日向特別検証の報告【調査会NEWS2891】(30.12.28)
遅くなってしまいましたが去る11月30日行った宮崎県北部での特別検証の報告です。
第8回特別検証 『宮崎県北部』報告
平成30年12月28日
特定失踪者問題調査会
1 検証目的
特定失踪者問題調査会では平成29年(2017)6月の宮崎県南部における第6回特別検証に続き、日向市を中心とした北部地域の特別検証を実施した。
今回の検証の中心は工作員黄成国が逮捕された、いわゆる「日向事件」である。黄成国は後述のように昭和55年(1980)、56年に日向市の海岸から密出入国を繰り返し、逮捕されている。政府認定拉致被害者原敕晁さんが青島海岸から拉致されたのが昭和55年6月であり、この頃から宮崎県が頻繁に密出入国に使われるようになったものと思われる。
これは1970年代に日本海側の警備が厳しくなり、より安全な太平洋側に迂回して密出入国するルートを使うようになったものであろう。その場合ルートとしては北朝鮮西岸の南浦連絡所から種子島・屋久島周辺を通って太平洋側に出たと考えられる。その視点からの検証を行った。
2 日程
平成30年(2018)11月30日(金)
3 参加者
(1) 調査会 代表荒木、代表代行岡田、副代表村尾、常務理事杉野
(2) 特定失踪者家族会 水居徹(幹事・水居明氏子息)
(3) 拉致被害者家族連絡会 増元照明
(4) 支援者 救う会宮崎 別宮正司
4 検証
(1) 東臼杵郡門川町 五十鈴川河口部(昭和55年-1980-4月10日、工作員辛光洙が密入国)
現地の人の話では河口部は昭和55年当時と比べて大きく変わっているとのこと。河口南側から全体を見たが、侵入に使うとすれば北側であろうと思われた。目印となる灯台があり、地形的にも適当で、また海岸近くに通常無人と思われる神社がある。日向駅にも近い。このとき案内人がいたのかどうかは分からない。日本生まれ日本育ちの辛光洙だから、一人で上陸して駅に向かう可能性もあるが、事件当時いたかどうかは別として上陸地点を決めるためにも地理に詳しい地元協力者は必要だったと思われる。なおこの年の8月、小住健蔵さんに背乗りした北朝鮮工作員・崔スンチョルが偵察目的で日本人内妻と家族で日向海岸・四国をドライブ旅行名目で訪れている。
(2) 日向事件(小倉ヶ浜海岸・金ヶ浜海岸)
二つの海岸について、警察関係の資料をもとに検証内容を記述する。
日向事件で逮捕された工作員黄成国は大正7年(1918)平壌生まれで学業優秀のため内地人(日本人)の通う中学校を卒業している。昭和18年(1943)から2年間広島の呉造船所に勤め解放後帰国。農業に従事するとともに昭和23年(1948)労働党に入党した。昭和28年(1953)市内の収売事業所に勤務したが昭和29年(1954)工作員として採用され、招待所で3年間日本語の訓練や理論学習を受けた。
その後収売事業所に戻ったが昭和35年(1960)再度召喚され三か月間工作員教育を受けた後、ある在日朝鮮人と接触するため日本に潜入したものの目的を果たせずに帰国した。そのオペレーションについて帰国後批判したため慈江道の農村に左遷されたが、1年半後に平壌市の収売事業所に復帰した。
昭和55年(1980)3月再度召還され日本での工作活動を命じられて日本に派遣されることになった。「別荘」と呼ばれた招待所で指導員と三か月間起居を共にしてマンツーマン方式で任務付与・今日行く訓練を受けた。任務は北朝鮮が主張していた「高麗民主連邦共和国」構想を実現するため、在日韓国人の中で指導的立場に立てる人物を選んで説得、教育して南に送り込むことや日本で活動している工作員を指導督励すること等だった。
指導員と黄は上陸地の選定について検討を行い、最終的に日向市小倉ヶ浜を上陸地点に決定した。上陸後は南日向駅から列車で東京に向かうこと、東京に着いたらGという韓国籍の女性の家に定着することになった。日向市で下車したら古い旅館に泊まり宿泊名簿には「神戸市葺合区・光本成吉60歳」と書くことや東京行き特急「富士」の切符はみどりの窓口で買うこと等細かく指示された。
