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2017年11月 3日

佐渡特別検証報告書 【調査会NEWS2583】(29.11.3)

 昨日の記者会見で以下の通り発表しました。今回の特別検証にご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
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第7回 特別検証 「佐渡宿根木・新穂」報告書

※この報告書は当日配布した資料を元に、検証結果を加筆したものです。

1、目的

 大澤孝司さん失踪・宿根木事件をはじめとする佐渡における事案について検証を行い、北朝鮮の対日工作活動についてその一端を明らかにし、今後の工作活動を抑止する。

2、日程

(1)実施日:平成29年(2017)10月20日(金)
(2)時程:20日
 0755 新潟港発→0900 両津港着 佐渡市役所マイクロバスで移動→小木着→観光船で宿根木事件現場海上の検証、下船後再度宿根木に向かい陸上から検証→小木で昼食→ジェンキンス氏と面会(勤務先土産物店)→新穂で大澤孝司さん失踪現場調査→1625 両津港発→1730 新潟港着

3、参加者

(1) 特定失踪者問題調査会役員 代表 荒木和博・代表代行 岡田和典・副代表兼事務局長 村尾建兒・特定失踪者家族会担当常務理事 武藤政春
(2)地元関係 大澤昭一特定失踪者家族会会長・高橋正救う会新潟会長・平岡一郎大澤孝司さんと再会を果たす会会長・高野宏一郎前佐渡市長・金子高敏佐渡市役所拉致被害者対策係長 他
(3)家族会 増元照明前事務局長
(4)他県関係 救う会福島赤塚公生代表・救う会兵庫島尾百合子さん
(5)報道関係者
※今回の検証にあたっては佐渡市役所の全面的な協力をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

4、検証結果

 今回特に当会が注目したのは昭和47年(1972)3月13日に起きたいわゆる宿根木事件を中心とする小木町(当時)の宿根木海岸を利用した工作員の出入事案であった。宿根木では分かっているだけでこれ以外に①昭和36年(1961)6月中旬、工作員1名が密出国し、1名が入れ替りで密入国したとされる事件、②昭和45年(1970)5月中旬には宿根木から工作員が潜入し佐渡汽船経由で東京へ向かった事件、が生起している。
 宿根木は元朝鮮総連中央本部財政局副局長だった韓光煕が著書『わが朝鮮総連の罪と罰』(文春文庫)の中で自らが設定したと明らかにした工作員の上陸地点38カ所の中の1ヶ所でもある。同書では佐渡で宿根木のほかに藻浦崎、黒姫と計3ヶ所の地点を設定していた。ただし設定の時期は昭和43年(1968)頃の話であり、少なくとも小木町ではそれ以前から工作員の出入場所として利用されていたことになる。また、韓光煕による宿根木の上陸地点は「新谷岬」となっており、宿根木事件の現場より若干東側になる。
 一方、佐渡では宿根木事件から2年後の昭和49年(1974)2月下旬、新穂村(当時)の佐渡農地事務所に勤務していた県庁職員大澤孝司さんが同村の寮近くで行方不明となった。大澤さん失踪から4年後の昭和53年(1978)8月12日、曽我ひとみさん、ミヨシさんの母娘が拉致され、その約1か月前には佐渡の沖合で不審船が目撃され、同時期工作船のものと思われる電波も傍受されていた。約2カ月前に拉致された田口八重子さんについても佐渡から拉致されていったという説がある。ちなみに平成14年(2002)9月17日の小泉訪朝以前、新潟県警の認識は大澤さんについては拉致の可能性があるが、曽我さんは拉致ではないというものだったと言われている。
 今回の特別検証では以上の問題点に基づき、主に下記3点についての検証を行った。

(1)なぜ佐渡島を密出入国地点として選んだのか

 佐渡から本土への移動はフェリー(昭和52年からは高速船も就航)、航空機又は漁船等を利用しなければ不可能であり、フェリーを利用する場合、日中しか移動できず、人目につくというリスクがあるにもかかわらず、佐渡を利用した理由は何か。

