« 予備役ブルーリボンの会「レブラ君とあやしい仲間たち」(吉見美保・特定失踪者家族会副会長) | トップページ | 「しおかぜ」が危ない・送信機老朽化【調査会NEWS3447】(R3.5.31) »

2021年5月30日

第4次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史9)【調査会NEWS3446】(R3.5.30)

<第4次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史9)>

特定失踪者問題調査会特別調査班

 今回ご紹介する「日本における外事事件の歴史」は、昭和33(1958)年10月から翌34(1959)年3月にかけて警視庁が検挙した一連の北朝鮮工作員の主導による事件で、“第4次朝鮮スパイ事件”と呼ばれている事件です。

 本来ならこの前に昭和32(1957)年に千葉県警が摘発したとされる“国府台事件”というものを紹介しなければならないのですが、現時点で資料等を入手できていないため先に第4次朝鮮スパイ事件について書いてみたいと思います。

 この事件は去る昭和30(1955)年6月に警視庁によって摘発され“壊滅した”とされた北朝鮮内務省系のスパイ組織(通称・北朝鮮地下代表部)を再建する目的を兼ねて日本に潜入した“内務省の高級幹部”といわれる姜乃坤(当時38歳)が中心となって活動していたもので、姜の日本潜入後に新たに北朝鮮から送り込まれた工作員も含めて検挙された事件です。

 当時の報道記事等によれば、主犯とされた姜乃坤は北朝鮮で3カ月間、スパイの訓練を受けた後、日本に派遣されるにあたって北朝鮮本国から工作資金として米ドル5000ドル(当時の為替レートで180万円=現在の貨幣価値で約4,000万円)と、日本円40万円(現在の貨幣価値で約900万円)および偽造された外国人登録証などを支給されて昭和32(1957)年10月30日、“石川県の小塩港付近から密入国した”とされています。(現在「小塩港」で検索しても所在が分かりませんが、石川県で“小塩“の地名があるのは加賀市の小塩町ですので、ここであったと推測されます)

 日本への潜入にあたって姜は“朝鮮大学校建設資金の使途状況調査”、“朝鮮総聯中央幹部の動向監視”、“在日米軍や自衛隊関係等の情報収集”などの指示を受け、また日本に残留する秘密組織員への紹介状も持たされていました。

 日本に潜入した姜は、大阪市東淀川区に居住する秘密組織員・金基健方に宿泊する一方、同市港区二条通で質屋を営む新井こと朴南圭や同市天王寺区小橋元町の綿布商・山田こと李勝喜を使い、米ドルを1ドル=385円のレートで換金し、神奈川県川崎市の朝鮮人・某の紹介で都内北区田端町のアパートに入居、表向き“不動産屋の店員”として本格的な活動を開始します。

 また継続的な工作資金を得るため、町田市在住で北朝鮮本国に実弟がいる柳〇〇に北朝鮮から持ってきた実弟からの手紙を見せて協力者に仕立て上げ、工作資金の一部69万円を柳に投資して柳はこの資金を基に昭和33(1958)年3月、大阪市生野区でパチンコ屋を開店します。

 この柳が生野区に開店したパチンコ屋については後日談があり、パチンコ屋を開店したものの営業不振となったため、柳は“保険金詐欺”を計画、かつて使っていた朴〇夫にタバコとマッチを使って放火させる巧妙な手口で保険会社からまんまと保険金の一部・345万円の搾取に成功していました。

 一方、姜は秘密組織との連絡や北朝鮮からの指示連絡にあたり、擬装のため某女と結婚、朝総連幹部の動向を視察したり、在日米軍の配備、自衛隊に関する情報や在日北鮮系朝鮮人の活動などの情報を集めていました。

 警視庁公安部は、時期の詳細は判りませんが北朝鮮の“地下代表部”といわれる諜報組織があるのを確認し、昭和33(1958)年夏に秘密の捜査本部を立ち上げて捜査を進め、同年10月30日、姜を逮捕しますがその後も捜査を継続し、12月中旬までに日本人を含む7人を逮捕しました。

