来るであろう。
 しかし、これもリスクが全くない訳ではなく、フェリーの船内では人目に付くことは避けられない。また案内人が本土から車ごと佐渡に渡ってきて工作員を出迎える可能性もあると思われるが、フェリーで車両を運ぶ場合は車検証や車番などの提示を求められる場合もあり、後々証拠となるリスクもある事から可能性としては低いかとも思われる。
E)協力者による漁船等で本土に渡る方法
 最初から協力者と連絡が取れていれば、上陸後に人目に付くことなく漁船に乗り換え、希望する港まで移動できるためリスクとしては一番低いようにも思われる。問題は協力者がどの程度信頼できるかであり、工作員にとってはこれもリスクの一つかもしれない。

(3)大澤孝司さん拉致に関する再検証

 大澤孝司さんは佐渡から島外に連れ出されたわけだが、その連れ出された場所がどこかについては私たち自身これまで検討してこなかった。直接、佐渡から工作小船等で連れ出された可能性が最も高いと思われるが、漁船などで一度本土に送られた可能性もある。また、乗用車などに閉じ込められフェリーで本州に一旦連れ出された可能性も全く否定することはできない。
 佐渡から直接島外に連れ出された場合、地理的には曽我さんが連れ出されたという真野湾が一番近いが、人目に付きやすい点などを考慮すると、相川町(当時)の藻浦崎、宿根木の可能性もある。今回の宿根木での検証はそのように使われる可能性があったかについても行う。
 昭和49年(1974)2月24日の気象データ(佐渡・相川地区データ)を見る限り、波高は高くても2m程だったとみられ、工作船の活動に影響はなかったと思われる。したがって工作船が大澤さんを連れ出したとする場合、連れ出す場所として可能性が高い場所は、これまで事件が起きていた宿根木海岸が実績上から一番の適地ではなかったかと思われる。
 二番目の適地としては、約4年後に曽我さん母娘が拉致される真野町(当時)の海岸、真野湾からであるが、実際問題として曽我さん母娘が真野湾から連れ出されたということに疑義もあり、現段階では「距離的に一番近い海岸」という程度の認識である。
 三番目は藻浦崎で宿根木よりも大澤さんが失踪した新穂に近い位置にあり、韓光煕が設定したポイントでもある。
 昭和53年(1978)6月下旬、東京・池袋から行方不明となった田口八重子さんの母の実家が相川町であり、同年7月5日前後、佐渡島周辺で工作船から発信された電波(A3)を政府機関が傍受していたことから、後に田口八重子さんが佐渡から拉致されたという「田口八重子=佐渡拉致説」の根拠となった場所でもある。
 なお平成に入ってから相川町の漁師が沖合で不審船に声を掛けられたという情報もあるが、これは後に盗み出した船を回送してきたものであったことが海上保安部の検挙によって判明したということであり、工作活動との関連性はないと思われる。

◎在日朝鮮人帰国(北送)運動との関連について
 大澤孝司さんが失踪した昭和49年(1974)2月24日前後の在日朝鮮人帰国(北送)運動との関連について確認した結果、直近では帰還船の「第170次船」が出港していたが、その出港日は大澤さんが拉致される2日前の2月22日であり、また次の帰還船「第171次船」は6月21日の出航だったということで、帰還船を使用した拉致・移送の可能性は無かった。
 ただし、これまで帰還船と工作船(貨物船を工作活動に使用した場合も含む)の関係を見ると、新潟港を利用して帰還船が出入港する際に工作船も連動して活動していた痕跡が幾つか確認されている。北朝鮮籍の貨物船で帰還船が新潟港に出入港するのに合わせて近隣の港に入り、不正輸出をしていた事例もある。新潟港に帰還船が入港する場合、近隣の港で勤務する税関や海保、入管職員などが応援のために新潟港に集められてしまい、その地域の港や沿岸部で警戒が薄くなるとも言われ、警戒が薄くなったところを狙って工作員の上陸や脱出を遂行していた可能性が高い。