A 警察の視点
 読売新聞の取材によれば新潟県では新潟周辺の海岸から北朝鮮工作員が上陸・脱出した事件は明らかになったものだけでも二十数件にのぼる。取材に対し警察当局は「新潟沿岸は佐渡島などの中継地点があるため工作船が接近しやすく、拉致の格好の現場になったのではないか」と分析したという。
 この記事から警察は佐渡島を工作活動の中継地点と位置付けていることがわかる。私たちもこれまで各地の検証の折、上陸地点近くの島が中継点の役割をしてきたことには注目していたが、佐渡島は沖縄本島に次ぐ広さであり、大きすぎて中継地点という視点を欠いていたのかもしれない。
 警察が「中継地点」として位置付ける理由の一つが佐渡島の地形で、「朝鮮半島から日本を目指して航海すると、佐渡島の金北山(標高1,172メートル)や、新潟市近郊の弥彦山(同634メートル)、柏崎市の米山(同993メートル)などが上陸の重要目標になる」としている。ただし今回宿根木の海岸近くの海上からの検証では小木は海岸段丘の地形で、海岸からすぐに崖のようになり、金北山は望めなかった。
 同記事内には新潟県警が1960年代から工作員の上陸・脱出を警戒し、佐渡島や柏崎市、村上市などの海岸線で警戒を始めていたということで、「月の出ない夜は、工作員が上陸しそうな海岸線に捜査員を張り付けていた」と県警OB談を紹介しており、県警が佐渡、村上、柏崎と工作員事件が生起した場所を注目していたことは間違いない。
(読売新聞:平成14年(2002)9月27日付「北朝鮮工作員事件、摘発50件、新潟『上陸・脱出』20件超す」)

B 佐渡に工作員の中継基地的な拠点があった可能性
 「拠点」は、固定化された拠点と一時的に使うと思われる流動的な拠点に分けて考えられる。固定化された拠点の場合、在日朝鮮人、又は潜入してきた工作員が自宅や貸家などを拠点にすると思われる。
 曽我ひとみさん母娘の拉致に関連して国際手配されているキム・ミョンスクは一説によれば「数日前から数年前の間佐渡に潜伏していた」といわれている。旅館やホテルに滞在していたとは考えにくく、固定化された拠点があったと推定される。要は佐渡に一般人を装って住んでいたということである。
 現在キム・ミョンスクは拉致実行犯として国際指名手配までされているが、顔写真は公開されておらず、似顔絵だけである。逮捕状が取れているのに似顔絵だけというのは明らかに不自然で、これは顔写真が明らかになれば誰だったのか明らかになるということだろう。警察がそれを隠す理由は分からないが、明らかに不自然な対応と言わざるを得ない。
 ところで、これまで日本に潜入してきた工作員が拠点として在日朝鮮人に協力させる場合、家族が北朝鮮にいる在日朝鮮人を事前に選び出し、北朝鮮から家族の手紙や肉声を持ってきて、いわゆる脅迫によって協力させていたことが確認されており、北朝鮮ではこれを「工作土台」と呼んでいる。仮に佐渡島内に拠点があったとするなら土台性がある在日朝鮮人が協力した可能性が高い。他には日本人による協力の可能性であり、北朝鮮に友好的な政党・団体の関係者が拠点・中継点としての協力を行った可能性もある。

C 地域ごとの独自性
 今回の検証で関係者から話を聞いていて印象的だったのが佐渡の独特の風土である。佐渡は平成16年(2004)に10市町村が合併して1島1市の佐渡市になったが、旧自治体、さらには各集落毎の独自性が強く、情報が隔絶される傾向があるという。不審な人物の動きを見た人間がいても、他地域に伝わりにくい。通常閉鎖的な地域は情報がすぐ伝わるために工作活動がしにくいと見られてきたが、逆にその地域から情報が出にくいという工作活動をする側のメリットがある点にはもっと着目すべきだろう。

