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2021年10月20日

大寿丸事件(日本における外事事件の歴史14)【調査会NEWS3516】(R3.10.20)

特定失踪者問題調査会特別調査班

 昭和35(1960)年10月19日、北朝鮮の工作員である1人の男が山形県酒田市付近の海岸から密入国しました。男の名前は崔燦寔 (チェ・チャンシク さい・さんしょく 当時44歳)と言い、戦前に日本の法政大学で学び、その後朝鮮に帰国していた男です。

 崔は朝鮮に帰国後、どんな仕事をしていたかは不明ですが、昭和35(1960)年6月に工作員として徴用され、様々な訓練を受けた後に

●20トン位の船舶の購入 

●海上運搬業務の経営 

●購入した船舶を使用して日本―北朝鮮間による工作員や物資の輸送(密輸)

などの活動を指示され、乱数表や無線機及び工作資金等を携行して北朝鮮を出発し、同年10月19日、山形県酒田市付近の海岸から潜入しました。

 密入国後、崔は元大阪在住の帰化人、滝川洋一氏に成りすました後、都内や埼玉県にアジトを設置する一方、朝鮮総連の幹部で対日工作組織のキャップとされる都内荒川区所在の箕輪病院長・梁川こと梁亟浩(ヤン・グクホ りょう・きょくこう 当時44歳)の資金援助などを受けて日本人名義で漁船『大寿丸(19トン)』を購入し、漁船登録の許可まで得ました。

 崔は大寿丸の乗組員として、日本人の船長や在日コリアンなど4人を雇い入れ、翌昭和36(1961)年8月19日、山口県の下関港から「鳥取県の境港に行く」と下関港を出港して、そのまま北朝鮮に向かいました。しかし、大寿丸の動向についてはこの時点で山口県警や警察庁の監視下にあったようです。というのも、この大寿丸が同年5月に下関港に入港した際、乗員の中に自称・滝川洋一という不審な人物が乗船していたことを把握し内偵中、8月19日になって上記のように「鳥取県の境港に行く」と下関港を出港し、行方が分からなくなっており捜査の結果、大寿丸が北朝鮮に渡航した事実を掴みました。そこで出入国管理令違反の疑いで更に内偵を進めた結果、朝鮮総連中央委員で荒川区の箕輪病院長・梁亟浩が首謀者として浮上したものです。

 一方、大寿丸で北朝鮮に帰国した崔燦寔は到着後、日本での活動状況を報告の後、今度は「山形県酒田港を拠点とする日本・北朝鮮間の貿易ルートの設定」の任務を指示されます。

指示を受けた崔は、改めて渡された乱数表、工作資金等を携行して同年10月、再び「大寿丸」で日本に向かい、またしても山形県酒田市付近の海岸から密入国を果たします。

 再度の密入国を果たした崔は、本国に再度の潜入成功の報告として、毎日新聞の尋ね人欄に、「健一、すぐ帰れ、母危篤、健次郎」の広告を出したとされていますが、これは本国への報告というより、日本国内に潜入、或いは潜伏中の工作組織や工作員又は協力者に対する「北から工作員が到着したので準備しろ」という旨のシグナルだった可能性があります。

 崔は再度の密入国後は実在の日本人に成り済まし東京都内に潜伏してスパイ活動を続けましたが、遡ること1カ月前の9月9日、既に山口県警は崔燦寔ら関係者を全国的に指名手配しており、11月20日に警視庁公安部によって箕輪病院院長梁丞浩が密出国ほう助の疑いで逮捕され、また大阪府警察が大寿丸の船員を逮捕するなどして、翌昭和37(1962)年7月24日、最後に崔燦寔が警視庁によって逮捕されました。この一連の事件を『大寿丸事件』とか、崔燦寔がなりすましていた滝川洋一氏の名字をとって『滝川事件』として呼んでいるわけです。

 この事件で注目する点は二つあり、一つは崔燦寔が滝川洋一という人物になりすましていたということです。現時点、調査会で入手出来ている当時の報道記事には書かれていませんが、『戦後の外事事件』によれば、滝川洋一なる人物は「大阪居住の帰化人」との記載があり、恵谷治氏の『対日謀略白書』では「大阪在住で帰化した滝川洋一(本人は50年6月に北朝鮮で病死)に成りすまし…」との記載があり、警察用語でいう「背乗り」にあたるものです。

