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2018年1月26日

ロウソク 【調査会NEWS2648】(30.1.26)

 ハーグのホテルのテレビでCNNを観ていたら、文在寅・韓国大統領の姿が出ていました。何かと思ったら平昌オリンピックのコマーシャルでした。オランダまで来てあの人の顔を見るのはあまり気分の良いものではありませんが、ちょっと衝撃的だったのはイメージカットでロウソクを持った多数の人(子供もいました)の中に大統領がいるシーン。

 実は先日原稿を書いていたときに文在寅政権のことを調べていて下の挨拶文に行き当たりました。ここで大統領は昭和62年(1987)6月の「民主化」運動が韓国の本当のスタートであったかのように述べ、それまでの韓国を事実上全否定しています。そしてその「民主化」の延長に朴槿恵政権を退陣に追い込むきっかけとなったロウソクデモがあるという歴史観なのです。コマーシャルの画面はそれをイメージしています。

 実際にはこの年12月行われた大統領選挙で、「民主化」運動の代表だった金泳三・金大中という大物野党政治家が、候補者の統一を求める声を無視してともに譲らずお互いに誹謗中傷に終始し、結局は「独裁打倒」するはずの与党の盧泰愚が漁夫の利を得て当選するという醜態をさらしました。ついでに言えば、金泳三はしばらくして盧泰愚の政党と「打倒」すべきだったはずの自分の党を合併させてしまいました。金泳三、金大中どちらにとっても「民主化」とは民主的にやることではなく、「自分が大統領になること」だったのでしょう。

 文大統領は「記念辞」の中でこのときのことを全面的に賞賛して、自分がそれを引き継ぐ大統領だとしています。もし本気でそう思っているなら、文在寅政権は革命を起こしたことになります。安倍総理が行く国はすでに「日米韓」で協力すべき大韓民国ではなくなっていると理解した方が良いのではないでしょうか。