黄は現金300万円、ラジオや乱数表など「七つ道具」と「李成吉(光本成吉)」と書かれた偽の外国人登録証を受け取り、昭和55年(1980)6月、南浦から日本漁船に偽装した工作船で日本に向かった。日向市沖に着くまで10日程かかった。暗くなってから船外機を付けた工作子船が降ろされ(つまり後ろが開く横浜展示工作船とはことなる構造ということ)案内人4人と乗り移った。
子船は約40メートル位陸地に向けて進み、陸地から約50メートル手前でゴムボートに乗り換えた。乗ったのは黄と案内員2人である。このあたりの手順は昭和57年(1982)に山口県長門市に上陸した当時作戦部戦闘員李相哲(仮名)と同じである。ボートを砂浜に引き揚げ近くの防波堤の切れ目のところで背広の上に来ていた作業服を脱ぎ運動靴を革靴に履き替えてから近くの松林に身を潜めて安全を確認した。その後2人の案内人はゴムボートで子船に戻っていった。
初めての土地なのでまごついたが南日向駅にたどり着き、しばらく便所に隠れて列車を待った。南日向駅から次の日向市まで一駅を普通列車で行き、一旦下車して駅前旅館に投宿した後翌日の寝台特急で上京した。
東京駅で下車して山手線五反田駅で下車して定着先として指定されていたプラスチック加工工場経営者G(女性・当時52)宅を探したが見つけることができなかった。そこで協力者として指定された映画監督沢本隆男宅に電話した。沢本は元在日で姉弟が帰国していることによって工作活動への協力を求められ、昭和45年(1970)頃から工作活動に従事していた。
やがて黄のいる喫茶店にGがやってきた。Gに対し帰国している夫のことをほのめかし、G宅を拠点とすることを認めさせた。G宅には次女と遠縁の女性が住み、近くに息子のKが住んでいた。ちなみに読売新聞昭和56年(1981)7月29日付夕刊の特集記事「老スパイの意外な背景」には「黄をかくまった疑いで大田区東馬込の食品店経営者韓尚一(32)を捕まえた」とある。この韓尚一はGの長男ではないかと思われる。同時にGも逮捕されている。
黄はその後沢本や大阪在住の工作員Hの指導を行っていたが、昭和55年(1980)9月、A3放送による「労働党大会に出席せよ」との命令を受信し、9月28日沢本の案内で東京から空路宮崎入りした。9月30日沢本と別れて上陸場所と同じ小倉ケ浜海岸の松林の中に隠れてゴムボートの到着を待った。予定の午後9時、待ち合わせ地点に行くとゴムボートから下りた2人が歩いてきた。打石信号と合い言葉でお互いを確認し、ゴムボートに乗って日本を離れた。
10月10日から開催された労働党大会に出席し、二日目の「高麗民主連邦共和国建設分科会」で「日本における対南工作の状況」について報告した。翌12日に「13日日本に向かうので準備するよう」と指示された。外国人登録証の表紙が変わったので新しい外国人登録証を渡された。日本円500万円も受け取った。
日本に戻ったのは10月20日頃で、同じ小倉ヶ浜からだった。11月には大阪に入ってHに対し指導を行った。Hは昭和56年(1981)4月中旬韓国に行ったがその後何の連絡もしてこなかったので自宅に電話すると、妻から「韓国でスパイの疑いによって逮捕されたらしい」と聞かされた。
Hの逮捕で自分にも危険が及ぶと思った黄は帰国命令を待った。5月3日本国から「帰国を命ず。脱出は6月22日午後9時、場所は小倉ヶ浜」と指令してきた。5月31日にG宅を出て箱根、湯河原、別府の旅館に投宿して6月21日別府で沢本と合流、翌日沢本の案内で日向市に入った。日向市で沢本と別れた黄は待ち合わせ地点に向かったが途中で道に迷った。台風5号の到来による悪天候でずぶ濡れになってさまよった揚げ句2日後の24日になって住民の通報で逮捕された。逮捕された場所については海岸で金が浜海岸でゴムボートを待っていたという説と民家(の庭?)で水を求めてうずくまっていたという説がある。