 ただし、この「50年」は1950年のことで、当時は日本はまだ占領中。元々日本国籍であった朝鮮半島出身者の処遇は確定していませんでした。従って「帰化」はありえません。単に通名を使っていただけなのか、日本人(戦前なら内地人)と結婚して戸籍をそちらに写したのか、しかも朝鮮戦争開戦の月である1950年6月に北朝鮮で病死したことがどうして分かったのか、疑問は残ります。

 これまで北朝鮮の工作員が背乗りしたという事件は昭和55(1980)年6月に原敕晁さんを大阪から宮崎まで連れ出し、拉致した後に背乗りしたことが後に明らかとなる辛光洙の事件や、昭和60(1985)年3月に補助工作員的な在日コリアンが逮捕されて明らかになった小熊和也さんと小住健蔵さんに背乗りを行って国外に逃亡した西新井事件の朴某なる工作員の件などがありますが、いずれも日本国内に本人が所在していると都合が悪いために北朝鮮に身柄を移そうとしたものでした。

 西新井事件での小熊和也さんは北朝鮮に連れ出す前に病死したため、背乗りして入手していた旅券などが使えなくなり、新たに小住健蔵さんに背乗りしたもので、未だに小住健蔵さんの行方は不明のままです。また、原敕晁さんについて、北朝鮮側の説明では昭和61(1986)年7月に死亡したとしていますが、事実は確認されていません。

 崔燦寔が背乗りした滝川洋一という人については、恵谷治氏が書いているように「本人は50年6月に北朝鮮で病死」というのであれば、この人も日本から拉致されていった可能性もあるということでしょうか。

 もう一つの注目点は、崔燦寔よりも先に逮捕されていた箕輪病院長・梁亟浩についてです。梁亟浩は在日朝鮮人科学者協会(『科協』)会長、朝総連中央委員などの役職を歴任する総連幹部で対日工作組織のキャップと目され、東京を中心とした工作員への資金関係を担当している人物…となっており、正に総連が本国からの対日工作に加担してきた証拠でしょう。私たちが追及している拉致事件に関しても、日本を経由した対韓国工作にしても、総連やその構成員が北朝鮮の出先機関として役割の一端を担ってきたことは間違いありません。

 背乗りやなりすましと言われる件については、改めて別に紹介したいと思います。

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◆◆◆参考資料◆◆◆

■1961.11.20 産経新聞「北朝鮮対日工作組織明るみへ-三ノ輪病院長を逮捕-キャップで資金面担当」
東京を中心に暗躍中の大掛かりな北朝鮮の対日スパイ工作組織を内偵中の警視庁公安部は、20日朝、山口県警の協力で、東京都荒川区南千住町1-2、箕輪病院院長・梁川こと梁丞浩(44)を密出国ほう助の疑いで逮捕するとともに、同病院の事務所、梁の自宅などを捜索、関係書類多数を押収した。
調べによると梁は朝鮮総連の幹部で北朝鮮の対日工作組織のキャップ。
東京を中心とした工作員への資金関係を担当していたもので、既にその下で働いていた荒川区日暮里1-791、本宮樹脂化学工業営業部員、自称朝鮮人・滝川洋一(43)などのスパイは山口県から北朝鮮へ密出国している。
この組織の追及は今夏から警視庁公安部と山口県警で極秘裏に捜査していたもので、梁の逮捕によって北朝鮮スパイ団の全容が明るみに出るものとみられる。
捜査のキッカケはさる8月19日、山口県下関港の漁船・大寿丸(佐久間信行船長以下4人乗り組み、19トン)が行方不明になり、山口県警で捜査したところ、北朝鮮に密航したことがわかった。
そこで出入国管理令違反の疑いで内偵中、この船は梁が北朝鮮と日本の間のスパイ航海するのに使っていることがわかったもの。

■1961.11.21 読売新聞「北朝鮮の工作員-15か所捜索、病院長逮捕」
警察庁は韓国政変以来とくに盛んとなった北朝鮮工作員の日本潜入、その活動状況などについて全国的に内偵を進めていたが、20日朝7時、警視庁、山口、神奈川、埼玉、大阪の各府県警と協力、東京都荒川区南千住1-2、三輪病院長・梁亟浩医博(44)を出入国管理令違反ほう助罪で逮捕するとともに警視庁管下7か所、埼玉県4か所、神奈川県3か所、大阪府1か所の計15か所を捜索した。
警察庁の調べによるとさる5月、下関に着いた大寿丸(19トン)の中に不審な乗員があり、自称・滝川洋一(43)といい、8月19日「鳥取県境港市に行く」と下関を出港して以来行方不明となったが、その後北朝鮮に帰国したことがわかった。
梁亟浩は在日朝鮮人科学者協会会長、朝総連中央委員などの肩書を持ち北朝鮮系在日朝鮮人の幹部として活躍、大寿丸の購入資金の一部として140万円を支出、滝川の密出入国を助けた疑い。

