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2021年9月24日

住吉丸事件 (日本における外事事件の歴史13)【調査会NEWS3507】(R3.9.24)

特定失踪者問題調査会特別調査班

 昭和36(1961)年7月15日夜、山形県西田川郡温海町(現鶴岡市)の海岸線をパトロール中だった温海警察署員2名が町役場裏手の岩陰に隠れている男1名を発見しました。職務質問したところ、男は在日と称しながらも外国人登録証を携行していなかったため逮捕しました。

 取り調べから男は北朝鮮から漁船風の『住吉丸』という船に乗船して温海町の沖合まで近づいた後、ボートに乗り換えてもう1名の男と温海の海岸に上陸したものであることが判明しました。さらにその後の捜査でもう1名の男は別の2人の男をボートに乗せて海岸から脱出していたことが分かりました。これが通称「住吉丸事件」と呼ばれるものです。

 警察は「これまでは北朝鮮工作員の潜入、脱出は西日本が多かったのに西日本沿岸での警戒が強まったために東北地方も潜入、脱出に使われるようになった」として、この事件をきっかけに警察庁警備局が全国の警察に対して取り締まりの強化を指示しました。

 しかし、地元紙の山形新聞は事件の詳細を何度も後追いで掲載していたにもかかわらず、東京では不思議なことに事件の詳細を伝えるも記事はほとんどなく、また後に出版される日本法令出版の『戦後の外事事件』や恵谷治氏著書『対日謀略白書』にも触れられていません。

 あるいは逮捕された人物が取り調べの結果から「工作員ではない」と判断されたからかも知れませんが、2人の正体不明の男が北朝鮮の船に乗って密出国した事件ですから本来ならもっと中央で報道されてもおかしくなかったと思います。

◇事件の端緒

 昭和36(1961)年7月15日夜、夏の防犯パトロールで巡回中の山形県警温海署の署員2名が、温海町役場の裏手にある海岸の岩陰に1人の男が隠れているのを発見し、職務質問をしたところ「朝鮮人」と答えたため「外国人登録証」の提示を求めたところ、所持していなかったことから「外国人登録証不携帯罪」で逮捕しました。

◇男の正体

 逮捕された男は当初、「大阪市生野区猪飼野町に住む山下孝太郎」と答えていたようです。また本人は当初、聴取に対して「船長のK以下4人が乗船しており、下関を13日出発、秋田で魚を積んで帰る予定だったが、機関が故障したので、郵便局で電報を打つために上陸した」と話していたようです。しかし①北鮮なまりの日本語を話すこと、②船を整備するには近くに鼠ヶ関避難港をはじめ小岩川、大岩川両漁港があるのに港を避けたこと、③上陸してボートに見張りを置いたこと、④夜を選んで上陸したこと、などから追及された結果、北朝鮮の漁夫で桂明順(53)と判明したとのことです。

 報道から桂明順の自供によると、桂はK船長から「日本から朝鮮に品物を運搬するが行かないか、月給の5倍の給料を払う。成功すれば日本紙幣で1万5千円をやる」と誘われたので、金に目がくらんで乗船したといい12日、北朝鮮の咸鏡南道洪原郡方東里から、同漁協の機帆船・住吉丸(19トン)で、真っ直ぐに温海沖に来たとのこと。

 着いたのは15日夜で、温海町の沖合500mの位置に停船した住吉丸で船長から「お前はボートから降りろ」といわれ、住吉丸から降ろされたボートにもう1人、氏名不詳の朝鮮人を乗せて温海海岸に乗り付けたということです。

 以上のような供述から警察では「桂はこれら一味の単なる使用人」と見たようですが、単なる密輸のための密入国ならばともかく、そもそも工作員の教育・訓練を受けていない者を上陸させることがあり得るのでしょうか。

 最初に職務質問を受けた際、桂は「大阪市生野区猪飼野町に住む山下孝太郎」と、まるで準備していたような答え方をしています。さらに職質後、逮捕された時点で日本円1万5千円(昭和36年当時、大卒公務員の初任給12.900円、同じく高卒の初任給8.300円、牛乳15円の時代です)を所持していたのは「成功報酬をすでに受け取っていたのか?」などと不審な点が多いのですが、この部分についてはそれ以上の後追い記事がないため警察が桂の供述をそれ以上追及したかどうかは不明です。