 以下は長いので関心のある方だけどうぞ。文在寅大統領の「6.10民主抗戦30周年記念辞」です。ある程度韓国の事に関心がある方ならちょっとぞっとするかも知れません。
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 尊敬する国民の皆さん。
 今日国民の皆さんとともに6.10民主抗争30周年を記念するため広場に立ち、本当に感慨を新たにしています。
 20歳にならない青年から70歳の元老まで、済州島からソウルまで、全て一つになって、嶺南(慶尚道)と湖南(全羅道)が一つの声で叫んだ喚声、「護憲撤廃、独裁打倒」その厚いスローガンが今も耳に生々しく聞こえます。
 30年前の6月、私たちは偉大な国民でした。雨あられと飛んでくる催涙弾の前でもくじけなかった青年学生たち、応援軍として抗戦の主役に変わっていったネクタイ部隊。自動車の警笛を鳴らし、手ぬぐいを振り、パンを分けてくれて、戦闘警察(機動隊)の胸に平和の花を付けてあげた市民たち。
 30年前の6月、私たちは国民が勝利する歴史を経験しました。過酷だった軍部独裁に立ち向かい、不義に対する憤怒と民主の熱望が作り出した勝利でした。
 国民は時代の流れを独裁から民主に変えました。大統領を自分の手で選ぶ権利、国民が政府を選択する権利を取り戻しました。岩に卵をぶつけるような抵抗がついに大きな流れを作り出した、余りにも偉大で感激的な歴史でした。
 大統領直選制だけではありませんでした。6月抗戦はわが社会の広場を開きました。報道指針が廃止され、言論と市民は語る自由を取り戻しました。多様な市民社会運動組織ができ、抑圧され閉鎖された民主主義の空間を拡大しました。民主主義がなければ目覚ましい経済発展も社会各分野の多様性も文化と芸術も花開けなかったことでしょう。
 この30年、わが社会がなしとげた全ての発展と進歩派6月抗戦から始まったのです。
 文在寅政府はわが国民がなしとげた全ての成果を基本に出帆しました。そのため私は今日、6月抗戦の主役である国民とともに30周年を記念することを大変意義深く光栄なことだと考えます。
 文在寅政府は6月抗戦の精神の上に立っています。任期内私文在寅は大統領という職責を持った国民の一人であることを心に刻みます。歴史を変えた二人の青年、釜山の子朴ジョンチョルと光州の子李ハンヨルを永遠に忘れません。抗戦を率いた指導部、87年の熱い喚声の中でともに涙を流し、喚呼した全ての方々に感謝と尊敬の挨拶を捧げます。
 尊敬する国民の皆さん、私は今日世界が驚嘆する私たちの民主主義がわが国民が自ら作り出したものであるという事実がなにより誇らしいのであります。
 わが国民主主義の始まりは解放とともに外からもたらされました。しかし今日私たちの民主主義をこれほど育てたのは国民でした。その道に4.19があり、釜馬抗戦(釜山・馬山でのデモ)があり、5.18(光州事件)があり、6月抗戦がありました。そしてその道は昨年の冬のロウソク革命につながりました。ロウソクは一世代にわたって成長した6月抗戦が堂々と開かせた花でした。
 私たちは6月抗戦を通じて主権者国民の力を学びました。ロウソク革命を通して民主共和国を実践的に経験しました。6月の市民は独裁を倒しロウソク市民は民主社会が進む方向と議題を提示しました。ロウソクは未完の6月抗戦を喚声しようという国民の命令でした。
 尊敬する国民の皆さん、私たちの前にある課題は再び民主主義であります。「より広く、より深く、より堅固な民主主義」を作らなければなりません。6月抗戦で成し遂げた民主主義が全ての国民の暮らしに根を下ろすようにしなければなりません。民主主義が具体的な暮らしの変化に引き継がれるとき、6月抗戦は生きた現在であり未来なのです。
 民主主義は制度であり実質的な内容であり暮らしの方式です。私はこの席で約束し提案します。
 制度としての民主主義が揺らぎ交代することはもうありません。文在寅政府で民主主義は発展し人権は拡大するでしょう。全ての権力は国民にあります。憲法、選挙制度、青瓦台、検察、国情院、放送、国民が委任した権限を運用する制度も同様です。権力機関が国民の意思と意志を監視し歪曲し抑圧しないようにします。
 今私たちの新しい朝鮮は経済での民主主義です。民主主義が法であり法が民主主義にならなければなりません。所得と富の極端な不平等が私たちの民主主義を脅かしています。雇用の危機が根本原因です。私が雇用大統領になると繰り返しお話ししているのは極端な経済的不平等の中で民主主義は形式に過ぎないからであります。雇用は経済の問題だけではなく民主主義の問題です。
 しかし政府の意志だけでは難しいです。わが社会がともに経済民主主義のための新たな基準を打ち立てねばなりません。譲歩と妥協、連帯と配慮、包容する民主主義に向かわなければなりません。大企業と中小企業、労働者、市民社会全てが力を合わせねばなりません。
 6月抗戦30周年を礎石とし私たちが跳躍する未来はすこしずつ譲歩し、荷を分かち合い、格差を減らしていく社会的大妥協にあると私は確信します。決して簡単ではないことですが必ず成し遂げなければならない課題です。大統領と政府が可能な全ての努力を行います。本当の労使政大妥協のために全ての経済主体の参予をお願いいたします。
 誰もが誠実に8時間働けば暮らすことに心配しなくても良いようにしなければなりません。失敗してもまた機会を得なければなりません。そのようにともに社会経済的不平等を解消していくことが民主主義です。政治圏でもともに力を合わせて下さることをお願いします。
 尊敬する国民の皆さん、
 一つ、必ず一緒に覚えておきたいことがあります。6月抗戦の中心は特定階層、特定地域ではありませんでした。司祭、牧師、僧侶、女性、民主政治家、労働者、農民、都市貧民、文人、教育者、法曹人、文化芸術人、言論出版人、青年、学生、皆が「民主憲法争取国民運動本部」に集まりました。全国22地域で同時に行われた6.10国民大会が6月26日、全国34都市と270余か所で同時に開かれた「民主憲法争取のための国民平和大行進」に拡大しました。このように6月抗戦では階層もなく、辺境もありませんでした。だから私たちは勝利したのです。
 私も釜山で6月抗戦に参与し、民主主義は水のように流れるとき最も強力であるということを学びました。
 独裁に立ち向かった87年の青年が2017年に父となり広場を守り、弁当を手渡した87年の女子高生が2017年二児の母となってロウソクを持ったように、人から人に引き継がれる民主主義は揺らぎません。政治と日常が、職場と家庭が民主主義でつながるとき私たちの暮らしは揺らぎません。
 そのように私たちの暮らし、私たちの社会の民主主義力量がより成熟しうるように共に努力して参りましょう。慣行と制度と文化を変えていくことはそのまま政府が努力して参ります。私たちの周辺に日常化している非民主的な要素は私たち全てが互いに助け合い変えて参りましょう。個々人が目覚めた民主市民になるための努力はそのままに共にしていきましょう。
 民主主義が政治、社会、経済の制度として定着し、私たち一人一人が日常で民主主義によって訓練されるとき、民主主義はいかなる暴風の前でもくじけることはありません。6月抗戦の名前で民主主義は永遠であり、広場もまた国民に開かれているのであります。
 ありがとうございました。

<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等>
※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。

