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2022年7月 6日

北朝鮮のフェイクの話(張源宰さんの論文翻訳)

以下は韓国のインターネット放送「ベナTV」の代表である張源宰さんが韓国の総合月刊誌「月刊朝鮮」(朝鮮日報社)に書いたものです。面白かったので翻訳しました。意訳の部分がありますので文章の責任は私荒木にあります。

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<張源宰の北朝鮮のぞきめがね>

「1号写真」受難史

長身のノルウェー政治家、金日成の身長に合わせて写真で足を切られる

 2022年6月、朝鮮中央テレビは「有熱者(発熱者)数が明らかな減少値を見せながら1日ごとに減り続け、完治した人の数が優勢を維持し続けていると報道した。北朝鮮が明らかにした新規発熱者数は79,000人余り。総発熱者数は3,996,690人余りだが総死亡者は71人に過ぎないという主張も付け加えた。「変異ウィルス 遺伝子配列16,000件余りを分析し、悪性伝染病診断で正確性を保障する科学的担保を備え」たため防疫が可能になったいう宣伝だ。

 住民にはそのように告げながら、国際社会に向かっては別の言葉を発している。2022年6月4日、エドウィン・サルバドルWHO平壌事務所長は米国の声(VOA)放送に出演、「WHOは北朝鮮保健相のコロナ19変異と特性にについての質疑に答えた。北朝鮮当局の要請に従ってコロナ19診断並びにオンライン教育資料を共有したと語った。北朝鮮が「助けてくれ」と言ったと言うことだ。北朝鮮当局が中朝国境地帯の貿易担当者ははもちろん、一般労働者にも医薬品募集指示を下したと言う噂もある。

 コロナ19に関連して北朝鮮の状況が深刻なのか?何か問題が起きた事は間違いない。統計を信じることができるか?できない。何よりも北朝鮮は検査を行う力量がない。診断キットも絶対的に不足している。関連医薬品を冷蔵冷凍運送保管する能力自体がない。被検査者、感染者、完治者統計を作成するのが不可能だという意味だ。「感染者」ではなく「有熱者」と表現したこともポイントである。

記念写真を撮る金正恩は愛民精神?

 コロナ19がなくても、北朝鮮は伝染病に脆弱な地域である。上下水道施設が麻痺しており、衛生概念が希薄であり、慢性的な栄養不足によって住民の免疫力も弱化の一途をたどっている。毎年発生する各種伝染病にコロナ19まで合わせて患者が急増した可能性があると言うことだ。コロナ19なのかそうでないのか分からないのでひとまとめにして「有熱者」と言うのである。

 5月17日には金正恩が政治局常務会議で幹部を叱咤した。朝鮮中央通信によれば金正恩は朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会会議を主宰した席でコロナ19に関し「国家の危機対応能力の未熟さ、国家指導幹部たちの非積極的な態度と規律の弛緩、非活動性はわが事業の弱点と空間をそのまま露出させた」と幹部たちを叱責した

 典型的な金氏一族のやり方だ。問題が起きれば責任を人に擦りつけ自分は生き残る。そして金正日のこの発言で戦々恐々とする幹部たちが少なくない。いつどこでどのように自分に火の粉が降りかかるか分からないからだ。

 今回の事と関連し金正恩が下の人間に特別に責任を転嫁しなければならない理由がある。自分が直接指示した大規模「1号写真撮影行事」のためだ。「労働新聞」2022年5月6日に掲載された記事を見てみよう。「なんと20回も席を移動され記念写真をお撮りになったが、ここにもわが青年たちを手厚く愛する熱い情がそのまま込められている」という文章がある

 金正恩は1000人あまりの青年たちと20回にわたって記念写真を撮った。2万人を超える数だ。彼らは4月25日のいわゆる「朝鮮人民革命軍創建90周年記念閲兵式」のとき「地面隊列」に動員された青年たちだという。広場の下に立って花や文字でカードセッションをした人々だ。競技場行事の「背景隊」動員者と同じで、カードセッションに必要な道具は自己負担である。散々こき使っておいて自分はないがしろにしてきた人々だ。地面隊列や背景隊が金氏一族と写真を撮ったのは史上初めてだ。北朝鮮当局が金正恩にも「愛民精神」があるというのを宣伝したかったのかも知れない。

帰郷した青年たちを召喚して写真撮影

 問題は、写真撮影行事が急造され、それによって様々な無理が行われたという事実だ。閲兵式に動員された青年たちの中には大学生が多かったが彼らは行事の後、全国各地の故郷に帰った状態だった。そこへ金正恩が「明日青年たちと写真を撮る。1人も欠けることなく連れてこい」と4月30日、突然幹部に指示したという。

 北朝鮮はどんなところだろうか。学生たちを連れてくるために午前2時から大型バス数十台が動員され、病院に入院していた学生まで召喚された。すべて「労働新聞」に掲載された内容だ。金正恩は「地面隊列」に先立って軍の首脳部と将兵、放送従事者らと記念写真を撮った。今回の団体写真撮影は撮影するだけでも四日間かかる大規模組織行事であった。