検証では小倉ヶ浜の中程にある川の河口にも行ってみたが、当然当時とは地形が変わっており、決定的なものは見つけられなかった。ただしドローンによる空撮を行った結果、浜の南端、防波堤のあるあたりは見つけられにくく、上陸には好適であろうとの結論になった。黄成国は戦前日本での生活経験があり、このときも1年余り日本で暮らして、日本の事情もかなり分かっていたとは思うが、当時62歳で工作員としては高齢だった。田口八重子さんはこの事件の3年前に拉致され、後に工作員金賢姫の教育係になっているが、日本での生活経験を持つ工作員が高齢化し、新たな工作員を養成しなければならなくなったことが日本人拉致の一要因になっているとも言える。
(4) 青島海岸
※当初予定にはなかったが、検証を予定していた日向駅周辺が再開発で全く変貌していたため前回特別検証時にドローンでの上空からの撮影に失敗した青島海岸を上空から撮影することとした。今回は撮影に成功。原敕晁さん拉致現場などを確認することができた。
<参考資料 上記以外の宮崎県関連事案>
(1) 昭和46年(1971)12月30日 園田一・敏子さんが鹿児島県曽於郡の自宅から車で宮崎空港に夫妻で向かい車ごと失踪。
(2) 昭和51年(1976)頃? 夏の夕刻、現在の政府認定拉致被害者原敕晁さんを後に拉致し原さんに成り代わる北朝鮮工作員・辛光洙が東京の目黒中町で同居していた在日朝鮮人女性朴春仙さんを連れ大きなボストンバッグ2個を持って宮崎市の青島海岸を訪れたが、同地に到着すると朴さんを先に東京に帰らせ、辛光洙は2週間後に目黒中町に戻ってきた。青島海岸から北朝鮮に行っていた可能性もある。
(3) 昭和55年(1980)6月中旬夜、辛光洙が原敕晁さんを宮崎市青島海水浴場北端の海岸から拉致、自身も北朝鮮に戻る(辛光洙は6月20日夜の深夜放送で本国から「拉致実行の指令を受けた」とされており、原さんの拉致は20日過ぎの6月下旬と思われる)。
(4) 昭和57年(1982)3月 都城市で女性が失踪。
(5) 昭和58年(1983)6月19日 警察発表・黒木節男さんが日向市駅に知人を車で送った後、失踪。
(6) 昭和60年(1985)4月25日、日南市鵜戸崎の東南東約20kmの海上で北上している「第31幸栄丸」と書かれた白い不審船を県の漁業監視船が発見し、臨検しようとしたが高速で逃走され、海上保安庁の巡視艇で追跡したが種子島、屋久島の南方を経て東シナ海に入り、中国領海すれすれに北上し逃走、その後、韓国海軍のレーダーによって南浦港に入港したのが確認された。
(7) 昭和62年(1987)7月もしくは8月、高鍋町の男性が友人と二人で釣りに出ていたところ25mほどの船に追われる。その船には後部にクレーンがあった。(TBS報道特集)
(8) 昭和63年(1988)7月17日、林田幸男・水居明さんが宮崎市の大淀川河口の港から2人で釣りに出港後乗っていた遊漁船共擁丸(1トン)ごと失踪。
(9) 昭和63年(1988)8月初旬(大潮の日)日南市の設計士が鵜戸神宮北側の湾で貝採りをしていたところ、沖合いから漁船を偽装したと思われる船が高速で湾部に入ってきた。黒い服の3名が乗船していた。眼光鋭く恐怖感を覚えた。沖合いを海上保安庁の巡視船が通過するのを見て、また沖に出て行った。巡視船を避けたものと考えた。
(10) 昭和63年(1988)8月19日、和田幸二さんが南那珂郡南郷町で未明に飲食店から友人を車で送った後、失踪。
(11) 平成7年(1995)11月5日 岩本美代子さんが宮崎市佐土原町の石崎浜海岸に車を置いたまま失踪。
(12) 平成9年(1997)4月5日 日向市細島港に入港した北朝鮮貨物船「チソン2号」から58.6キロの覚醒剤や乱数表など発見。
<他、1980年代と思われる未確認情報>
◎ 日向市で「病院に行く」と出かけた50代男性1名が乗用車ごと不明、ダム湖などを探したが手がかり無し(調査会リストの和田幸二さんも警察発表の黒木節男さんも車ごと失踪している)
◎ 宮崎市一ツ葉海岸(現在のシーガイアあたり)で、乗用車内でデート中の20代男女がスーツ姿の男2名に追いかけられる。車に追いつくようなスピードで走ってきたが車を木々にこすりながらも脱出(鹿児島で類似の事例あり)。