(2)密出入国地点としての宿根木の意味

 佐渡での島内移動は自動車を使わない限り徒歩か路線バスを利用しての移動となるが、仮に両津港からのフェリーを利用して本土に渡る場合、宿根木から両津港までは真野を経由する路線が一般的で、宿根木〜真野間が1時間余り(途中小木乗換の可能性あり)、真野〜両津港間が約40分となっている。乗り換えがスムーズにいったとしても約2時間かかり、この間乗客や運転士、乗り換え地点の人々などに目撃される可能性がある。宿根木事件で逮捕された尹義重とAはバスで現地まで行ったのか。あるいは誰かが車で連れていったのか。後者であれば佐渡に協力者がいたことになり、この点は曽我さん拉致について北朝鮮側が発表した「日本人請負業者」との関係も注目される。
 前述のように朝鮮総聯中央本部財政局副局長だった韓光煕が著書に書いた全国38カ所の上陸地点のうち佐渡では藻浦崎、黒姫、宿根木の3箇所が挙げられていたが、現在判明している事件で出てくるのはこのうち宿根木だけである。宿根木以外は北部にあり、波が荒く、より上陸しにくい地点と考えられる。使われなかったとの証明もできないが、上陸地点は同じ場所が繰り返し使われることが多く、その意味でも宿根木は利用しやすかったということだろう。
 宿根木は江戸時代北前船の廻航地として歴史がある地域ではあるが、佐渡の西南端であり、近代以降は観光客以外に外部の人間はあまり訪れなかったと思われる。これに前述の地域の特性を加味すれば、夜間に上陸や脱出をするには適していたということなのだろう。
 今回海上からの検証で宿根木付近の海岸は海岸段丘で、海岸から崖に近い急角度で上ったところに丘があり道路が通っている。海岸に面した崖には洞窟が多い。これは陸地からは目撃されにくく、隠れやすく、なおかつ比較的波が静かで侵入しやすいという、工作員の側にとって非常に好条件であることが確認できた。なお、上空からの地形確認のためドローンを使用する予定だったが、当日機器のトラブルで使用できなかった。

◎上陸した工作員はどのようにして本土に移動、浸透していったか。
 宿根木に上陸した工作員が本土に移動しようとする場合、島内に拠点がないという前提であれば次の四つの方法しか選択肢はない。なお前述のように両津・新潟間の高速船就航は昭和52年(1977)からである。
A)小木港から直江津港に向かうフェリーを利用
 通常工作員が隠密裏に上陸してくる時間帯は夜半とされるが、小木を出港する直江津行きフェリーは夕刻には最終便が出港してしまう。そうすると、深夜に上陸してきた工作員はフェリーの出航時刻まで上陸地点か、港で時間を過ごすことになり、目撃されるリスクが高くなる。
B)小木港から15km離れた赤泊港から寺泊港に向かうフェリーを利用
 これもやはり夕刻には最終便が出てしまうため深夜に上陸した工作員は始発の便が出るまで島内で過ごすしかなく、夜間に徒歩で移動するとしても目撃されるリスクは高い。
C)バスで両津に向かい、新潟行きのフェリーないし高速船を利用する方法
 宿根木から両津港までは鉄道路線もないことから通常の場合バスで移動するが、前述のように宿根木から両津港までの直通路線は無く、一旦真野町を経由・乗換でしか両津港には行けない。バスの運行時間も夕刻で最終となる路線であり、深夜に上陸しても両津港方面へのバスは使えず、バスの運行開始まで時間を過ごすことになる。
D)バスで佐渡空港に向かい、空路を利用
 現在は休止になっているが、昭和33年(1958)から平成26年(2014)まで新潟・佐渡間には定期航空路線があった。しかし佐渡空港は滑走路が890メートルしかなく、10〜20人乗り程度の小型機しか離着陸できない。空港職員や乗務員に目撃されやすく人目に着く点では一番リスクが高いと言える。
 このようなことから考えれば島内に拠点があった可能性が高い。工作員をサポートする案内人(佐渡の島民を偽装した協力者・補助工作員)が車で迎えに来ていて、上陸して直ぐ車に乗ってしまえば人目に付くリスクも避けられる。また、フェリーを使うにしても発着時刻に合わせて港に送ってもらえば、より安全に本土に渡ることが出来るであろう。
 しかし、フェリーの船内では人目に付くことは避けられない。また案内人が本土から車ごと佐渡に渡ってきて工作員を出迎える可能性もあると思われるが、フェリーで車両を運ぶ場合は車検証や車番などの提示を求められる場合もあり、後々証拠となるリスクもある事から可能性としては低いかとも思われる。
 フェリーを使わない場合上陸後に協力者の支援のもと漁船に乗り換え、本土に向かうことが考えられる。宿根木への密入国が容易で、相対的に本土への密入国が難しいと認識されていたなら、中継点として宿根木を使った可能性は十分にあると思われる。ちなみに宿根木事件の場合、Aは案内役、尹義重は北朝鮮に密出国しようとしており、同時に日本に密入国しようとしていた工作員がいたものと見られている。