 しかしこの行事の直後にコロナ19が突然北朝鮮全土に広がったとすればどうだろう。「発熱者」が増えて噂も広がった。そして民心を落ち着かせるためにもスケープゴートが必要だったのである。スケープゴートの地位と規模はコロナ19の拡散速度を見て金正恩が決めるのである。北朝鮮の住民たちはそのため金正恩の「怒りの表出」を 血の雨が降る下ごしらえと見ている。

足を斬られたノルウェーの政治家

 ついでに話をすれば金氏一族と撮ったいわゆる「1号写真」の中にはまともな写真がない。「事後修正」のためである。写真を造作すればない事実も作ることができ、存在する事実も隠すことができると信じているのが北朝鮮だ。

 構図捏造など愛嬌のうちだ。1974年6月、北朝鮮を訪問したノルウェーの社会人民党議長は190センチを超える長身であった。金日成も背が高い方だが一緒に並べば金日成がノルウェー野党代表のずっと下になった。「労働新聞」はノルウェーの政治家の「足を切って」金日成と身長を合わせた。当事者が不快な気持ちで帰国した事は何の問題にもならなかった。金氏一族の神格化のためならどんなひどいこともいくらでもできるのが北朝鮮だからだ。

 北朝鮮は写真捏造に関して全世界的に悪名が高い。誰かが粛清されればその人物が写っている写真は皆検閲対象になる。「1号写真」を撮れば、写真固有の一連番号、発送番号、受領者の身元を別途台帳にきっちりと書きこむ。そして 神聖?な封筒に1号写真を入れて写した人間の職場、党委員会を通じて下げ渡す。

 写真の中に脱北者や問題になる人物がいれば、誰に発送したのか記録を見ていちいち探して写真を回収する。粛清された人間を消して再び渡すためである。初めは粛清された人間の顔を墨で消した。写真あちこちに墨で消されたところがあるのが「目立ちすぎる」という指摘が続くと「他の人間の首にすげ替える」原始的アナログフォトショップをやった。頭の大きさが際立って違う人物が「いなくなった場所」に「人の身体を借りて」やってくる。誰かが粛清されれば写真をまたいちいち取り上げて、誰かを消して返す。取り上げて、消して、また返して、また取り上げると言いう、終わりのない反復だ。

「写真捏造」専門チーム

 だから幹部たちの家にずらっと並んでいる「1号写真」はそれ自体が何度も受難を経ている。 数千枚数万枚の写真を回収して修正するのはそれ自体が普通のことではない。象徴捏造に命をかける北朝鮮では政治的な重大事でもある。よほどのことがなければ中央党に独立部署で「写真捏造」だけを専門にするチームがあるほどになるだろうか。 定められた期間の中で仕事を終わらせなければならず作業量はとてつもないものになり専門性?も持たなければならないから、ここは誰も手を付けられない組織である。消したところに「誰かの頭を置け」という指示は金氏一族だけができることであり、写真捏造チームの立場は想像以上である。

 どこかに行って話すことはできないが、「1号写真」を受け取った人はどこどこが造作をしたのかみんな知っている。何百人ずつ撮る団体写真はどの場所に誰がいたのかわからない。だからどこが捏造されたのかは分かっても誰が知いなくなったのかは記憶がハッキリしない。しかし百人単位になってくると、話は別だ。十人単位なら誰が誰なのかお互いにみんな知っている間だと見なければならないだろう。

 金日成一族が首席壇の真ん中に座り、両側に幹部20人が座って撮った写真があったとしよう。万一その中に3、4人だけが生き残っていたとしたら、その写真を毎日見なければならない人間の気持ちはどうだろうか?

 1号写真は家の最も良い場所で家族や出入りする人々皆が最もよく見えるところに「奉安」しなければならない。そこに写っていた同僚が過ちを犯せば誰かが写真を持ち出しにやってくる。返された写真からは同僚の顔が消えている。幹部の心の中では「次にいなくなるのは自分かもしれない」という恐怖が膨らむ。しかしその写真を毎日見ざるを得ないのだ。

 黄長燁の脱北や苦難の行軍大量餓死の責任を取って死刑にされた農業相徐寛熙、国家転覆の疑いで悲惨な死を遂げた張成沢の粛清直後には1号写真も何度も党中央に呼び出される受難を経た。党中央委員会行政担当秘書として働いた張成沢は金氏一族と撮った写真が多く実務者たちの苦労は並々ならぬものだったろうと言われている。

 党中央にやってくるたびに1号写真はボロ雑巾のようになってゆく。写真を見る幹部たちの心もボロ雑巾と大差ないだろう。ボロ雑巾の1号写真は粛清で血塗られた金氏一族の蛮行を証明する記念物だ。それ自体が歴史だ。統一後には別の意味で博物館の展示品として長く残るだろう。幹部たちにはもう少し耐えていてもらいたいものだ。

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