 また事件と併せてみると、昭和36年(1961)6月13日、小木海岸から工作員1名が脱出?潜入?(逮捕された他の工作員の供述)という事件があった際、新潟港には帰還船の第63次船が入港していたとみられる。同帰還船は事件の3日後の6月16日、新潟港を出港している。また宿根木事件の3日後の3月17日には帰還船第163次船が新潟港を出港しており、翌18日には朝鮮総連第一副議長の金柄植が新潟市内で講演もしている。
 金柄植は前年の昭和46年(1971)に工作組織の隠れ蓑「ユニバース・トレーディング」を設立し、警察断定拉致被害者の高敬美・剛姉弟の母であり拉致の可能性の高い特定失踪者である渡辺秀子さん(殺害説もあり)の夫で工作員の高大基は金柄植の配下だったこともあり、宿根木事件との関連性もないとは言えない。
 治安機関ではこれまで帰還船を利用して北朝鮮当局が工作員に指示を出したり、工作員からの報告を受け、或いは工作員の交代をしていたともいわれており、帰還船と関連した新潟での工作事案もあると思われる。

◎直江津港を利用していた北朝鮮籍貨物船について
 直江津港を利用していた北朝鮮籍の貨物船は当時多かったとみられ、この貨物船に大澤さんを乗せて国外に連れ出そうとする場合、小木港から直江津直行のフェリーに乗せるのが簡単だが、これでは大澤さんが騒いだりすれば失敗する。しかし、協力者の船があれば小木港付近の海岸から乗せ、直江津港に向かい、深夜であれば貨物船に乗せることも可能であったと思われる。

◎ その他考察
 大澤孝司さんが失踪したのは内陸部、中心地に近い新穂である。最後に大澤さんが新穂で立寄った先では、大澤さんが店を出た直後に車の急発進する音を聞いていることから車を使用した拉致の可能性が高い。
 ここから考えられるのは偶発的な拉致ではなく、計画的な拉致であったということである。車まで準備し、立寄り先を出た直後に拉致していると思われる状況は、周到に計画・準備していなければ不可能である。
 では、何故大澤さんだったのか。通常工作員が拉致被害者になりかわる「背乗り」の場合家族関係をはじめとする人間関係が希薄な人を対象とするのが一般的で、大澤さんはこれには該当しない。とすると専門の農業土木という技術に目が付けられた可能性が考えられるのではないか。