 姜乃坤を中心とした一連の工作組織についてはさらに捜査が続けられ、昭和34(1959)年3月には4人の工作員と協力者を検挙します。この際、押収した資料の分析結果から、姜が北朝鮮本国に報告するため暗号文で作成して北陸沿岸の某漁港の砂浜に埋めていた報告書も発見することが出来、暗号の解読にも成功したそうで、報告書には現在の生活ぶりや資金の状況、協力者の動向などが細かに記載されていたとのことです。

 指定された海岸に報告書(通信文)を埋めておくと、北朝鮮の工作船が来て、報告書を掘り起こして持ち帰る仕組みになっていたそうで、本国からの指令はオールウエーブ・ラジオで受信し、報告するための無電機がなければトボーク(連絡箱の意味)を使って連絡していたようです。

 北朝鮮工作員の行動については、これまで検挙された組織や個人でも海岸や山中に無線機を埋めたりする事例が多くみられ、一部はこのように連絡用として使用されていたのでしょう。当時、姜乃坤の一例は検挙されたから表面化したものですが、うまく検挙を逃れ、北朝鮮本国と連絡を取り合い続けていた組織や個人の工作員たちが他にどれだけいたかは不明で、あちこちの深夜の海岸で密かに接岸してきた連絡員が砂浜を掘り返しては暗号化された通信文を持ち帰っていたとすると、拉致した日本人を密かに海岸から連れ出すことも容易だったでしょう。また工作員・姜が日本で協力者を得るために北朝鮮本国にいる肉親の情報を使う手口も当時から常套手段でもあったのだと思われます。
(参考文献については代表荒木のブログに掲載しています)


参考文献

◆東京法令出版「戦後の外事事件
 第四次朝鮮スパイ事件  1958(昭和33)年10月30日  警視庁検挙
この事件は、石川県下の港から密入国した北朝鮮工作員 青出京一こと 姜 乃坤 (当時38歳)が、工作員の獲得工作、朝鮮総聯の監視、在日米軍及び自衛隊の情報収集等を行っていたスパイ事件である。
 姜乃坤は、3ヶ月間のスパイ訓練を受けた後、1957(昭和32)年10月、偽造外国人登録証明書、工作資金を携行して、石川県小塩港付近から密入国した。
 警視庁は、1958(昭和33)年10月30日、姜乃坤を逮捕した。同人は、1959(昭和34)年9月3日、東京高等裁判所において、出入国管理令、外国為替及び外国貿易管理法違反で懲役1年、執行猶予4年、罰金10万円の判決を受けた。姜乃坤は、1960(昭和35)年、帰還船で北朝鮮へ向け出国した。

◆1958.12.14 読売新聞「北鮮スパイ6人検挙-密入国、店員に化けていた主犯」
 警視庁公安3課は大がかりな北鮮スパイ団について内偵をすすめていたが、14日までに主犯の東京都北区田端町115、不動産店員・青山京一こと姜乃坤(きょう ないこん)(38)ら6人を出入国管理令、外国為替管理法違反などの疑いで検挙した。
 この摘発は戦後4回目のもので、姜らの取調べから新しい北鮮のスパイ組織が明るみにでるものとみられる。同課の調べでは姜は北鮮の内務省の付属機関から対日工作の指令を受け、日本にある秘密組織への紹介状、偽造した外国人登録証、暗号解読用の乱数表および米ドル5000ドル、日本円40万円を支給され、さる32年10月下旬小舟で石川県の某漁港に密入国した。
 姜は秘密組織員の大阪市東淀川区に住む金基健(35)方に宿泊、米ドルを大阪市港区二条通4-31、質屋・新井こと朴南圭(39)、同市天王寺区小橋元町107、綿布商、山田こと李勝喜(54)らから1ドル385円の割で日本円に替え、大阪、川崎などの北鮮系商社に投資してスパイ活動の資金にあてていた。
 姜はさらに川崎市内の某朝鮮人の紹介で都内北区にアパートを借り同じ密入国の朝鮮〇申華女(しん かじょ)(28)と同〇い、不動産屋の店員になりすまして当局の目をのがれ、同店主のあっせんで創価学会に入り、身分を隠したりしていた。
 姜は秘密組織との連絡や北鮮からの指示連絡にあたり、擬装のため今年の7月婦人(33)と結婚、北区内の某所にかくれ朝総連幹部の動向を視察…(文字判読不明・以下同じ)在日米軍の配備、自衛隊…北鮮系朝鮮人の活動など…情報を集めていた。
 北…は春秋の2回まとめて…の他は無電で連絡、…ていた。
 同人は去る…入国管理令違反で当局…同24日起訴、目下…なお姜を除く検挙者次の通り。
▽大阪市東淀川区…金山こと金基健
▽同…通4-31、質屋・新井…
▽同市天王寺区小橋…綿布商・山田こと李勝喜
▽…兵庫区今出家町…ハナエこと申華女
▽…区相生町1-5、店員…永喆(えいてつ)(26)…として活躍