◇もう1人の男

 桂明順の供述では住吉丸からもう1人の朝鮮人をボートに乗せて温海の海岸に乗り付けたということですが、海岸で巡回中の温海署員に見つかり、職務質問を受けたのは桂明順だけでした。ではもう1人の男は誰だったのか?詳しくは後述しますが、この氏名不詳の朝鮮人こそが北朝鮮工作機関の案内人であり温海の海岸に上陸後、桂が職務質問を受けている間に、本来の目的・任務を遂行していたようです。

◇温海海岸から脱出した3名

 桂明順が逮捕されて以降、捜査から桂と一緒に上陸した男は、2名の男を連れて温海海岸から脱出していたことが判りました。

 目撃証言などによると、7月15日の早朝5時20分、上野発、秋田行きの急行「羽黒」で温海駅を降りた2人の男が「温海温泉」の旅館に着きました。この2人の特徴は、1人が小太りの重役タイプで、もう1人は背の高い日本人らしい朝鮮人だったといいます。何をもって「日本人らしい朝鮮人…」としたかは記事に詳細が記載されていないため不明ですが、この2人は昼間は外出することもなく夜8時過ぎに旅館を後にしたといいます。

 また、桂が職務質問後の取調べを受けている間に温海町役場前の商店に3人の男が立ち寄り、ドライミルク、缶詰、ウイスキーなど2,500円分を購入していたようで、この3人のうち2人が旅館にいた人物と警察では確認したようで、桂が取調べを受けている間に桂と一緒にボートで上陸した男が、旅館から出てきた男2人をボートに乗せ、住吉丸に乗り換えて日本から脱出(密出国)したものと判断し、特に旅館にいた2人の男についてモンタージュ写真を作成して全国の警察に手配したようですが、当時の報道記事では人物を特定したとの記事はありません。

◇住吉丸

 桂明順が逮捕された1週間後の7月23日になって、『住吉丸』の目撃者が現れました。温海町の漁師で、事件当日の15日夜7時過ぎ、自分の持ち船に1人乗って温海漁港から温海川方面へエビ漁に出ての帰り、夜9時半ごろ温海町役場裏手の不動岩の陰あたりで見た船が住吉丸だったようです。

 聴取に対して漁師は「白っぽい船体で不気味な感じの船だった。船首を沖の方に向けて停泊しており、船名までは気が付かなかった。庄内浜の漁船と違ってブリッジがぐんと高く、1本マストで、船尾には網の巻き上げ機など漁船としての装置はなかった。航海灯も消しており、大きさはハッキリしないが恐らく20トン前後の船ではないかと思った」と答えており、これが『住吉丸』だったと断定しました。

 桂の自供では住吉丸は「温海の海岸沖合500mほどで停船し、そこからボートで温海に上陸した」ということでした。漁師が船を目撃した位置は陸から150mの地点であり、桂の証言とは食い違いがありますが警察では①ボートを下ろしてから船がさらに陸に近づくことも十分考えられる、②不動岩のカゲあたりは陸からは見えないし船がコッソリ停泊するには絶好の場所で沖合よりもむしろ姿を隠しやすい、という点から住吉丸に間違いないと判断したようです。

 事後、警察は酒田、鶴岡両署も動員して沿岸一帯の聞き込み捜査を強化し、漁師さん以外の目撃者の発見にも力を入れたようですが、他の目撃情報は得られなかったようです。その後住吉丸については事件の2年前(昭和34年)に新潟県沖でいったん捕まりながら姿をくらました新生丸や酒田沖に現れた新洋丸と非常によく似ていることから、警察では海岸警備の手薄な庄内浜を狙った北鮮系の計画的な密航と断定し、警察庁は7月29日、北朝鮮密航グループの捜査から、日本国内に200組近くの北朝鮮系スパイ網が張り巡らされているとみて全国の警察へ取り締まりの強化を指示しました。

◇初めてではなかった東北での密出入国

 事件当時、警察庁はこれまで北朝鮮工作員の潜入、脱出がほとんど福井県の若狭湾以西の裏日本海岸に限られていたのが、西日本の警戒が厳重になったため、東北地方に移ったものとみて関係県警察に対し、海上保安庁出先機関との連絡を密にし、沿岸監視詳を強化するとともに沿岸住民にも協力を求めてこれら工作員の密出入国を徹底的に取り締まるよう指示しました。

