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2021年1月 5日

元旦の八重山日報です

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元旦の「八重山日報」に載りました。以下のショートストーリー「おかえり」は直接拉致とは関係ないのですが、当たり前のことの大事さを考える材料になってくれれば、と思います。

おかえり

 

 「まずいなあ…」

 新里光男は唇を噛んだ。

 空港までの道は道路工事の対面交通で渋滞していた。ここは迂回する道もなく、流れに身を任せているしかない。車を置いて走り出したい気分だったが、まだ五キロ以上ある。多少腹の肉が気になる四十半ばの男が走るのはためらわれた。

 前方に着陸していく旅客機が見えた。美和子はあれに乗っているはずだ。

 自分が待っているとは思っていないだろう。メールをもらったのは三日前。「ご無沙汰しています。十五日に十年ぶりに帰ります。おそばの取材。お忙しいところすみませんが、お時間があったらインタビューお願いできませんか」とあった。

 「こちらこそご無沙汰です。いつでもどうぞ。着いたら連絡下さい」と紋切り型の返事はしたものの、光男は落ち着かなかった。

 美和子は中学校の同級生だった。とは言ってもあまり親しかったわけではなく、ずっと気にかかってはいたのだがろくに声もかけられずに卒業してしまった。

 高校は別だったが島に二つしかないのだから、顔を合わせる機会はしょっちゅうだった。それでもほとんど何も言えずに高校も卒業した。美和子はいつも成績はトップクラス。美人で遠くから見ても目立った。東京の大学に進学し、卒業して雑誌の記者になり、東京の男性と結婚してフリーライターになっていた。

 一方光男は中学高校とサッカーに明け暮れ、ぎりぎりの成績で高校を出た。卒業後は自衛隊に入り那覇で六年勤めてから家業のそば屋兼飲み屋「青い海」を手伝い、今はマスターになっていた。美和子と自分は全く違った世界の人間のはずだった。

 「何で俺は頼まれもしないのに空港まで向かってるんだ」

 光男は苦笑いしてふとポケットからスマホを取り出しもう一度美和子からのメールを見た。そこには無機質な活字が並んでいた。言葉が丁寧なのは仕事として来るからだろうな、と、ちょっと複雑な気持ちになった。

 「まあいいか」と思って顔を上げたとき、フロントガラス越しに空港の方でピカッと光るのが見えた。何だろうと思って目をこらしていると、まもなく「ズドーン」という轟音とともに地響きのような振動が伝わってきた。

 前方から噴煙が噴き上がった。光男は一瞬何が起きたのか分からなかったが何かが爆発したのは間違いなかった。

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 「『新里君どうしてるかな』ってミコが言ってたよ」と店にやってきた宮城真由美から聞いたのは一か月前だった。真由美は光男の幼なじみで美和子とは高校まで一緒、しかも中学以来バレー部も一緒にやっていた大の親友である。結婚して島内の少し離れた町でペンションをやっていたのだがオフシーズンを利用して家族で東京に旅行したとき、会ったのだった。

 「ふーん。あいつ元気にしてるのか」

 光男はわざと関心のないような返事をした。

 「元気は元気なんだけどね、なんかちょっと無理してるみたい。ご主人亡くなってもう十年でしょ。仕事は順調みたいだけど…」

 美和子の夫は会社で倒れた。大動脈乖離、あまりにも急で、子供もいなかった美和子が一人でショックから立ち直るには時間がかかった。美和子が東京に出たのは家庭内の事情も関係していて、大学に進学してからほとんど島には帰っていなかった。そしてその間ずっと電話したりメールやSNSのやりとりを続けて話し相手になっていたのが真由美だった。

 どう答えていいものか分からず光男は食器を洗っていた。

 「あのさあ」

 真由美が急に立ち上がって言った。

 「光男あたしの言いたいこと分からないの?」

 「言いたいことって、何だよ」

 「あんただってミコのこと好きだったんでしょ。何か声かけるくらいしたっていいじゃない」

 「いや、そんなこと言ったって俺あいつとほとんど話したことないし、東京でバリバリやってるキャリアウーマンと島のそば屋じゃ格が違うし…」

 「本当にどうしようもない男よねえ、あんた。だからいい年して独身なんだよ」

 「余計なお世話だって」

 「ミコ自衛隊入ったの知ってる?」

 「知ってるよ。でも現職じゃなくて公募で任官する予備自衛官。英語の技能だったよな」

 「そういう難しい事あたし分からないけどさあ、あれ絶対光男のことが頭にあったんだよ」

 「まさか」

 と、言いながら光男にはふと思い当たることがあった。現役自衛官のとき、A国にPKOのため派遣される部隊に光男も入ったことがある。昼は四十度を超える猛暑の中、重い防弾チョッキを着て完全武装で基地警備をしていたとき、雑誌の取材でやって来たのが美和子だった。

 もっともこちらは立っているだけで、説明は担当の幹部自衛官と陸曹がしていたから自分が話したわけではない。しかし美和子がこちらを見ていたことだけは分かった。

 翌日も美和子はやってきた。自分は非番で近くの小学校に行って地元の子供たちにサッカーを教えていた。高校までサッカー部のレギュラーで、県大会でも優勝した経験のある光男にとって、内戦の影の残るこの国にできることはこれくらいだったが、それでもボールを追いかける子供たちを見ていると幸せな気持ちになった。