◆1958.12.14 毎日新聞「北鮮地下代表部に手入れ-高官?ら7人逮捕-日本人も自衛隊などさぐる」
 警視庁公安3課は、北鮮の“地下代表部”といわれている諜報工作があるのを探知、今年の夏、秘密捜査本部を特設し、捜査していたが、13日までに主犯R(特に名を秘す)をはじめ日本人を含む一味7人を密入国、外国為替管理法違反などの疑いで逮捕、暗号文書など証拠資料多数を押収した。

乱数表で情報を流す
 この組織は、昭和30年6月、北鮮スパイ団18人が検挙されて以来の北鮮政府直系の本格的スパイ団といわれる。
 調べによると一味の組織はRを中心にK、Sなど北鮮系朝鮮人と日本人数人の計15,6人で、Rは北鮮内務省の高級幹部といわれる。
 同人らの任務は、一部の自供と証拠資料からみて、諜報面では自衛隊の配置、装備、兵器、防衛計画、在日米軍の兵力、日米、韓国の関係、駐日韓国代表部の陣容の調査。
 謀略面では日鮮の国交促進、日韓の親善の妨害などである。
 潜入経路は、Rが去る3月ごろ北鮮の漁船で日本海沿岸の港に近づき深夜、沖合10カイリぐらいの海上で、あらかじめ連絡をつけておいた日本漁船に乗り換えて上陸した。
 K、Sなどの潜入経路はわからないが、Rより以前に密入国したものらしく、東京、大阪などで互いに連絡をとり、いくつかの偽名をつかって都内、大阪、名古屋、神奈川などのアジトを転々としていた。
 Rは北鮮から工作資金として日本円にして1000万円近い多額のドルを持ってきており、一部を大阪市内の某会社に投資、活動資金を増やそうと図った。
 スパイ工作では組織を作り上げ実際活動に移ったばかりらしいが、押収した中に乱数表を使った連絡用の暗号文があるので、同課ではその解読に全力をあげるとともに、いままで使っていたとみられる無線機の隠し場所を捜査している。
 Rは取り調べに対し、スパイであることを否認しているが、当局での調査ではこれまでの北鮮スパイは労働党、軍、内務省の3系統からなっており、内務省系は30年の検挙で壊滅している。
 Rに課せられた使命は日本における北鮮スパイ団の組織再建のため北鮮内務省から派遣されたものとみられる。

◆1959.3.6 毎日新聞「北鮮スパイ団に追打ち-資金工作の主犯を逮捕」
 警視庁公安3課は昨年末、北鮮の“地下代表部”ともいわれるスパイ団6人を逮捕、引き続き捜査していたが、5日夜、主犯の朝鮮人、朴某を逮捕したほか、これまでに一味7人を送検した。
 暗号受診に使用していたオールウエーブ・ラジオなど証拠品多数を押収した。
一部の自供によりスパイ工作の方法がわかったので捜査の進展によりさらに事件は拡大するとみられる。
 同課の調べによるとスパイ団は昭和30年6月、北鮮スパイ団18人が検挙されて以来の北鮮直系の本格的スパイ団である。
 自供によると昨年末逮捕された北鮮内務省高級幹部の青山京一こと姜乃坤(きょう ないこん)(38)=朝鮮居境南道出身、北区田端町=ら6人は自衛隊の配置、装備、兵器、防衛計画、在日米軍の兵力の調査、日鮮の国交促進、日韓会談の妨害などの任務を帯びて日本に潜入したが持ってきた米ドル5000ドルと日本円約40万円を使い果たしたので新たに朴らが資金面の責任者としてこのほど日本に密入国、在日北鮮有力者と連絡、工作資金集めに活躍していた。