(3)大澤孝司さん拉致に関する再検証

 大澤孝司さんは佐渡から連れ出されたわけだが、その連れ出された場所や方法については私たち自身これまでほとんど検討してこなかった。直接、佐渡からゴムボート→工作小船→工作母船で連れ出された可能性が最も高いと思われるが、漁船などで一度本土に送られた可能性もまったく排除することはできない。
 佐渡から直接島外に連れ出された場合、これまで事件が起きていた宿根木海岸が実績上から一番の適地ではなかったかと思われる。
 二番目の適地としては、約4年後に曽我さん母娘が拉致される真野町(当時)の海岸、真野湾からであるが、曽我さん母娘が真野湾から連れ出されたということに疑義もあり、現段階では「距離的に一番近い海岸」以上の意味はない。 
 三番目は宿根木よりも大澤さんが失踪した新穂に近い位置にあり、韓光煕が設定したポイントでもある藻浦崎である。ここも少なくとも公開されている事案では藻浦崎が使われたことはなく、可能性があるという以上の場所ではない。
 ちなみに昭和49年(1974)2月24日の気象データ(佐渡・相川地区データ)を見る限り、波高は高くても2m程だったとみられ、工作船の活動に影響はなかったと思われる。
 昭和53年(1978)6月下旬、東京・池袋から行方不明となった田口八重子さんの母の実家が相川町であり、同年7月5日前後、佐渡島周辺で工作船から発信された電波(A3)を政府機関が傍受していたことから、後に田口八重子さんが佐渡から拉致されたという「田口八重子=佐渡拉致説」の根拠となった場所でもある。
 なお平成に入ってから相川町の漁師が沖合で不審船に声を掛けられたという情報もあるが、これは後に盗み出した船を回送してきたものであったことが海上保安部の検挙によって判明しており、工作活動との関連性はないと思われる。

A 在日朝鮮人帰国(北送)運動との関連について
 大澤孝司さんが失踪した昭和49年(1974)2月24日前後の在日朝鮮人帰国(北送)運動との関連について確認した結果、直近では帰還船の「第170次船」が出港していたが、その出港日は大澤さんが拉致される2日前の2月22日であり、また次の帰還船「第171次船」は6月21日の出航だったということで、帰還船を使用した拉致・移送の可能性は無かった。
 ただし、これまで帰還船と工作船(貨物船を工作活動に使用した場合も含む)の関係を見ると、新潟港を利用して帰還船が出入港する際に工作船も連動して活動していた痕跡が幾つか確認されている。北朝鮮籍の貨物船で帰還船が新潟港に出入港するのに合わせて近隣の港に入り、不正輸出をしていた事例もある。新潟港に帰還船が入港する場合、近隣の港で勤務する税関や海保、入管職員などが応援のために新潟港に集められてしまい、その地域の港や沿岸部で警戒が薄くなるとも言われ、警戒が薄くなったところを狙って工作員の上陸や脱出を遂行していた可能性が高い。
 前述のように昭和36年(1961)6月13日、小木海岸から工作員1名が脱出?潜入?(逮捕された他の工作員の供述)という事件があった際、新潟港には帰還船の第63次船が入港していたとみられる。同帰還船は事件の3日後の6月16日、新潟港を出港している。また宿根木事件の3日後の3月17日には帰還船第163次船が新潟港を出港しており、翌18日には朝鮮総連第一副議長の金柄植が新潟市内で講演もしている。
 金柄植は前年の昭和46年(1971)に工作組織の隠れ蓑「ユニバース・トレーディング」を設立し、警察断定拉致被害者の高敬美・剛姉弟の母であり拉致の可能性の高い特定失踪者である渡辺秀子さん(殺害説もあり)の夫で工作員の高大基は金柄植の配下だったこともあり、宿根木事件との関連性もないとは言えない。
 治安機関ではこれまで帰還船を利用して北朝鮮当局が工作員に指示を出したり、工作員からの報告を受け、或いは工作員の交代をしていたともいわれており、帰還船と関連した新潟での工作事案もあると思われる。