5、参考:佐渡を含めた新潟県での事件概要

 ★が佐渡関連、○はそれ以外の新潟関連事件、※は参考文献

★ 昭和28年(1953)9月26日
 佐渡北端、弾崎沖で不審船を目撃、不審船は逃走
 ※読売新聞:昭和28年(1953)9月27日付「佐渡沖に怪船」
○ 昭和30年(1955)6月26日
「第3次朝鮮スパイ事件」の北朝鮮工作員・竹村基こと韓載徳(当時40歳、新潟日報では金永基とされている)が他の工作員らと共に北鮮貿易のため広島で購入した富榮丸(20トン)で新潟港から北朝鮮に出港しようとしていたところを検挙される。
 ※新潟日報:昭和30年(1955)6月27日付「北鮮の対日工作グループ新潟などで6名逮捕密航寸前に一斉手入れ」
 ※新潟日報:同年6月28日付「当局、怪船“富栄丸”に手入れー北鮮の対日工作団の調査進む」
 ※新潟日報:同年6月28日付「密貿易事件へ拡大かー富栄丸から暗号メモ発見」
 ※新潟日報:同年6月30日付「富栄丸、新潟を出港」
(この事件に関連し、西新井病院長の金万有も逮捕されている)
 ※読売新聞:同年9月7日付「北朝鮮地下代表部の全容―ジェット機の奪取企つー逮捕18名、スパイ活動にとどめ」
★ 昭和36(1961)年6月13日
 小木海岸から工作員1名が脱出?潜入?(逮捕された他の工作員の供述)
 ※『海鳴40号』では脱出となっている。
 ※毎日新聞 :昭和36年(1961)7月30日付「北朝鮮の工作隊員―日本への潜入ふえるー日本海岸に多いー警察庁、取締り強化を指示」(記事内では潜入)
○昭和37年(1962)6月29日
「董グループ事件(昭和39年(1964)5月14日検挙)」の北朝鮮工作員・柳川昌儀こと 董吉模が柏尾浜海岸から密入国した。
 ※朝日新聞:昭和39年(1964)5月18日付「秘密工作員2人捕う 北朝鮮から密入国 資金援助者も追及」
○昭和37年(1962)9月24日
 村上市岩ヶ崎海岸から金泰煥が潜入
 ※読売新聞:昭和37年(1962)9月26日付「北朝鮮工作員と断定密入国の3人、暗号書など押収」
○昭和37(1962)年9月24日
 村上市大月海岸から金鳳国が潜入、工作船「解放号」の伝馬船が小舟で漂着、3名逮捕(解放号事件)
 ※読売新聞:昭和37年(1962)9月25日付「北朝鮮から密入国船―新潟 2人逮捕」
 ※読売新聞:同年9月26日付「北朝鮮工作員と断定密入国の3人、暗号書など押収」
★ 昭和37年(1962)9月26日
 夜9時ごろ、佐渡島北端・弾崎北西約80キロの海上で山形県鶴岡市加茂港所属の第2勝丸(30トン)がイカ釣り漁をしていたところ、直ぐ傍を2〜30トンの船が航行していったが様子がおかしいので近づいたところ急にライトを消してスピードを上げ逃げるように東へ去った。
 ※読売新聞昭和37年(1962)9月27日付「佐渡沖に怪船」
★昭和45年(1970)5月13日
 宿根木から工作員(前年7月17日秋田県の海岸から密出国、北で対韓工作教育後)が潜入、佐渡汽船経由で東京へ。
※「海鳴40号」
○昭和45年(1970)8月8日
 午前3時頃、新潟県岩船郡山北町勝木の羽越線・勝木駅に居た自称韓国人・趙■(ネに羽)行を職務質問し、外国人登録証を持っていなかったため逮捕した。一緒にいたもう1名は外国人登録証を持っていた。
 ※読売新聞:昭和45年(1970)8月10日付「密入国のスパイか?逮捕の自称韓国人―現金50万円を所持」
 ※読売新聞:同年8月11日付「韓国から密入国自供―目的や所持金には黙秘」
○昭和46年(1971)7月初旬
 柏崎市鯨波海岸で工作員尹孝同が50歳の男性(工作員)を出迎える。
○昭和47年(1972)3月14日
 佐渡宿根木海岸で警察官が張り込み中、海岸の洞窟付近の岩場にかがみこんでいる不審人物2名を発見、職質の上、両名を外登法で検挙(宿根木事件)
 ※新潟日報:昭和47年(1972)3月17日付「外国人登録法違反で逮捕」
 ※読売新聞:平成14年(2002)9月27日付「北朝鮮工作員事件、摘発50件、新潟『上陸・脱出』20件超す」
○昭和48年(1973)11月25日
 新潟県柏崎市鯨波海岸から尹孝同が脱出。11月14日に「11.25第2地点で戦闘を実施せよ」とのA3電波指令を受け、同海岸へ行き工作船で不法出国し、清津経由平壌へ。尹は大同江近くの招待所で事業報告を行なうとともに、対南工作教育と指令を受ける。
○昭和48年(1973)12月23日
 柏崎市鯨波海岸から尹孝同が潜入、再入国。
★昭和49年(1974)2月24日
 佐渡農地事務所勤務の県庁職員大澤孝司さんが新穂村の寮近くで行方不明となる。
 ※読売新聞:昭和49年(1974)3月7日付「新穂で県職員が行方不明」
 ※読売新聞:平成12年(2000)4月15日付「佐渡・新穂村の27歳男性―失踪26年 拉致情報の波紋」
★昭和50年(1975)9月27日
 両津市の弾崎灯台から北方約76キロの海上で気球が浮いているのを新潟の底引き網漁船が発見、ズック製のゴンドラの中から死後24〜48時間経過した北朝鮮の軍人と思われる男の水死体が発見された。
 ※読売新聞:昭和50年(1975)9月29日付「墜落気球 ナゾの死体 佐渡沖で漂流 北朝鮮軍人?の服装」
○昭和52年(1977)
 柏崎市近くの海岸で工作員同士が接触。
○昭和52年(1977)11月15日
 新潟市寄居町の自宅近くで横田めぐみさんが拉致される。
★昭和53年(1978)6月下旬から7月初め
 佐渡の沖合約20キロを不審な船が移動、停泊しているのを漁業関係者らが目撃していた。
 ※新潟日報:平成11年(1999)3月31日付「李恩恵拉致疑惑の78年夏 佐渡周辺で不審電波 北工作船が発信か」
★昭和53年(1978)7月5日前後
 佐渡島周辺で工作船から発信された電波(A3放送)を政府機関が傍受。後に田口八重子さんが失踪した時期と重なることから「田口八重子=佐渡拉致説」の根拠となった模様。
 ※新潟日報:平成11年(1999)3月31日付「李恩恵拉致疑惑の78年夏 佐渡周辺で不審電波 北工作船が発信か」
○昭和53年(1978)7月31日
 柏崎市中央海岸から蓮池薫さんと奥土祐木子さんが拉致される。
★昭和53年(1978)8月12日
 真野町で曽我ひとみさん、ミヨシさん母娘が拉致される。
 ※読売新聞:平成14年(2002)9月21日付「北朝鮮拉致 『あの日小舟が…』曽我さん母娘失踪、住民ら『今でも記憶』 」
 ※新潟日報:平成16年(2004)3月24日付「曽我事件検証(上)-山も川も温かくー現場沖合に不審船」
 ※新潟日報:同年3月25日付「曽我事件検証(中)-山も川も温かくー黙秘“工作員”を釈放」
 ※新潟日報:同年3月26日付「曽我事件検証(下)-山も川も温かくー存在明かし、突然帰国」
★平成元(1989)年1月28日
 警察発表者 佐渡・小木の菊地豊さんが小木の飲食店を出た後、行方不明となる。
 ※読売新聞:平成元年(1989)1月31日付「小木で会社員帰らず」
★平成3年(1991)12月
 警察発表者 佐渡市金井町の本間進さん(当時47歳)が「相川に釣りに行く」と言って出掛けたまま行方不明となる。
★平成11年(1999)3月23日
 佐渡沖と石川県能登半島沖に侵入した2隻の工作船が日本海を逃走、北朝鮮の清津港へ。