■「戦後の外事事件」 大寿丸(滝川)事件 1962(昭和37)年7月24日 山口県警察、警視庁、大阪府警察検挙
この事件は、山形県・酒田市の海岸から密人国した北朝鮮工作員・滝川洋一こと崔燦寔 (当時44歳)が、北朝鮮工作員の北朝鮮・日本間の秘密海上輸送ルートを作るため、在日朝鮮人を獲得して活動していたスパイ事件である。
崔燦寔は、我が国の法政大学で学んだ経歴を持つ人物であるが、昭和35年6月ころに北朝鮮工作員として採用され、北朝鮮で約4ヶ月間のスパイ訓練を受けた後、
o  20トン位の船舶の購入と海上運搬事業の経営
o  同船舶を使っての北朝鮮・日本間の工作員や物資の輸送
などの任務を帯びて、乱数表、無線機、工作資金等を携行して、昭和35年10月中旬ころ、山形県酒田市付近の海岸から密入国した。
その後、北朝鮮であらかじめ指示されたとおり、大阪居住の帰化人に成り替わり、東京都内や埼玉県下にアジトを設け、在日朝鮮人を獲得して、船舶購入資金の調達、日本人名義での漁船の購入、船員の雇入れなどを行い、 日本漁船の調達に成功し、「大寿丸」として漁船登録許可をとった。
崔燦寔は、船員として雇い入れた日本人や在日朝鮮人とともに、昭和36年8月19日、「大寿丸」に乗り込み、下関港から北朝鮮に密出国した。
北朝鮮で日本での活動状況を報告の後、山形県酒田港を拠点とする日本・北朝鮮間の貿易ルートの設定の任務を指示された崔燦寔は、昭和36年10月、乱数表、工作資金等を携行して、再び「大寿丸」で山形県酒田市付近の海岸から密入国した。
崔は、その後実在の日本人に成り済まし東京都内に潜伏してスパイ活動を続けた。
山口県警察は、昭和36年9月9日、崔燦寔ら関係者を全国的に指名手配し、大阪府警察が「大寿丸」の船員を逮捕し、昭和37年7月24日、警視庁が崔燦寔を逮捕した。
崔燦寔のアジトからは乱数表、暗号用インク等が発見された。
崔燦寔は、昭和37年10月19日、山口地方裁判所下関支部において、出人国管理令違反で懲役1年の判決を受けた。

■恵谷治著『対日謀略白書』―事例9 1962.7.24 大寿丸事件(滝川事件)
崔燦寔(人民軍陸軍大尉、偽装名は滝川洋一、当時44歳)は戦前に渡日し、法政大学で学んだ後に帰国した。
1960年6月に工作員に徴用され、4カ月間のスパイ教育・訓練を受けたのち、60年10月19日、暗号表、無線機、工作資金などを携行して、山形県酒田市付近の海岸から密入国した。
崔燦寔は大阪在住で帰化した滝川洋一(本人は50年6月に北朝鮮で病死)に成りすまし、東京や埼玉にアジトを設置し、在日朝鮮人の協力によって漁船「大寿丸」を購入し、漁船登録許可を取ることに成功した。
61年8月19日、船員として雇った日本人や在日朝鮮人とともに、下関から「大寿丸」で北朝鮮に密出国した。
帰国した崔燦寔は工作活動の欠陥を指摘され、61年10月に再度、暗号表や工作資金などを携行して「大寿丸」で酒田市の海岸から潜入した。
潜入に成功後は毎日新聞の尋ね人蘭に、安着の報せとして「健一、すぐ帰れ、母危篤、健次郎」の広告を出すように命じられ、実行した。
山口県警は61年9月9日、崔燦寔ら関係者を全国に指名手配し、大阪府警が「大寿丸」の船員を逮捕したことにより、東京で崔燦寔が警視庁に逮捕された。
崔燦寔のアジトから、暗号表や暗号用インキが押収された。
崔燦寔は出入国管理令違反で、懲役1年の判決を受けた(山口地裁下関支部、62年10月19日)。
崔燦寔は63年に北朝鮮に帰国した。