B 直江津港を利用していた北朝鮮籍貨物船について
 当時直江津港を利用していた北朝鮮籍の貨物船は多く、工作活動にも利用されていた。大澤さんを一旦本土に移送してから貨物船乗せて国外に連れ出したことも考えられないわけではない。協力者の船があれば宿根木付近の海岸から乗せ、直江津港に向かい、深夜であれば貨物船に移すことも可能であったと思われる。

C その他考察
 大澤孝司さんが失踪したのは内陸部、中心地に近い新穂である。最後に大澤さんが新穂で立寄った先では、大澤さんが店を出た直後に向かいの家に住む人が車の急発進する音を聞いていることから車を使用した拉致の可能性が高い。店の前に車を止めたとすると方向は宿根木とは反対側の両津方向だが、先を右折して農道を迂回すれば宿根木方向に向かうことができる。
 ここから考えられるのは大澤孝司さんの失踪が偶発的な拉致ではなく、計画的な拉致であったということである。車まで準備し、立寄り先を出た直後に拉致していると思われる状況は、周到に計画・準備していなければ不可能である。
 では、何故大澤さんが狙われたのか。工作員が拉致被害者になりかわる「背乗り」の場合、家族関係をはじめとする人間関係の希薄な人を対象とするのが一般的で、大澤さんはこれには該当しない。とすると専門の農業土木という技術に目が付けられた可能性が考えられるのではないか。

■付記1 曽我ミヨシさんについて

 今回曽我ひとみさん、ミヨシさんの拉致については今回検証の対象ではなかったが、検証翌週10月26日発売の「週刊文春」11月2日号に「政府極秘文書解禁横田めぐみさんの『消息』」という記事が掲載された。このなかで地村富貴江さんの証言として次のようなものが書かれていた。

〈忠龍里にいた頃、1地区7号の三面鏡の引き出しの中に紙が入っていて、それをはがしたら、手紙が出てきたことがある。手紙には、『久我ヨシコ(又は良子)、50代、70年代に革命のため佐渡から朝鮮に来た。主人は交通事故で亡くなった、26歳の娘がいて結婚している』と日本語で書いてあった。拉致されて来たのか、自ら進んで来たのか分らない。『革命のために』と書けば、見つかっても咎められないと考えたのではないか〉

 この証言については8年前、平成21年(2009)9月20日付の産経新聞に後掲の記事が掲載されている。内容もこちらの方がより詳細である。

平成21年(2009)9月20日付の産経新聞【痕跡】曽我さん母娘拉致の闇(上)「佐渡出身 くがよしこ」

 ■残されたメモ、ミヨシさんか
 走り書きした文章が意味するものは何なのか。だれが、こんなことを…。自分がそこにいる証を残そうとしたとも思える。誰かはわからないが、自分と同じ境遇の人、あるいは肉親が、それを目にすれば気付くように。闇の中で残したメッセージは新たな“疑惑”を浮かび上がらせている。
                 * * *
 「これ、何やろ」
 1980年代初め、北朝鮮の首都、平壌近郊の忠龍里(チュンニョンリ)にある招待所で、拉致被害者の地村保志さん(54)、富貴恵さん(54)夫妻は1枚のメモを見つけた。備え付けの鏡台の引き出しの底板に小さく折りたたんで張り付けてあった。
 広げると、A4判ほどの大きさの紙だった。ハングルで朝鮮人の名前が書かれていた。その横には漢字で「久我良子」という日本名。「くがよしこ」と読み仮名もふられていた。文面はこう続いていた。
 《50歳代/1978年に革命のために朝鮮に渡ってきた/主人は交通事故で死亡/26歳の娘がいて、結婚した》
 ほかにも、記述はあった。「久我良子」が北朝鮮に渡る前に、漢字と片仮名が入った名称の工場に勤務していたことや、新潟・佐渡の住所。メモの下の方にボールペンのようなもので塗り消された跡もあった。