<「しおかぜ」の放送時間と周波数は以下の通りです>
22:00〜23:00 短波6040kHz 5965kHz 7215kHzのいずれか
23:05〜23:35 短波6090kHz 7295kHz 6165kHzのいずれか
01:00〜02:00 短波7215kHz 6090kHz 6165kHzのいずれか

<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等>
※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。

・10月28日(土)15:00「朝鮮半島有事!自衛隊は拉致被害者を救えるか」(自民党新潟県連・青年部局・LDP新潟政治学校主催)
・自民党新潟県連(新潟市中央区新光町15ー5 025ー285ー5011)出来島変電所バス停徒歩8分
・代表荒木が参加
・問合せ 自民党新潟県連(025ー285ー5011)

・11月11日(土)13:30「拉致問題講演会」(群馬県・沼田市・片品村・川場村・昭和村・みなかみ町・群馬県拉致議連・救う会群馬主催)
・川場村文化会館(川場村大字谷地2409ー1 0278-52-3458)関越自動車道沼田インターから車で10分。
・代表荒木が参加
・問合せ 群馬県地域福祉係(027-226-2518)

・11月18日(土)17:30「草莽志塾」(草莽志塾・第11戦車大隊士魂協力会共催)
・かでる2.7(札幌市中央区北2条西7丁目 011-204-5100)JR札幌駅徒歩13分
・代表荒木が参加
・問合せ・出口塾頭(011-737-1798)
  ※事前申込みが必要です。
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・channelAJER(チャンネル アジャ)では代表荒木の担当する番組『救い、守り、創る』を送信しています。会員制ですが1回30分の番組の前半は無料で視聴していただけます。
http://ajer.jp
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・チャンネル桜【防人の人の道NEXT】北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」近況報告?延坪島モニタリング-村尾建兒氏に聞く[桜H29/8/9]
・専務理事村尾が出演
・下記で視聴できます。
https://youtu.be/YQNt_poTnUU

※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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<荒木共著『自衛隊幻想」』(産経新聞出版)>
・定価1200円(税別)
<荒木著『靖国の宴」』(高木書房刊)>
・定価1000円(税別)
<荒木著『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(展転社刊)>
・定価1800円(税別)
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特定失踪者問題調査会ニュース
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