◎ 宮崎市内で出産3ヵ月後の女性が行方不明に。宮崎市内海港にサンダルが見つかり入水自殺に。女性は内海出身。漁師は港に飛び込んだら絶対遺体が見つかると証言、また家庭は円満であり、育児ノイローゼはなかった。
◎ 新富町の海岸で、農家風の中高年女性が自転車の前かごから業務用無線機を取り出し、知らない言葉で話をしていたのをキス釣りに来た男性が目撃(キス釣りは通常、砂地の海岸で行う。児湯郡新富町の海岸一帯は確かに砂地の海岸で内陸近くには航空自衛隊・新田原基地もあり、一ツ瀬川を越えた隣接の佐土原地区は在日が多かったと言われている)。
◎ 宮崎港で夜釣りをしていた男性が、老人と子供を含む老若男女6名が歩いてきて、闇夜に待っていたゴムボートらしきものに乗り沖合いに向かった(ゴムボートであれば6名に操船してきた人間も加えると相当大型のゴムボートでなければならない)。
◎ 青島橘ホテル(平成2年-1990-廃業、昭和55年-1980-原敕晁さんが拉致される前に立ち寄る)の従業員が、深夜に外国語を話す複数名が海岸を歩いているのに気づく。
◎ 青島隣接こどもの国近くのパチンコ店屋上より、海に向かって懐中電灯が点滅するのを目撃した人がいる。
◎ 青島の西岸沖に黒い船が3日間停泊、いぶかしく思う漁師はいたが、以前よりたまに停泊していたので、気に留めない人が多かった。
以上
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<官房長官への要請文書と政府からの回答及びそれに対する見解>
5、情報収集及び公開について
(1)北朝鮮木造船乗組員等からの情報収集
<要請文書>
昨冬の大量の北朝鮮木造船漂着は、今後難民の上陸などにもつながる可能性があり、拉致被害者の救出とも密接に関連しています。国民保護の視点から、本件への一元的対処ができる体制を構築するとともに、上陸した人々から拉致被害者及び北朝鮮の一般状況に関する詳細な聞き取りをし、情報を蓄積するようお願いします。そのために対策本部事務局の体制強化もお願いします。
あわせて、北朝鮮木造船については昨冬漂着した船でもまだ処理されていないものがあり、最近も漂流漂着が確認されています。国民への啓蒙のためにも漂着船を東京都内、ないし横浜の海上保安資料館近くに展示していただきたくお願いする次第です。
<政府からの回答>
北朝鮮からとみられる船舶の漂着事案であって、生存者がいた場合には、関係機関が多岐にわたることから、内閣官房を中心に関係省庁が緊密に連携し、情報の共有と対応の協議を行っているところです。また、これまで生存して発見された乗組員に対しては、関係機関が予断を持たずに、様々な事柄について事情聴取を行ってまいりました。今後とも、政府一体となって、関係法令に基づき、適切に対処してまいります。
展示については、漂着した木造船は破損・劣化が激しく、展示に耐えられるものは殆どないのが実情であり、地方自治体により処分が行われています。仮に展示に耐え得る木造船があったとしても、劣化を防ぐために屋内の展示スペースが必要となりますが、海上保安資料館横浜館やその近く及び都内を含め、政府としてそのようなスペースは有しておらず、木造船を展示することは困難です。また、工作活動に関わったという証拠が認められていない木造船を同資料館等に展示することは、当該木造船が工作船であるかのような誤解を国民に与えるおそれがあり、適切ではないと考えております。
<回答に対する見解>
警察と海保など、中央省庁でも「緊密な連携」とは言い難い。いわんや自治体にはほとんど情報は提供されておらず、対応もまちまちである。もちろん国民への情報開示もされていないことは、先日の巡視船への北朝鮮漁船接触に関する報道でも明らかである。逆にこのような回答をするということは重大な問題を政府が隠蔽しているのではないかとの疑惑を感じさせるものと言える。
木造船の展示については、工作活動と言えるかは別として昨年11月の松前小島に上陸した10人の船が函館市内の民間倉庫に保管されており、少なくとも犯罪行為を行った船ではあるので展示をして国民の啓発にあてるべきと考える。長期間の展示もする必要はなく、横浜の資料館が無理なら屋外で1年程度の限定であっても問題はない(また来ると思われるので)。その程度の場所もないとは到底思えない。