 「書いた人は本当のことを書きたいのだが、どうしても書けない。自分の存在を知ってもらいたいが、知らせることができない」
 地村さん夫妻の文面に対する印象はこうだったとされる。富貴恵さんが招待所の世話係の女性に尋ねると、「久我良子」は「あなたたちが来る前に住んでいた女性で、招待所を出て韓国人の漁師と結婚した」と説明されたという。
                 * * *
 忠龍里の招待所は平壌から直線で南南東に約22キロ、標高約300メートルの月隠山(ウォルウンサン)の南西に広がる山里にあった。
 地村さん夫妻がこの招待所に入ったのは拉致された翌年、79(昭和54)年11月だった。夫妻は転入直後に結婚。以後約7年間をこの招待所で過ごした。
 同じ地区の招待所には79年から85年秋にかけて、横田めぐみさん=拉致当時(13)=や田口八重子さん=同(22)、めぐみさんの元夫の韓国人拉致被害者、キム・チョルジュン氏らが相次いで転入。一時期は、日本人被害者6人が同時に暮らすほどの“日本人集住地”だった。そこに、「日本から来た」と告白する女性がいたことを、警察当局は重視している。
                 * * *
 「ずっと気になっていたんです。ひょっとして、曽我ひとみさんのお母さんではないだろうかって…」
 平成16年9月中旬、警察当局の事情聴取に協力していた富貴恵さんは、北朝鮮の招待所で見つけた「久我良子」のメモについてこう話したという。

 「佐渡」という住所、北へ渡った78(昭和53)年という時期、娘の存在、「ソガミヨシ」と3文字が重なる「クガヨシコ」という名前…。曽我ミヨシさん=同(46)=との共通点は偶然とは思えない。「漢字と片仮名が入った名称の工場に勤務」の部分も気になる。ミヨシさんは「北越ヒューム管工場」に勤務していたからだ。
 ミヨシさんは、昭和53年8月12日、娘の曽我ひとみさん(50)と一緒に、北朝鮮工作員らによって佐渡から拉致された。2人は当初、政府認定の被害者には入っていなかった。平成14年9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮側が一方的に示してきた「生存者」の中に「ソガ・ヒトミ」という名前があり、拉致事件としての本格捜査が始まった。
 帰国したひとみさんの供述やその後の捜査で、2人は一緒に連れ去られていたことが判明したのだ。
 日本政府はその後、ミヨシさんの消息についても北朝鮮側にただしたが、「承知していない」の一点張りで、ミヨシさんの入国自体を認めていない。
 だが、招待所のメモを残したのがミヨシさんだったとすれば、北朝鮮側の嘘(うそ)がまた上塗りされることになる。それは隠さなければならない理由があることを連想させ、拉致の闇の深さを象徴しているともいえる。
                   ◇
 北朝鮮が日本人拉致を認めた「9・17」から7年。膠着(こうちゃく)状態が続く中、北朝鮮に突きつけるべき新たな「情報」が浮かんだ。代わったばかりの政権は北朝鮮とどう対峙(たいじ)するのか。曽我ミヨシさん、ひとみさん拉致事件の闇を追う。

 「久我ヨシコ」はおそらく往年の大女優、久我美子さんの名前を使ったものであろう。曽我ミヨシさんとは「我」と「ヨシ」が重る。地村夫妻が忠龍里にいたとされるのは昭和60年代前半で、昭和60年(1985)でミヨシさんは54歳、ひとみさんは26歳。「主人は交通事故で亡くなった」という点は一致しないが、名前と「革命のために」という言葉同様、発覚することを恐れてあえてぼかした可能性がある。なお、久我美子さんも曽我ミヨシさんと同じ昭和6年生まれである。
 ミヨシさんについては北朝鮮側は入境していないと言っており、「拉致直後に殺されたのではないか」と認識している人も多いが、平成24年(2012)7月に行った佐渡での1万キロ現地調査の結果からしても、ひとみさんと一緒に、最初から2人とも拉致するつもりで計画的に狙われたことは明らかである。