 同庁の調べによると北朝鮮工作員の潜入、脱出のルートは多くは西日本の日本海沿岸に伝馬船(本船と岸の間で荷物の積み下ろしなどにつかう小型の木造船)などで、こっそり接岸して新しい工作員を潜入させたり、帰国する工作員を脱出させたりしていたというものでした。

 戦後からの事件で北朝鮮工作員と確認したものは昭和24(1949)年3月以来、密入国16件20人、密出国9件13人で伝馬船7隻が発見されているとされており、これらの接岸地点はこれまでほとんどが福井、京都、兵庫、鳥取、島根、山口、北九州の日本海寄りの沿岸でした。しかし昭和36年は6月中旬、新潟県の海岸から工作隊員が潜入したという情報があり、続いて7月15日の温海海岸からの密出国と続いたため、北朝鮮工作員などの接岸地点が次第に北に移るものとみて新潟、山形、秋田、青森、北海道の沿岸警備を厳重にすることになったものです。

 しかし、この時点ではまだ警察庁も気づいていませんでしたが実は既に朝鮮戦争開戦の昭和25(1950)年当時から北海道や東北を舞台にした密出入国事件は始まっていました。これらは後日になって検挙されたから判明したもので、見落としというか、警察の目に留まらずに密出入国が成功したものは数えきれないと思います。

 「住吉丸事件」発生の昭和36(1961)年7月以前の事件で、後日判明した例を挙げてみます。

●昭和25(1950)年4月28日、後に「杉並事件」(S41.7.12警視庁検挙)として摘発される安田誠こと安珉濬が工作員・Aとともに、同人が調達した漁船「第三旭丸」に乗り込み、北海道函館港から(再度)北朝鮮に密出国しています。

●昭和25(1950)年5月22日、同じく「杉並事件」(S41.7.12警視庁検挙)として検挙される安田誠こと安珉濬が他の工作員2名と共に山形県の酒田港から密入国しています。

●昭和31(1956)年10月3日、後に「弘昇丸事件」(S32.6.25北海道警検挙)として検挙される須谷良介こと崔竜雲が新たに日本に派遣される北朝鮮工作員・李享とともに金斗七の手引きで漁船「弘昇丸」で北海道の乙部港から密入国しています。

●昭和35(1960)年10月中旬、後に「大寿丸事件」(S37.7.24山口県警、警視庁、大阪府警検挙)として検挙される滝川洋一こと崔燦寔が山形県酒田市付近の海岸から密入国しています。

 このように北朝鮮の工作員たちは「西日本の警戒が厳しくなったから…」などとは関係なく、日本全国で好き勝手に出入りしていたようです。実際、警察庁は「住吉丸事件」を契機として新潟、山形、秋田、青森、北海道の沿岸警備を厳重にすることを指示しますが、その後もこの各県で北朝鮮の工作員たちが検挙される事件は続きました。例えば工作員2名の死体や装備品・水中スクーターなどが秋田県能代市の海岸に流れ着いた能代事件はこの2年後に起きています。また同時期この地域からの失踪(調査会の公開リスト)は次のような人たちがいます。

●昭和31(1956)年3月18日、北海道札幌市で板金工場に勤めていた斉藤四郎さん(当時17歳)が同日朝、板金組合の講習会に出かけたものの講習会に現れず失踪。

●昭和32(1957)年、東京都港区に居住していた発電会社社員の斉藤宰さん(当時21歳)が実家に「北海道で国籍を買い受け、海外へ行く」という謎めいた手紙を送って失踪。

●昭和35(1960)年2月27日、日本赤十字社の秋田高等看護学校の3年生で卒業式を10日後に控えていた木村かほるさん(当時21歳)が同日夕刻、「ちょっと出かけてくる」といって寮から外出したまま失踪。

 特に木村かほるさんについては様々な目撃証言や生存情報があります。当然住吉丸事件のような密出入国の中で拉致されていったのでしょうから、こうして地方に眠ったままの当時の事件を丁寧に掘り起こして検証していくことが失踪した方々の糸口を見つける手段の一つになるかもしれません。

(下 昭和36年-1961-7月17日付 山形新聞)

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(下 昭和36年7月18日付山形新聞)

 

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(下 昭和36年7月23日付山形新聞)

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(下 昭和36年7月24日付山形新聞)

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