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最新の北朝鮮船・遺体着岸漂流一覧(更新に伴い場所を移動しました)
http://araki.way-nifty.com/araki/2018/12/301220-96bd.html
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<特定失踪者データ>
◎氏名:古都 瑞子
◎よみかた:ふるいち みずこ
◎生年月日:昭和5(1930)年4月8日
◎当時の年齢:47歳
◎失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日
◎特徴:身長148センチ。体重45キロ。色白で面長。靴のサイズ23.5センチ。
◎当時の身分:皆生温泉の仲居
◎最終失踪関連地点:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺
◎当時の居住地:鳥取県米子市
◎失踪の状況:午後9時に旅館での仕事を終え、一時帰宅。その後普段着に着替え出かけるが、その後消息不明。歌や踊りに長け、地元ではよく知られている。自宅には近く東京へ行くための切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩くポケベルも置いたまま。通称・洋子(ようこ)
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<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等>
※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。
・1月12日(土)13:30「拉致問題を考える川口の集い」(川口市主催)
・川口駅前市民ホール フレンディア(川口駅東口前、キュポラ4階)
・特定失踪者家族会藤田副代表・調査会代表荒木が参加
・問合せ先 川口市福祉部福祉総務課(048-259-7929)
・2月9日(土)14:00「『北朝鮮拉致問題解結を願う都民の集い』コンサート」(東京都・政府拉致問題対策本部主催)
・なかのZERO小ホール(中野駅南口徒歩7分 中野区中野9-7)
・特定失踪者家族会生島幹事・調査会副代表村尾が参加
・問合せ先 東京都総務局人権部人権施策推進課(03-5388-2588)
※事前申込みが必要です。
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・FM「オレがやらなきゃ誰がやる!」
毎週木曜日21:00~、「RADIO TXT FM Dramacity 776.fm」(札幌)
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インターネット「ListenRadio」で札幌以外でもパソコン・スマホから聴取できます。
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<荒木著『北朝鮮の漂着船』(草思社刊)>
・定価1600円(税別)
<荒木共著『自衛隊幻想」』(産経新聞出版)>
・定価1200円(税別)
<荒木著『靖国の宴」』(高木書房刊)>
・定価1000円(税別)
<荒木著『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(展転社刊)>
・定価1800円(税別)
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特定失踪者問題調査会ニュース
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