 美和子は部隊の中でインタビューをしていたのだが、帰る前にガイドに頼んでグランドに立ち寄った。

 「こんにちは」

 「おう、久しぶりだな。東京で活躍してんだってな」

 「それほどでもないけど…」

 ちょっとおいて美和子は言った。

 「新里君良い顔してるね。昨日も良い顔だったけど、今日も別の良い顔だわ」

 「昔から二枚目で通してたからな。上原も自衛隊来りゃ良い顔になるさ」

 思わず照れ隠しで出た言葉だったが、美和子はじっと光男を見ていた。

 ふと、周りに集まっていた子供たちが声を挙げ始めた。光男には何を言っているのか分からなかったが美和子と一緒にいたガイドが美和子に耳打ちした。美和子は笑って言った。

 「『恋人同士』だって」

 その後美和子とは何の連絡もとっていなかった。だから予備自衛官になった話も風の便りで聞いただけなのだが、確かに少しは影響したのかな、と光男は思った。

 「ねえ、一度アタックしてみたら」

 ドキリとして光男は聞き返した。

 「そ、そんなこと言っても…」

 「前から光男のところのそば取材しなよって言ってるんだ。ミコにメアドとか知らせておくからね」

 真由美はそう言って帰って行った。光男は関心のないような風は装っていたが一カ月後に「美和子が取材で帰ってくる。○月×日の昼の便」と真由美からのメールをもらったときは胸が高鳴った。

 この島への東京からの直行便は一日三本。昼の便と言えばそれだけで時間が分かった。真由美のメールは要は「迎えに行け」ということだった。

 そして光男は迎えに行った。もっとも美和子に「迎えに行く」とは伝えられなかった。空港で会っても何と言えば良いのかも分からなかった。

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 今はそんなことは言っていられなかった。結局光男は車を空き地に突っ込んで空港に走った。細々とではあったがサッカーを子供たちに教えたりしていたから、走り始めてみれば意外と走れた。二十分程で空港に着いた。

 しかし空港のターミナルビルは半壊していた。ガラス張りの外壁が粉々に砕け、そこら中に血だらけの人が倒れたり、正気を失って呆然と立ち尽くしたりしていた。

 光男はともかく手当たり次第に目の前の負傷者の救護を行った。止血、心臓マッサージ、AED、全て自衛隊の現役時代に身に着けていたし、予備自衛官の訓練でも毎回やっていたから迷うことはなかった。夢中でやっているうちに救急車や消防車が駆け付けてきて少し現場が落ち着いてきた。

 「美和子は…」

 ふと我に返って光男は周りを見渡した。飛行機は着陸していたはずだ。爆発は降りた直後か荷物が出てくるのを待っていたくらいか。瓦礫の中をかき分けるようにして荷物引取場に入っていくと、そこには既に救急隊が入って負傷者を搬送し始めていた。

 「上原美和子さんいませんか、上原さーん」

 光男の声は次第に大きくなっていった。

 「上原、いないのか、上原ーっ」

 倒れているテーブルの陰に女性の足が見えた。慌ててテーブルをどけると、倒れていたのはまさに上原美和子だった。

 「上原、上原、しっかりしろ」

 光男は叫んだ。しかし美和子は動かなかった。口のところに耳を近づけたが呼吸はしていない。駄目か、と思いながら光男は心臓マッサージを始めた。憧れていた上原美和子の身体にこんな形で触れることになるとは、無我夢中で人工呼吸を行いながらふとそんな思いがよぎった。

 「上原、おれだよ。新里光男だよ。インタビューするんだろ。目を覚ましてくれよ。日本で一番美味いそば食わしてやるから」

 半分涙声だったが、我ながらもう少しましな言い方がないものかと光男は思った。と、しばらくして美和子の身体に反応があった。

 「上原、しっかりしろ。もう大丈夫だ」

 光男が呼ぶと美和子の目が少し開いた。口が何かを言おうとしていた。光男は耳を近づけた。

 「あたし、帰ってきたんだね。島に、帰ってきたんだね。帰りたかった」

 「そうだよ。おかえり。おかえり」

 「ただいま。新里くんにただいまって言えたんだ」

 美和子は微笑んだ。そしてそのまま気を失い、直ぐに救急隊に搬送された。左大腿骨と右腕を骨折し、かなり出血してはいたものの一命はとりとめた

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 爆発はプラスチック爆弾によるものだった。まもなく逮捕された工作員によってX国が制裁で追い詰められた揚げ句に行ったテロであることが明らかになった。主要空港では警備が厳しいために地方空港で行ったもので、自衛隊がいなかったのもこの空港が対象になった理由の一つと自供したことも報じられた。この事件が理由でX国はさらに国際的に追い詰められ、結局軍がクーデターを起こして政権が倒れることになる。

 それから三か月後、光男は再び空港にいた。

 十分前に美和子の乗った飛行機が着陸した。東京の家を引き払って、本当に「帰って」きたのだった。

 「おかえりーっ」

 光男は美和子の顔を見つけて大声で叫んだ。

周りにいた人たちが驚いて見返した。

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 「おかえり」「ただいま」

 この当たり前の言葉のやりとりがどれだけかけがえのないことか。私は四半世紀、拉致問題に関わってご家族のみなさんとお話しをかわす中で痛感してきました。昨年特定失踪者家族会が出版した『「ただいま」も言えない「おかえり」も言えない』からは何十年もその言葉をかけあえない多くのご家族の気持ちが伝わってきます。

 去年はコロナで一年が過ぎてしまいました。今もそれは続いていますが、このようなときだからこそ、新年にあたって私たちは当たり前のことの幸せをもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。「ただいま」「おかえり」と言えない人たちが言えるようにするために。

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