■付記2 警察発表の菊地豊さんについて
 菊地さんは平成元年(1989)1月、小木町の自宅に近いスナックを出たまま失踪している。当時の年齢55歳。海岸沿いを歩いて家に向かっていった。海に落ちたのではないかとして捜索が行われたが何も見つからなかった。警察発表の拉致の可能性の排除できない失踪者であり、当会ではご家族との接触をしていないが、本件が拉致であれば宿根木事件以後もこの地域が北朝鮮の工作活動の舞台になっていたことになり、大澤孝司さんの失踪についても小木周辺から移送された可能性が高まることになる。

<「しおかぜ」の放送時間と周波数は以下の通りです>
22:00〜23:00 短波5935kHz 6085kHz 7410kHzのいずれか
23:05〜23:35 短波5935kHz 6085kHz 6095kHzのいずれか
01:00〜02:00 短波6110kHz 7285kHz 7335kHzのいずれか

<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等>
※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。

・11月11日(土)13:30「拉致問題講演会」(群馬県・沼田市・片品村・川場村・昭和村・みなかみ町・群馬県拉致議連・救う会群馬主催)
・川場村文化会館(川場村大字谷地2409ー1 0278-52-3458)関越自動車道沼田インターから車で10分。
・代表荒木が参加
・問合せ 群馬県地域福祉係(027-226-2518)

・11月18日(土)17:30「草莽志塾」(草莽志塾・第11戦車大隊士魂協力会共催)
・かでる2.7(札幌市中央区北2条西7丁目 011-204-5100)JR札幌駅徒歩13分
・代表荒木が参加
・問合せ・出口塾頭(011-737-1798)
  ※事前申込みが必要です。

・11月24日(金)18:30「『その後』を考える集い2」(特定失踪者問題調査会主催)
・文京シビックホール3F会議室1(東京都文京区春日1-16-21 03-5803-1100)東京メトロ後楽園・都営地下鉄春日駅上
・代表荒木他調査会役員が参加
・問合せ 調査会(03-5684-5058)

・12月1日(金)19:30 「二本松青年会議所 講演会」(同会主催)
・二本松商工会議所大研修室(二本松市本町1-60-1 0243-23-3211)東北本線二本松駅徒歩5分
・代表荒木が参加
・問合せ 浅井さん 090-7069-4844

・12月8日(金)18:30「予備役ブルーリボンの会セミナー」(同会主催)
・拓殖大学文京キャンパス(東京都文京区小日向3ー4ー14)東京メトロ茗荷谷駅徒歩5分
・代表荒木が参加
・問合せ 荒木(090ー8517ー9601)

・12月12日(土)17:30「拉致問題を考える研修会」(愛媛県主催)
・松山市内
・代表荒木が参加

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・channelAJER(チャンネル アジャ)では代表荒木の担当する番組『救い、守り、創る』を送信しています。会員制ですが1回30分の番組の前半は無料で視聴していただけます。
http://ajer.jp
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・チャンネル桜【防人の人の道NEXT】北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」近況報告?延坪島モニタリング-村尾建兒氏に聞く[桜H29/8/9]
・専務理事村尾が出演
・下記で視聴できます。
https://youtu.be/YQNt_poTnUU

※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。
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<荒木共著『自衛隊幻想」』(産経新聞出版)>
・定価1200円(税別)
<荒木著『靖国の宴」』(高木書房刊)>
・定価1000円(税別)
<荒木著『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(展転社刊)>
・定価1800円(税別)
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特定失踪者問題調査会ニュース
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■特定失踪者家族会■
郵便振替口座 00290-8-104325 特定失踪者家族会
銀行口座 ゆうちょ銀行 普通預金 店番128 口座番号4097270 特定失踪者家族会 代表者大澤昭一
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