◆1959.3.19 朝日新聞「北鮮の対日工作団さらに4人逮捕-暗号解読 秘密文書も押収」
 警視庁公安3課は昨年暮、北鮮内務省系の対日工作員・青山こと姜乃坤(きょう だいこん)(38)ら一味6人を検挙、その後も捜査を続けていたが、18日までにさらに共犯の川崎市桜本町3-1910、谷川こと金成竜(40)、東京都北区田端町115、飯島ハル(35)、名古屋市東区相生町15、パチンコ店主・金兒〇(34)、同妻・申蘭香(32)の4人を証拠隠滅、外人登録法違反などの疑いで検挙、その調べから主犯・姜乃坤の持っていた暗号専用乱数表の解読に成功、北鮮への通信文書を発見するなど一味の活動状況、連絡組織など対日特殊工作の内容が明らかになった。
 また、この一味の捜査から主犯・姜の流した資金をめぐって大阪で放火詐欺の疑いがあるので、その容疑者・都下町田市原町田1218、パチンコ店主・柳〇〇(36)、神戸市兵庫区道場町道場、無職・〇〇孝(35)、岐阜県美濃市谷川町1825、土工・朴〇夫(26)の3人を放火、保険金詐欺の疑いで同日までに検挙した。
 調べでは姜の愛人で、姜が逮捕されたあと金成竜と相談して東京田端の自宅庭に埋めてあった乱数表を掘り出して焼き捨てたという疑い。
 また金兒〇夫婦は姜のアジト設定、暗号文の作成などに協力していたという疑いだが、これら一味の調べから当局は姜の使っていた5桁の乱数表の解読に成功、これに基づいて去月末、北陸沿岸の某漁港の砂浜に姜が埋めておいた北鮮宛の暗号通信文を探し出し、これも解読した。
 当局の調べでは、北鮮から姜一味への秘密指令は毎月1回、指定された日の午前0時から同3時までの間に指定された波長の短波放送で行われ、アナウンサーは女で、5桁の数字を繰り返して朝鮮語で放送する、という。
 姜はこれを乱数表によって解読、その指令通り工作活動を行い、報告書は指定された海岸に埋め、北鮮側の漁船が掘り起こして持ち帰る仕組みになっていた。
 当局が押収した姜の報告書には現在の生活ぶり、資金状況、協力者の動向などがこと細かに記されており、自衛隊の配置、在日米軍の動き、在日南北鮮人の動向なども報告していたものとみられる。
 また放火詐欺事件の主犯とみられる柳は姜の協力者の1人で、姜は日本に密入国の際、北鮮にいる柳の実弟から紹介状をもってきているという。
 調べでは、姜は持ち込んだ資金のうち69万円を利食いのため柳に融資、柳はこれを資金に昨年3月、大阪市生野区東糀谷町Ⅲ-381にパチンコ店「ミリオン」を開店したが、営業不振のため鄭と共謀で保険金詐欺を計画した。
 鄭はもと使っていた朴に放火を命じ、朴は昨年7月12日午前2時半ごろ火のついたタバコとマッチ箱を使って同店に放火、柳は同年8月6日、富士海上火災保険から保険金400万円のうち345万円を搾取したという。
 放火方法が巧妙なため当時、地元生野署でも出火の原因がつかめず、“失火”として処理されていた。

 

|

« 予備役ブルーリボンの会「レブラ君とあやしい仲間たち」(吉見美保・特定失踪者家族会副会長) | トップページ | 「しおかぜ」が危ない・送信機老朽化【調査会NEWS3447】(R3.5.31) »