・1月31日(水)18:30「『その後』を考える集い」(調査会主催)
・会場 UAゼンセン会館(千代田区九段南4-8-1 市ケ谷駅徒歩3分。地下鉄2番出口を出て直ぐ右に入り30メートル)
・調査会役員及び加藤博・三浦小太郎「『その後』プロジェクト」特別顧問が参加
・問合せ先 調査会

・2月10日(土)18:00 佐賀集会(救う会佐賀主催)
・会場 サンホテル ミーティングルーム(鳥栖市京町781-1 JR鳥栖駅前)
・調査会荒木代表が参加
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《平成29年以降の北朝鮮船・船体の一部・遺体の漂着漂流》H30/1/22現在

1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部
 6日 新潟県上越市柿崎区 木造船1隻
 7日 福井県小浜市犬熊 木造船1隻
2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船1隻
 11日 石川県金沢市 木造船1隻
 15日 京都府丹後町間人 木造船1隻
 15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船1隻
3月8日 島根県隠岐島町油井 木造船1隻
 14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部
 18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船1隻
 22日 石川県羽咋市寺家町 木造船1隻
 28日 京都府京丹後市 木造船1隻
4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台付近 木造船1隻・遺体1体
5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部
 2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船1隻
6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船1隻
7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部
8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船1隻
9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船1隻
 25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部
11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7メートル)1隻 船体にハングル表記
 20日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7メートル)1隻 船体にハングル表記
 20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6メートル)1隻 スクリューやエンジンが残っており周辺で救命胴衣6個発見
 21日 山形県鶴岡市五十川八斗島南  木造船(長さ7メートル)1隻 船体にハングルや「89829」の数字が記載
 23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船1隻 船体にハングルが記載
 23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20メートル)1隻 プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。
 24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ7メートル 船首付近に「556-60756」と記載)1隻 白骨化した遺体8体 北朝鮮製たばこ等
 25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船1隻・遺体1体
 26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4メートル 黒く塗られ数字のようなもの記載)
 27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部
 27日 石川県羽咋市 木造船1隻
 27日 青森県深浦町 木造船(船首に赤い文字で「2093」と記載)1隻
 28日 青森県下北郡佐井村 木造船1隻 サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット
 28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船1隻・生存者10名
12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船1隻
 1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船1隻
 2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船1隻
 2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船1隻
 4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部
 4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船1隻
 4日 新潟県西蒲区角田浜沖 木造船1隻
 4日 山形県鶴岡市温見米子漁港沖 遺体3体
 4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部・遺体1体
 5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船1隻
 6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載)1隻
 7日 秋田県男鹿市五里合 木造船(「913300」と記載)1隻
 7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船1隻
 7日 新潟県佐渡市両津湾内 木造船1隻
 7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部
 9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船1隻
 9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体
 10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体
 10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船1隻
 12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船1隻・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。
 12日 新潟県村上市沖 木造船1隻
 13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船1隻・遺体2体
 13日 秋田県男鹿市北浦入道崎 木造船1隻
 13日 秋田市浜田 遺体1体
 13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載)1隻
 13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船1隻
 13日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載)1隻
 14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体
 14日 青森県深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部
 14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船1隻・人骨5本
 14日 佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船1隻
 14日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部
 16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載)1隻
 18日 佐渡市鷲崎沖 木造船1隻
 19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船1隻・遺体2体
 21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6メートル幅2.75メートル 船首にハングル表示)1隻
 21日 新潟東港沖18キロ 木造船1隻
 21日 新潟県粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5メートル横1.2メートル)
 23日 石川県志賀町 木造船(長さ約8.4メートル幅約2.2メートル 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載)1隻
 24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船1隻(21日のものと同じ可能性あり)
 24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体
 24日 山形県酒田市浜中 遺体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト)1体
 25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約8メートル、幅約2メートル)1隻
 29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化)
 29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3メートル幅1.6メートル高さ1.43メートル 煙突あり)
平成30年(2018)
1月4日 秋田県三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1メートル幅約2メートル 船底及びスクリュー )
 5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13メートル幅約3.5メートル 船首にハングル)1隻
 6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4メートル幅約2メートル 白地に赤の数字)
 7日 京丹後市網野町 木造船(長さ約10メートル幅約3メートル ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着)1隻
 8日 新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5メートル幅約1.5メートル)1隻
 8日 秋田県男鹿市野石申川海岸 木造船の一部(長さ約7.7メートル幅約1.9メートル)
 1月10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着町。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15メートルの距離 長さ約20メートル 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず)1隻
 1月16日 1月10日金沢漂着の木造船の中から遺体7体発見
 1月21日 新潟県粟島八幡神社から200メートルの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2メートル幅1.3メートルのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた)
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