◆◆◆ 別 資 料 ◆◆◆
■『諜報事件判決集』 大寿丸事件
この事件は、北朝鮮秘密工作員・崔燦寔らが東京都内に潜伏し、活動をしていた事件である。
「日本漁船を調達して北朝鮮に運ぶ」 「秘密工作員の北朝鮮―日本の秘密海上輸送ルートを確立する」の任務を帯びた北朝鮮秘密工作員・崔燦寔は、昭和35年10月中ごろ北朝鮮から山形県酒田市付近に密入国し、東京都、埼玉県下にアジトを設け、在日朝鮮人を手先に使って工作活動を行った。
昭和36年8月19日、日本漁船・大寿丸に乗り下関港から北朝鮮に密出国して活動状況の報告をし、同年10月16日、同船で山形県酒田市付近に再び密入国して工作活動を行っていた。
検挙された時には、無線機、暗号文書、身分擬装用戸籍謄本、工作用写真等を所持していた。

【判決】出入国管理令違反 被告人 滝川洋一こと崔燦寔

(罪となるべき事実)
被告人は外国人であるが、有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで、
第1(1)、昭和35年10月中旬頃北朝鮮漁津港から船名不詳の漁船に乗船し、その頃山形県酒田市付近海岸に上陸し
(2)、昭和36年10月13日頃、北朝鮮西湖津から大寿丸に乗船し、同月16日頃前記酒田市付近海岸に上陸し以て夫々不法に本邦に入国し
第2 昭和36年8月19日下関港から大寿丸に乗船し、北朝鮮西湖津に向け出港し、以て旅券に出国の証印を受けないで本邦から出国したものである。

【判決】出入国管理令違反、外国為替及び外国貿易管理法違反 被告人 佐久間信行

(罪となるべき事実)
被告人は
第1 昭和36年8月19日午前10時過頃、出国の証印を受けた有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで、下関漁港より鮮魚運搬船大寿丸に乗り、北朝鮮西湖津に向けて不法に本邦から出国し
第2 金原こと金秉洙と共謀の上、法定の除外事由がないのに、昭和36年10月11日頃北朝鮮より漁船大寿丸に乗船して同月17日山形県酒田市付近海岸に上陸するにあたり、大蔵大臣の許可を受けないで米国政府紙幣2000ドル位を携帯して輸入したものである。

【判決】出入国管理令違反、外国為替及び外国貿易管理法違反、外国人登録法違反 被告人 金原こと金秉洙

(罪となるべき事実)
被告人は韓国に国籍を有する外国人で、下関市彦島老町2丁5組282番地を居住地として外国人登録証明書の交付を受けているものであるが
第1 有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで
• 昭和36年8月19日午前10時過頃、下関漁港から鮮魚運搬船大寿丸に乗船して北朝鮮西湖津に向け出港し、以
て旅券に出国の証印を受けないで本邦から出国し
• 同年10月11日頃、前記西湖津から右大寿丸に乗船出港し、同月17日頃山形県酒田市付近海岸に上陸し以て不
法に本邦に入国し
第2 佐久間信行と共謀の上、法定の除外事由がないのに、前記の如く酒田市付近海岸に密入国するにあたり、北朝鮮西湖津から携帯してきた米国政府2000ドル位を、大蔵大臣の許可を受けないで輸入し
第3 同年12月下旬頃、大阪市生野区鶴橋南2丁目356番地に居住地を変更したに拘わらず、新住居地の生野区長に対し、所定期間を経過した現在に至るまで、居住地変更の登録申請をしないで本邦に在留したものである。

【判決】犯人蔵匿 被告人 城山至弘こと裵炳憲

(罪となるべき事実)
被告人は、昭和36年10月頃朝鮮から本邦に密入国し、外国人登録の申請をしないで在留していた朝鮮人宮間義男こと崔燦寔を、同人が朝鮮から密入国をし外国人登録の申請をしない者であることの情を知りながら、昭和37年7月3日頃から同年7月24日頃までの間、被告人経営に係る横浜市港区綱島町所在の合名会社東洋メッキ工場に雇傭し、東京都大田区雪ヶ谷町90番地の自宅に住込ませて匿い、もって犯人を蔵匿したものである。

【判決】犯人蔵匿 被告人 宮本芳郁こと宋奉玉

(罪となるべき事実)
被告人は昭和35年10月頃朝鮮から本邦に密入国して来た滝川洋一こと崔燦寔を、その情を知りながら、同年12月頃から昭和36年7月中旬頃までの間、埼玉県越谷市4丁野1268番地所在の、被告人が代表取締役社長である本宮樹脂化学工業株式会社の工場に雇傭し同工場内に住込ませて匿い、もって犯人を蔵匿したものである。

• 何故か「出入国管理令違反ほう助罪」で逮捕されたはずの箕輪院長・梁亟浩医博(44)に対する判決が見当たりません!

 

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